文仙

 やけにあたたかいな、と思って目が覚めた。
 小鳥の鳴く声がする。六年間もこの学園で過ごしておいて、たまに「今自分は、どこにいるのか」わからなくなってしまう朝というのが、何度かあった。今日がまさしくそれで、しまった、寝すぎたか、と起き上がろうとすると、身体の節々が痛み、顔をしかめる。
「起きたか」
 掠れた低い声が、耳元を撫でた。私より先に目覚めて、私の寝顔を見ているだなんて悪趣味だ。私は抗議の意味を込めて文次郎の鼻を摘まんだ。
「何をするんだ」
「おはようの挨拶だ」
 足と足の間に違和感がある。その原因であるお前は、こんなにもおだやかな顔をしやがってからに。頬に添えられた手を払う。私の顔など見飽きているだろう。
 あたたかいな、と思ったのは、こいつと同じ布団で寝ていたのが原因だ。冬の朝らしかなぬ温もりは布団の中でひろがり、まどろみを泳ぐにはもってこいであった。
「仙蔵は、朝も綺麗だ」
「……当然だ。何がほしい? さんざんくれてやったろう」
「思ったことを述べただけだ!」
 こいつの顔に似つかわしくない甘い雰囲気に、朝から胸焼けしそうだ。こんなものでほだされてたまるか――ある種のプライドだ。
 私は痛む腰をさすりながら起き、はだけている着物を整える。
「お前は」
 文次郎も続けて起き上がった。一月の空気は澄んでいる。春夏秋冬の空気を持ち運べるとしたら、私は間違いなく一月を選ぶだろう。初夏の爽やかさも捨てがたいが、身の引き締まるこの綺麗な空気を、朝一番に浴びられることは至福だ。たとえ甘やかな夜の続きであっても。
「お前は、寝ている時、死んでいるんじゃないかと思うくらい、静かな時がある」
「……物音を立てずに寝られるのは、忍びとして利点だろう」
「そうだろうが。昨晩は腕の中があたたかくて、ひどく……安心した」
「……そういう、顔に似つかわしくない甘い台詞を吐くな!」
「だから、思ったことを述べただけだ!」
 私はもう一度文次郎の鼻を摘まみ、やれやれと溜息を吐く。どうにも苦手なのだ、情事後のとろりとした蜜のような囁きが。なんだかぬかるみに嵌って、そのまま抜け出せなくなりそうで。その甘さに溺れてしまったら、戻ってこれなくなる気がする。
 こうして私はなんとか自分を律しているというのに、文次郎は私の手を取って「爪の形まで綺麗だ」とかほざくものだから、顔の熱さをなんと言い訳していいものやら、怠い下半身を無理やりに引き上げて立ち上がった。
「身体は大丈夫なのか」
「どこかの鍛錬バカが手加減しなかったせいでぼろぼろだが?」
「……すまん」
 顔を洗いに行こう。今日という日を、ただしく始めよう。自分を取り戻すために大きく伸びをしていると、文次郎の笑い声が聞こえた。
「なんだ」
「いや。好きだという気持ちと、今日をただしく始めようという気持ちは、両立するんだな、と」
「……ばか!」
 文次郎は笑いながら私の髪を撫でたかと思うと、垂れていた眉をきりっと吊り上げ、「俺は朝の鍛錬に行ってくる」と雄々しく出て行ってしまった。なんだその切り替えの早さは。
 私は、抱かれて眠っていた心地よさと、綺麗だと言われた顔、握られた手、撫でられた髪それぞれに残る温もりをなんとか忘れようと、こんなにも……こんなにも! 努めているというのに。顔を振るって、雑念を消し去る。
 腰の痛みも、身体の怠さも、掠れた声も、水に流してしまおう。小鳥たちが文次郎の足音に驚いてどこかに行ってしまい、すっかり静かになった部屋のなかで、私は「よし」と呟いた。
 抱かれる度に、脱皮している気分になる。それまでの汚い自分を脱ぎ捨てている感覚になる。愛という言葉は、ぬけがらのためにあるのかもしれない。ぬけがらを、私は丁寧に隠す。誰にも見つからないように。
 文次郎だけでいいのだ。このぬけがらを知っているのは。布団を畳み終えると、気分はすっかり、いつもの自分に戻っていた。文次郎のぬけがらを、私は見たことがない。
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