綾滝

 まああんまりサプリメントを飲みすぎるのもよくないか、と思って、新しいボトルを買ってこなかった。マルチビタミン。そのことでこんなに怒られるとは思わなかった。滝夜叉丸曰く、生命線、なのだそうだ。毎日必ず飲まないと、美容的にぐだぐだ。そんなに大切なら自分で管理してほしい。
「フェイスパックしながら怒っても怖くないよ」
「なぜ私の怒りが伝わらないんだ、喜八郎、お前だって今年日焼けしただろう」
「毎年してるし、なんなら毎日してるよ。ベランダの植物の土いじってるんだもの」
 ビタミンCが、日焼けにどうたらこうたららしいけれど、知ったこっちゃない。太陽の下にいるなら肌が焼ける、当たり前のことだ。
「ちゃんと言われた通り、日焼け止めは塗っているよ」
「当たり前だ! 日焼けは火傷なのだぞ! 皮膚がんの影響もぐだぐだ……」
 だから、フェイスパックをしたままじゃ何も怖くないんだって。僕は溜息を吐きながら、ジャージを履き替える。
「そんなに言うなら今から買ってくるよ、まだ閉店に間に合うでしょう」
「もう風呂に入ったあとではないか」
「だって滝うるさいんだもん」
 真っ白フェイスの滝夜叉丸は、僕がそう言うとかたまった。大きな瞳がきょろきょろとたじろいでいる。じゃあ僕にどうしてほしいんだ。思わず声を荒げようとした瞬間、彼は徐に白いお面をぺりぺりと剥がしだした。今度は僕がかたまる番だった。まだ十五分経っていないのに、彼が規定時間よりも早く剥がすなんて。
「私も行こう」
「え、お前だって風呂に入ったあとだろう」
「私が飲みたいサプリなのだ。私が買うのが道理だ」
「そりゃそうだけれども」
 びしょびしょの肌をぺちぺち叩きながら、滝夜叉丸も寝巻からスウェットに着替える。近所のトモズは二十二時までやっているので、のんびり歩いても間に合うのが幸いだ。黒い帽子に夜でもサングラスと、マスク。足元はサンダルのくせに、顔だけ重厚ないでたちの二人。
「あ、アレ買わなきゃ」
「何か足りないものがあったか?」
「ゴム」
「ば……」
 ばかと言おうにも言えなくなってしまうコイツのことを、どうにも愛しく思ってしまうのだ。普段はあんなに鬱陶しいのになあ。おかしなことが、この世には多い。
「今度、暗いところで光るヤツ買おうか」
「それはお前が笑い出して止まらなくなるからやめてくれ、ムードがぶち壊しだろう!」
「滝ってムードとか大事にするよねえ」
 ムードなんて小手先で作れてしまうのに、恋人の態度が柔らかくなるのだから、随分便利なことだ、と思う。だけど彼の言う通り、僕は笑ってしまうだろう。想像してみた。ロマンティックな夜景、上等なシャンパン、赤いバラの花束、バニラの香水、暗闇で光るコンドーム。
「ぶふふ」
「ほらみたことか、想像だけですでに笑っている!」
「だって、僕のちん」
「往来でそれ以上はやめろ!」
 見たいなあ、買っちゃだめかなあ。次の誕生日のリクエストにしてしまおうか。それはあまりにもか。さすがに、ムードが、ないか。
 僕らは笑いながらトモズに向かう。このままだとゴムだけ買って、肝心のサプリメントを買うのを忘れてしまいそうだ。
 マルチビタミン、マルチビタミン。笑いだしそうなのを堪えながら夜道を行く。真っ黒な視界に、街灯だけが眩しかった。
3/20ページ
スキ