文仙

 二ヶ月前だったか。マンションのポストに、茶封筒が入っていたのは。見れば盗み撮りした私の写真ばかりで、その時はなにかの悪戯だろう程度にしか思えず、放置してしまった。それが良くなかった。
 盗撮は続いた。日に日に封筒の中身は増えていく。描かねばならない作品に追われる夢を見ていたせいで、煩わしく思うだけだったが、ふと軽率に口を滑らせて文次郎に伝わった際、警察に届けるべきだと彼は声を上げてくれた。
「嫌だ、面倒臭い」
「立派な犯罪だ」
「あいつらは敵だ。自分の身は自分で守れる」
「お前警察に何したんだよ……」
 カンバスに青を広げながら文次郎に口答えをしているうちはよかった。ある日、外出先から帰宅すると、ドアノブにコンドームが巻き付いており、私は観念して警察に届けた。
 文次郎はしがない文筆家で、近所に住んでおり、気が合うからたまに飲む仲だ。締切を破ったことがないというのが私たちの自慢で、さりとてそのくらいしか自慢できることもなく、過去の受賞した作品についてお互いつべこべ評論しあってはいい気になる、というのがお決まりの流れだった。出会いはなんだったか、私の個展だったか。画廊で「これはいい夕焼けだ」と独りごちている彼に、「朝焼けだ」と思わず口を挟んでしまったのだった。そこから話し合ううち、彼のデビュー作が私の愛読書であることが判明した。それ以来、私たちは気ままに交友を続けている。彼はのちに、朝焼けと夕焼けを取り間違える物語を出版した。奏でられた美しい旋律には、悔しいが惚れ惚れした。
 玄関にコンドームが巻かれている日々が続いた。文次郎は私が外出する際の送り迎えを買って出てくれたが、ちょっとそこのコンビニにくらい、自由に行きたい。私は日々ストレスに苛まれ、カンバスに広がる青に黒を混ぜていった。
 無事絵が完成し、画廊に搬入した帰り、文次郎が「本屋に寄りたい」と言った。私も大きな仕事を終えた後で浮かれていたため、何か大きな買い物をしてやろうとそれを快諾した。本屋は三階建で、美術書は二階にあった。文次郎は三階の文芸コーナーに行ったため別行動を取ったのが運の尽き。画集を二つ手に取り、一階のレジに向かおうとした時、ふいに、階段で襲われた。
 後頭部を猛烈な痛みが襲い、ざり、と音が聞こえた次の瞬間突き飛ばされ、私は階段を転げ落ちた。頭を打ったのか、そこから記憶がない。起きた時には病室で、私の髪は短くなっていた。
「すまない」
 目を覚まして最初に文次郎と交わした会話がそれだった。
「俺がついていながら。目を離すんじゃなかった」
「……本屋でくらい、別行動をさせろ。お前のせいではない」
 犯人は現行犯で逮捕された。供述によると「美しい髪を僕のものにしたかった」だそうだ。盗撮もコンドームもそいつのものだった。私は悍ましさに嘔吐した。しかし、私以上に文次郎の方が憔悴しきっていた。何も力になれなかった、というのが、彼を責め立てているようだ。
「腕も折れてない、顔に傷もない、脳の検査でも異常なし」
 私は自分を励ますように、彼にそう言って気丈に振る舞ってみせた。それでも彼の顔色は暗い。
「……お前の髪は、とても美しかった」
「髪くらい、いずれ伸びる」
「大切にしていたろう」
「それならば、文次郎、書いておくれよ。頭髪愛好家の変態をうちのめす、画家と小説家のバディものを」
 文次郎は顔をあげ、パチクリと瞬きをした。まあ確かにお前の作風ではないが……と言いかけたところで、彼はくつくつと笑い出した。
「それはいいアイデアだな」
「……そうだろう、そうだろう」
 文次郎は紙とペンを取り出すと、さらさらと案を広げ、あっというまにあらすじを書き上げてしまった。手渡された分厚い手帳のカバーが捲れ上がっている。
「売れない小説家が、売れっ子の画家に恋をする。彼を追いかけてあちこちの画廊に赴くうち、自分と同じ動向をしている怪しい男を見つける。小説家は画家に気づいて欲しくて、絵画とストーカーにまつわる話ばかり書くようになる。画家は見事にそれを受け取り、変態を呼びつけ、踏み躙るのだ。お前のケツの穴を描いてやろうかと。頭髪フェチの変態は悦んでしまい、そこに小説家が殴り込む。結局は暴力で解決し、後日、画家も小説家も長髪モチーフの作品で賞を取る。めでたしめでたし」
「……ずいぶん乱暴なまとめ方だな」
「俺たちらしいだろう?」
 病室の窓から、中庭が見える。花壇に花が戦いでいた。私は花言葉というものを信じていないが、以前、文次郎が「タンポポというのは、室町時代からそう呼ばれていたらしい」と言うのを聞いて、思わず調べてしまった。タンポポの花言葉は、幸福。
「なあ、文次郎。私たちは真実を見つめながら、嘘を紡いで食っている」
「今更何を言うか。人は嘘を楽しみ、嘘の向こうに真実を見るんだ」
「私はお前を好いている。きっと室町時代から」
「……面白い嘘だ」
「本当さ。次の作品、きっと私は、お前を描くよ」
「風景画しか描かないやつがか?」
 文次郎はまたくつくつと笑って、私から手帳を受け取ると、一番後ろのページに何やら書いて、破ってよこした。
「お前の名前を何より美しく思う」
「……何度だって呼んでくれ」
 紙には、月の裏側をあげます、と書いてあった。夏目漱石の裏を行くこいつの、馬鹿馬鹿しいところが好きだ。これはプロポーズと捉えていいのか。
「一緒に暮らそう、仙蔵。毎夜、月を見よう」
「新月の時は?」
「お互いの瞳を見ればいい」
 文次郎の大きな、かさついた手のひらが私の手を包んだ。私は笑えばいいのか泣けばいいのかわからなくて、「死ななくてよかった」と呟いた。私は二葉亭四迷の裏を行く。
 文次郎は私の髪を撫でた。私は心地よさに目を閉じた。花壇の花が戦ぐ。春はすぐそこだった。
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