綾滝

 同室、というものは、ある種の特権である。例えば、無防備な寝顔を見ることができる、というような――
 
「毎朝、どこにいるの」
 喜八郎は、機嫌が悪かった。同室である滝夜叉丸の間抜けなツラを拝もうと早起きすれど、いつも彼は先に出ているのだ。布団は綺麗に片づけられ、寝ていた痕跡すらない。そんな気配にも気づかず爆睡していた自分が情けないような、そして自分の寝顔は見られている恥ずかしさもあるような、そのどちらも不機嫌の理由であった。
 後輩の前で、常に威丈高である滝夜叉丸。自信過剰で、ナルシストで、口を開けばうぬぼれて。
 そんな彼の弱みを握ろうと、ここ最近画策している。後輩の前で恥をかいてしまえばいいんだお前なんか、という気分に突然なり、しかしそのためには彼に勉学実技共に勝らなければならない。自分が勝てるのは罠の腕くらいだ。だから罠にひっかけるか、そうでなければ――間抜けなツラを拝むなら、寝起きを狙おう。そのように考えたのである。
 長年の付き合いがあるせいで、滝夜叉丸はなかなか罠に引っかかってくれない。落とし穴をこれでもかと掘っても、落ちるのは不運委員たちばかり。用具委員会に怒られて落とし穴を埋め直しながら、まだこの穴には役目があるのに、と落ち込む。
 滝夜叉丸の、情けないところを見たい。そうして馬鹿にしてやりたい。完璧なお前でも欠けている部分はあるのだと指摘して、そうして――それを知っているのは、自分だけだと言いたい。
 自分だけの、特別。

「毎晩、どこに行っているのだ」
 滝夜叉丸は、溜息をついた。同室である喜八郎が、夜の風呂の番になっても帰ってこないのである。彼は日夜、落とし穴掘りに明け暮れている。それ自体は一年生の頃から慣れているのだが、この頃、とみに顕著だ。せっかく今日の私の活躍を寝る前に語ってやろうと思っているのに、と肩を落とす。
 喜八郎は飄々としていて、どこか掴めない表情、難のある性格だ。だからこそ、彼の真剣なところや、反対に本気で悔しがるところを見てみたいと、突然思うようになった。彼の一喜一憂を見てみたい。そしてそれを知っているのは自分だけであると、優越感に浸りたい。彼を慕う後輩に語ってやるのだ。さぞや面白いことになるだろう。
 彼の弱みを握るにはどうしたらいいのか。彼の寝言を聞くのが手っ取り早いのではないか。しかし彼は、滝夜叉丸が寝るまでに、自室に帰ってこないのである。寝る前の語らいも出来ないどころか、自分が先に寝付いてしまって、彼の寝相を見ることもままならない。
 自分だけの特別を、手に入れたい。

 とある日の昼下がり、食堂にて。
 二人はついに顔を突き合わせる。
 Aランチ定食は麻婆豆腐。ピリ辛の赤いどろりとした液体が、二人の口論をヒートアップさせた。
「ねえ、なんでそんなに朝早いの。寝顔が見られないじゃん」
「お前こそ、なんでそんなに夜遅いのだ。寝顔が見られないだろう」
 二人の口論に、同級生は顔を見合わせる。豆腐が熱くて、はふはふと息を吐きながら、眉をひそめ、声をひそめ、疑問を口にした。
「何で二人とも、お互いの寝顔を見たがるんだ?」
「面白いのかな? 二人とも、そんなに寝汚いか?」
 傍観していたタカ丸は、味噌汁を飲み干して、ふふふと面白そうに笑った。
「二人とも、両思いの自覚がないんだねえ」
 その言葉に、三木ヱ門と守一郎はきょとんとした。ただのくだらない喧嘩だろうと思っていたのに、思いもよらない見解が飛び出してきたのである。二人の箸も止まった。
「お互いの弱みを握りたい。お互いの無防備な姿が見たい。そしてそれを知っているのは、自分だけでありたい。自分のものにしたい」
 タカ丸はごはんつぶを丁寧に箸の先で集め、楽しそうに言った。三木ヱ門と守一郎はもう一度、喜八郎と滝夜叉丸の方を見る。
「私は朝練に励んでいるんだ! いつだってお前の先を行くために、努力を重ねているのだ!」
「僕だって落とし穴の腕を磨いてるんだよ、夜にこそ本領を発揮するから! いつかお前を落とすためにね!」
 口ばかり動いて、麻婆豆腐は冷めていく。そんな二人の様子を、同級生たちはやれやれと眺めていた。
「あれを、両片思いって呼ぶんだな」
「犬も食わない、ってね」
「これから二人でお昼寝してくれば、万事解決だと思うんだけどなあ」
「そうもいかないでしょう」
 冷めていく豆腐に耐え切れなくなった兵助が血相を変えて飛んでくるまで、あと五秒。それでも喜八郎と滝夜叉丸は、お互いを睨みあうのをやめない。
 自分だけの特別を知りたくて、でも手に入らないもどかしさ。
 ピリリと辛い、赤い気持ちは、どろりと二人の心に溶け込んで、身体を火照らせる。
 食べてしまえればあっという間なのに、それに気付くのは、いつになることやら。
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