綾滝

 光の大群のような薔薇の花束を抱えて、恋人が帰ってきた。駅前の花屋でつい買ってしまったのだと。
「なんの記念日でもないのに?」
「なんでもない日にこそ、美しさ、あるいはときめきは必要だろう」
 あいにくと薔薇は薔薇としか認識できないため、どれがなんという種類かはわからない。赤、白、ピンク、ところどころ黄色のその花束を、滝夜叉丸は僕にぽんと渡した。
「なんでもない日おめでとう、喜八郎」
「……食べられるものがよかった」
「本当にデリカシーのない男だ! あげ甲斐のない……」
「薔薇なら、お前だけで充分なんだ」
 ひとまずありがとうと言って、ふわふわのピンクの包み紙をほどいた。滝夜叉丸はちょくちょく花を買って帰ってくるため、家のあちこちに花瓶がある。大きめのサイズのものを探し出し軽く洗って、水を溜める。花が長持ちする液体とやらを混ぜて、そのままドンと薔薇を活けた。
「ほら、家のなかが明るくなった」
「なって、どうするの」
「お前のことをより一層、愛しく思えるのだ」
 薔薇がなんか言ってら。うるさい口を塞いでしまおうと唇を舐めると、大げさなまでに彼は飛びのいた。
「なんで」
「お、お前はいつも唐突すぎる! もっとムードをだな」
「ムードならあるじゃない、こんなにいっぱいの薔薇の花」
 これ以上、どうしろというのだ。瑞々しく艶やかな薔薇たちの芳香が、僕らを甘い気分にさせるのであれば、それは大歓迎じゃないか。
 顔を赤らめて視線を泳がせている滝夜叉丸が面白くて、薔薇を一本、花瓶から引き抜いた。滝、と呼びかけて、それを彼の耳の上にさしてやる。
 薔薇が長い髪によく映える。滝夜叉丸の顔が華やかに彩られた。
「似合ってる」
「……喜八郎にやったものなのに」
「僕が愛でたい薔薇はお前だけなんだってば」
 唇を薔薇の蕾に例えた人って、変態なんじゃないか。僕は笑いながら、滝夜叉丸の唇を舐めた。彼は今度はちろりと舐め返してきたので、そのまま蜜を交わし合う。
「……もしかして」
 滝夜叉丸はぽつりと呟いた。
「喜八郎に薔薇が似合うと思ったのって、いつも私が傍で咲いているせいか?」
「……その場合はなんていうの? 自業自得?」
「ちょっと違うのではないか」
 まあ今は、光の大群に免じて、そういうことにしておいてやろう。滝夜叉丸は髪から薔薇を抜き、今度は僕の耳上にさした。
「やっぱり、似合うぞ」
「……そりゃあ、お前の隣に立つ者としてね」
 ふわふわ、ふわふわ、僕たちの間に薔薇が飛び交う。ひとしきり愛を交わしたあと、あらためて薔薇の輝きを見つめた。
 この華やかさを一気に背負っても負けないような大輪が僕の手の中にあると、なんだか不思議な気分だった。
「……お前は、何の花が好きなんだ」
 滝夜叉丸は途方に暮れたように言った。めずらしい、いつだって自信家の彼が。
「喜八郎に花を贈りたいと思うのに、お前はいつも私を愛でて、そればかりだ」
「それでいいんじゃないの?」
「贈り物をしたいという私の願いくらい叶えてくれ。私だってお前が咲くように笑うところが見たいのだ」
 うーん、と悩む。あいにくと花に明るくない。タンポポもひまわりもカーネーションも、なんか違うということだけわかる。
「……トケイソウ?」
「なに、お前はあんなややこしいのが好きなのか」
「ジャポニカ学習帳の表紙になっていた気がするんだ……あれ、実際に見たことがないから、見てみたい」
「……花屋に売ってるものではないな」
 今度、二人で植物園にでも行くか、ということになり、ひとまずこの話はここでおしまい。
 おしまいだけれど、薔薇は咲き続ける。長持ちの液体の効果か、いつまでたっても枯れないので、光の大群に日々、目を細めなければならない。眩しいったらありゃしないので、僕は隣に咲く薔薇をむさぼる。このおしゃべりな薔薇は、僕が蕾を舐めるときだけ、大人しく静かになるので。
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