綾滝

 自慢話が相変わらずうるさい、と無視を決め込もうとしたところで、滝夜叉丸がコホンと咳をした。咽ただけかと思ったが、立て続けに咳込んでいるところを見ると、どうやら違うらしい。
「風邪?」
「この私が、まさか」
「疲れでも溜まったんじゃない? 季節の変わり目だし」
 秋が急に深まっている日々だ。線状降水帯が僕らの上にいるらしく、雨がしんしんと世界の気温をさげていた。ついこの間まで汗をかいていたのに、朝の寒さに慌てて秋服をクローゼットのなかから探し出している。
「葛根湯あるよ。飲む?」
「すまない」
 僕は立ち上がって、冷蔵庫横の棚の中から葛根湯の箱を取り出した。滝夜叉丸は勝手にケトルでお湯を沸かしだす。僕の家に遊びに来すぎているせいで、彼は何がどこにあるのか大体を把握している。
 大学生になり一人暮らしをしはじめて、やっと自由と孤独を手に入れたと思ったのに、幼馴染である滝夜叉丸が通い詰めてくるせいで、毎日が賑やかであり続けた。彼だって一人暮らしをし始めたのだから、自分の暮らしを謳歌すればいいのに。恋人という大義名分のもと、僕の隣が安心するとのたまっているが、癪なことに理解が出来てしまうのが悔しい。
 白湯を作り、葛根湯を飲んだ滝夜叉丸は、喉を抑えて不安そうに視線を泳がせた。僕が出来ることと言えば体温計を差し出すことしか思いつかず、ひとまず測ってもらったが、平熱の範囲内の温度が表示されているだけ。ピロピロという無機質な音が味気ない。
「身体冷やすといけないから、今日は帰れば?」
 雨も、夜になるにつれてひどくなるかもしれない。帰る時に体調が悪化したら辛いだろう、という気遣いのつもりだったが、滝夜叉丸は一瞬の間の後、小さく頭を振った。
「もう少し、居てはだめか」
「なにか都合があるの?」
 いつも居丈高な彼のしおらしい態度を見るのは久しぶりで、見てはいけないものを見てしまっているような感覚になる。
「一緒にいたいのだ」
「……おやまあ」
 僕にしか見せない弱々しい姿に、どきりとする。これから訪れる冬の気配が、雨の寒さがそうさせるのか。不安なのだろうからやましい気持ちを慌てて仕舞って、ソファベッドに座らせた。滝夜叉丸を抱き寄せて、ブランケットを一緒にかぶる。
「あたたかい?」
「ああ」
 季節の変わり目になんか負けてなるものか、と彼は言った。私たちは無敵のはずなのだと。僕もそれには同感で、だからこそ休息はしっかりとるべきなのだと伝えた。
「たまには深呼吸しなくちゃ」
「……完璧でありたいのだ。どんな時でも」
「知ってる。だからそんな姿を見せるのは僕の前だけでいい。僕には見せてよ」
「……喜八郎は、信頼しているよ」
 イコール、彼なりのアイラブユー。彼の左肩に回した腕がとくんとくんとあたたかい。七畳の1Rを満たす呼吸のふたりぶん、僕らを繋ぐ鼓動のぬくもり。今まで重ねてきた時間の先の、恋だの愛だのと名付けた結果が、心地よいものでよかったと思う。
 外では秋雨がさあさあと降り注いでおり、道路がしっとり濡れている。世界がこんだけ泣いているなら、今だけ弱音を吐いたって誰にもバレないよ。滝夜叉丸の唇は少しだけかさついていた。
「泊まっていく?」
 眠たげな瞳にそう訊いた。答えは決まっているようなものだった。彼の寝間着も歯ブラシも茶碗も、いつのまにか僕の家を侵食している。何の問題もない。
 こくりと頷いた滝夜叉丸をブランケットで包み込んで、僕は買い出しに出かけた。パーカーを羽織ってきて正解だった。季節の変わり目になんか負けないためのアイテムと、防水の靴で歩む僕は、確かに無敵なのだった。
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