竹くく

 梅雨に入ると、土の湿り気が途絶えない。生物に対して、それは良く作用するときもあれば、悪い結果をもたらすこともある。
 生物とは多彩だ。植物も動物も、どのくらい水分と日光が必要か、種族によって変わる。全てを把握できていなくとも、観察していくうちに察さなければならない。生傷の絶えない手で土を触る。保健委員には怒られてしまうだろうか、傷口からばい菌が入ったらどうするのだ、まず自身の健康を考えろ、と。しかしこれが俺の仕事なのだから仕方がない。学園で飼っている生き物に対して、責任が生じている。人間より寿命の短い彼らの命の重さを考えれば、俺の手指に染みる消毒液の痛さなんて、へのかっぱである。
「だからといって、こんなに腫れちゃあ」
 兵助は呆れたように笑った。俺の左手に巻かれた包帯を見ての反応だ。勘右衛門にも、雷蔵にも三郎にも笑われたが、こいつが一番呆れた眉をしていた。
「お前に何かあってみろ、生物たちだって共倒れだろう。まずはやっぱり、八左ヱ門自身の健康を、だよ」
「少しは反省したさ」
「少しじゃ足りない。俺たち同級生だって、みんな心配するだろ」
 先日の実践授業で負った傷痕が、化膿してしまったのだった。手当をしてくれた伊作先輩に、「しばらく生物の飼育は後輩に任せて、八左ヱ門はしっかり療養すること」と言われてしまった。孫兵にあらかたの指示を出し、そわそわしつつも生物委員の仕事を休んでいる。やることが特にない火薬委員も今日は休みのようで、暇を持て余した兵助が俺の傷の具合について聞きに部屋に訪れていた。虫籠がぐるりと俺を囲んでいるのを見て、「休めと言われたって休めないだろう、それじゃ」と溜息を重ねる。
「鳥に虫を食わせたりな、その虫もばい菌をもっているから」
「八左ヱ門には豆腐を与えようね」
「傷の回復に豆腐って効くのか……?」
 兵助は俺たち生物委員会が飼っている生き物のエピソードひとつひとつを、丁寧に聞いてくれた。長いまつ毛を伏せて笑い、そんな彼の表情は破顔していても美しい。彼を笑わせることは楽しかった。彼が心を素直に開いてくれているという事態が心地よかった。
「兵助って綺麗だよなあ」
 気が付けば口にしていた。自分の呟いた言の葉が自分の耳に届いてからやっと、俺は自分が何を言ったのか自覚をし、慌てて口元を手でふさぐ。
「あ、いや。えーと、女装似合いそうてきな」
「ふふふ、誉め言葉ってことだよな。豆腐パワーじゃないか? 美肌効果かな」
 俺の言葉に気分を害していなさそうでよかったと、ひとまず胸を撫でおろす。実際に兵助の女装は美しい。白い肌に長いまつ毛、豊かで艶やかな黒髪。けれど、彼の美しさはそれだけではない。何事も真正面から向いて真摯に取り組む姿勢だとか、俺の話に腹の底から笑ってくれる優しいところだとか、そういう全てが美しい。
「八左ヱ門はねえ、恰好いいよ」
「ええ?」
「努力家でさ、観察眼も洞察力も秀でている。理想に向かってしっかり現実を歩んでいく感じというか?」
「……急にどうした?」
「え? 八左ヱ門、全部言葉に出てるよ」
 兵助はおかしそうにくすくす笑って、顔を真っ赤にする俺の背中を叩いた。身体中茹っているから、背中も汗をかいているだろうに。恥ずかしい。
「みんなさ、美しいよな。生物って」
「……そう。そうなんだよ」
「尊いよな。一所懸命に生きてて、泥だらけでも」
「そうなんだよ!」
 兵助の手を取ろうとしたら、左手の包帯が邪魔をした。痛さに顔を歪めていると、兵助はまたくすくすと笑いだす。
「俺は八左ヱ門の、生物に対する情熱も美しいと思うからさ。やっぱり少しは休憩しようよ」
「……兵助はお節介だ」
 どの子にどの餌を与えるの? 兵助が訊くので、部屋の虫籠を指さしながら、餌の説明をする。楽しそうに餌やりする兵助の横顔はやっぱり美しくて、俺はよからぬ妄想に駆られる。
 彼を閉じ込めておける籠があったら、俺が餌を与えてやるのに、だなんて。
「八左ヱ門?」
 あぶない、また全て口に出してしまうところだった。俺は彼に対しての加虐心なんて持ち合わせていないはずなのに。
「この子たち、豆腐は食べる?」
「頼むからそれはやめてくれ」
 兵助を制しながら、いつか俺の目の前から消えていく彼の最後の思い出が豆腐だったら嫌だな、と思った。それはそれで滑稽か。不格好に生きる人間らしいか。
「……八左ヱ門が、ぶっ倒れたらさ」
「縁起でもないこと言わないでくれ」
「俺が食事を与えてあげるからね」
「……豆腐なんだろう、どうせ」
 あたり、と笑う彼に冷や汗をかく。似たような妄想をしていただなんて口が裂けても言えない。
「……いつか、お前が俺の目の前から消えたら」
 兵助が俺の左手の包帯をなぞる。少しだけ冷たい指先。
「それは卒業きっかけかもしれないし、ある日忍務で突然……かもしれないけれど。俺が思い出すのは、お前の目なんだろうなあ」
「目?」
「うん。俺はお前の目が好きだ。何もかもしっかり見据えている目」
 俺は空いた右手で、兵助の髪を撫でた。なんだか急に胸が苦しくなった。
「俺は兵助のこと、絶対全部わすれない。隅々まで美しい存在のこと」
「……いきものはみな、うつくしいよ」
 自らを否定するようにも聞こえたそれを、俺は否定しない。
 二人でなんとなく、手を重ねていた。お互いの熱が溶けていくけれど、輪郭ははっきりと、皮膚の境目はまざりはしない。
 個々の人間であることは、どうしようもなく事実で、だからこそ、お互いにお互いの存在が眩しく、美しい。
 りーりーと虫が鳴く。鳥の鳴き声も外から聞こえてくる。この世は生命に満ちている。そのなかでぽつんと、今だけ、俺たちは二人ぼっちなのだった。
 兵助のことを、好きだと思った。そろそろ雨が降りそうだった。
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