綾滝

 小さい頃、リボンが好きだった。お菓子の缶に飾り付けられていた、ピンク色のサテン生地のリボンのことを、よく覚えている。はじめは指に絡めたり、椅子の足にくくりつけて遊んでいたのだが、それだけでは飽き足らなかった。五歳の僕は鏡の前に行き、短い前髪を結わき立たせ、そこにくるりとピンク色をひっかけてみた時の、得も言われぬ快感。女の子になりたいわけじゃなかった。ただ、リボンを額に載せた己の顔は、とても輝かしいものに思えてならなかった。
 今、目の前には、大きなリボンがある。滝夜叉丸のポニーテールは肩の高さで夏風に揺れ、その毛先が僕の瞳を揺らしてならない。
「喜八郎、聞いているのか?」
 くるりと振り向き大きな目で僕を見上げた滝夜叉丸に、ごめんと答えると眉をしかめられた。ごめん、聞いてなかった、なんの話だっけ。滝夜叉丸はこれみよがしな溜息をつき、僕のためにもう一度同じ話を繰り返してくれた。
「今夜、我が家に来るといい。母がお前に会いたがっていてな。すき焼きだぞ」
「それは是非とも行きたいなあ」
 幼馴染の滝夜叉丸と僕は、お互いの家を頻繁に行き来する仲で、夕飯に呼ばれることもしばしばだった。けれど高校に進学すると、男女の距離感というものが少し難しく、僕から彼女の家に上がるのは意識的に控えていた。
「何故、最近は我が家に来ないんだ? まだ貸していない漫画があるというのに」
「うん、うん」
 そんな僕の心境など露知らず、滝夜叉丸は純粋の塊のように僕に気を遣わない。それが心地よくも、こそばゆくもあるから、僕は頷くことしかできない。うん、うん。
 滝夜叉丸のポニーテールがさらさらとたなびき、黒いセーラー服の襟を撫でる。その根元に結わかれた、大きなリボン。厚手の生地の、真っ赤な装飾。
 それを解きたいと――彼女の髪に触れ、指を通し、無防備な姿にさせたい、という情欲が湧いてしまうのは、ただの思春期と片付けていいものだろうか。もっと醜い、鍋で煮詰めたどろどろの焦げ、そんなもののような気がしてならない。だから僕は涼しい顔、涼しい声を貫き通す。彼女にはなんの穢れもついてほしくなかった。僕の醜さを悟らせたくなかった。
 女子がめかすのは、魔法でもあり、鎧でもあると、他でもない滝夜叉丸から聞いたことがある。自分のテンションを上げるためであり、これで大丈夫、と自信をつけるためであると。そしてそれが、好きな人にかわいいと思ってもらいたいという願いに変わった時、恋という名前を付けてもいいのだそうだ。
 滝夜叉丸は、恋をしているのだろうか。僕の目線の少し下で花開いているリボンは、誰かのためであったりするのだろうか。それが僕のためであればいいのに、というどろどろの焦げ。飲み込むには少し苦い。
「喜八郎はよく火の通ったネギが好きだよな」
「だからそれは滝夜叉丸がでしょ。僕は肉が好きだよ」
「肉もたくさんあるからな、いっぱい食べてくれ」
 振り向かなくても、彼女が笑顔であることがわかる。彼女の笑顔を独り占めしたいという感情は、リボンを解きたいと思うのと、同じものかもしれない。
 彼女のリボンを解いた時。その時に僕は、そのリボンをどうするだろう。小指と小指に結ぶのもいいかもしれない。滝夜叉丸がそれを見て、微笑んでくれればいいのに。真っ赤なリボンで、運命ごっこ。
 僕がほくそ笑んでるのに気づいた滝夜叉丸が、振り向きながら訝し気な表情をする。僕はそれに対して、涼しい顔、涼しい声で応える。うん、うん。楽しみにしてるね。
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