雑高
夜明け前の静けさは、一日のうちで最も美しいと思う。
濃紺の水平線に、一筋の橙色が走ると、そこから眩いばかりの光が生まれ、世界に希望をもたらす。忍者にとっては仕事を切り上げる合図でもある。星々が消えて、鳥が目覚め出すと、我々は己の命の灯がまた一日伸びたことに安堵する。
昨晩、雑渡様の手によって散々愛でられた身体は節々が甘い怠さで重く、喉も掠れていた。それでもこの瞬間、空が白んでいく静寂の一瞬――世界がひっそりと息をするこの時間を、雑渡様の隣で過ごせることが、この上なく至福であった。
「……どうしたの? 起きちゃった?」
「おはようございます、雑渡様」
布団のなかは暖かくて、この中でだけは、全ての人間が赤子と同等に守られている存在になる。我々は母親の胎内から、光を求めて産まれてきた。光を求める性なのだ。障子越しに、世界が目覚めていくのを感じる。
「この時間が、何よりも好きです」
「どの時間?」
「雑渡様と、夜明けを迎える瞬間」
雑渡様は布団の中で私を抱きかかえると、そうだね、と呟いた。雑渡様の声も、低く、掠れている。布団の中でだけ聞ける声だ。私はこれを聞く特権を持っていることが誇らしかった。
「私と愛し合っている時間は?」
「もちろん特別です。けれど、それを経て、一緒に目覚めることが出来るのが、僥倖なのです」
火傷痕が広がる肌を撫でる。出っ張りと窪みのある褐色から鼓動が伝わった。生きている音。生命を紡いでいる音。
雑渡様はいつも、ほんのりと軟膏の匂いがする。この布団にも、白小袖にも染みついているそれを、私は鼻腔一杯に吸い込んだ。愛しさ、というものに形があったなら、きっとこんな温度なのだろう。
障子戸の向こうがすっかり明るくなった。雑渡様は私の髪を遊びながら、そうだそうだ、すっかり忘れていた、と呟いた。私は彼の口元を見上げる。
「昨日、鴉を一匹、殺してしまったのだけれど」
「……からすを」
「そう。弾かれた手裏剣が当たってしまってね、罪もない命を。弔うのを忘れていたよ」
「……今日、弔いましょう。墓を建て、花を添えましょう」
「この手を汚した数なんて、気にしていたら先に進めないのにね」
「雑渡様の手は綺麗です。私が保証します」
「……お前は変わらないね」
雑渡様の手が私の頬を撫でる。その手の上から、私の手を重ねた。肌と肌はぴとりと合わさり、ひとつに溶け合っていく。朝と夜が入り混じるように。
「……ねえ。陣左」
「はい。雑渡様」
「愛してるよ」
「私も、お慕いしております」
光に包まれた世界で、産声をあげよう。闇の中で交わしている息を、今だけは、眩い煌めきのなかで。私たちは唇をそっと重ねると、どちらからともなく笑った。
消えていく命と、一日を生き延びた命。我が世誰そ、常ならむ。
カア、と鴉の鳴き声がした気がした。
花をやるから、どうかお眠り。来世で私たちを殺すがよい。雑渡様の瞳の中に映る自分にそう呟いて、私は再び目を閉じた。
陽が昇っていく。世界が始まっていく。
濃紺の水平線に、一筋の橙色が走ると、そこから眩いばかりの光が生まれ、世界に希望をもたらす。忍者にとっては仕事を切り上げる合図でもある。星々が消えて、鳥が目覚め出すと、我々は己の命の灯がまた一日伸びたことに安堵する。
昨晩、雑渡様の手によって散々愛でられた身体は節々が甘い怠さで重く、喉も掠れていた。それでもこの瞬間、空が白んでいく静寂の一瞬――世界がひっそりと息をするこの時間を、雑渡様の隣で過ごせることが、この上なく至福であった。
「……どうしたの? 起きちゃった?」
「おはようございます、雑渡様」
布団のなかは暖かくて、この中でだけは、全ての人間が赤子と同等に守られている存在になる。我々は母親の胎内から、光を求めて産まれてきた。光を求める性なのだ。障子越しに、世界が目覚めていくのを感じる。
「この時間が、何よりも好きです」
「どの時間?」
「雑渡様と、夜明けを迎える瞬間」
雑渡様は布団の中で私を抱きかかえると、そうだね、と呟いた。雑渡様の声も、低く、掠れている。布団の中でだけ聞ける声だ。私はこれを聞く特権を持っていることが誇らしかった。
「私と愛し合っている時間は?」
「もちろん特別です。けれど、それを経て、一緒に目覚めることが出来るのが、僥倖なのです」
火傷痕が広がる肌を撫でる。出っ張りと窪みのある褐色から鼓動が伝わった。生きている音。生命を紡いでいる音。
雑渡様はいつも、ほんのりと軟膏の匂いがする。この布団にも、白小袖にも染みついているそれを、私は鼻腔一杯に吸い込んだ。愛しさ、というものに形があったなら、きっとこんな温度なのだろう。
障子戸の向こうがすっかり明るくなった。雑渡様は私の髪を遊びながら、そうだそうだ、すっかり忘れていた、と呟いた。私は彼の口元を見上げる。
「昨日、鴉を一匹、殺してしまったのだけれど」
「……からすを」
「そう。弾かれた手裏剣が当たってしまってね、罪もない命を。弔うのを忘れていたよ」
「……今日、弔いましょう。墓を建て、花を添えましょう」
「この手を汚した数なんて、気にしていたら先に進めないのにね」
「雑渡様の手は綺麗です。私が保証します」
「……お前は変わらないね」
雑渡様の手が私の頬を撫でる。その手の上から、私の手を重ねた。肌と肌はぴとりと合わさり、ひとつに溶け合っていく。朝と夜が入り混じるように。
「……ねえ。陣左」
「はい。雑渡様」
「愛してるよ」
「私も、お慕いしております」
光に包まれた世界で、産声をあげよう。闇の中で交わしている息を、今だけは、眩い煌めきのなかで。私たちは唇をそっと重ねると、どちらからともなく笑った。
消えていく命と、一日を生き延びた命。我が世誰そ、常ならむ。
カア、と鴉の鳴き声がした気がした。
花をやるから、どうかお眠り。来世で私たちを殺すがよい。雑渡様の瞳の中に映る自分にそう呟いて、私は再び目を閉じた。
陽が昇っていく。世界が始まっていく。