雑高

 雪の中、白い息を吐き出す。曇天にそれは細長く溶けていきながら、私の肺を少し焦がした。口の中の苦みを転がし、身震いをひとつする。マンションの一室である職場は室内全面禁煙で、こんな時にはベランダに出るしかなかった。ウルトラライトダウンだけではさすがに寒い。怠けずにコートを羽織ってくればよかった。ラックに掛かっているのを取りにいけばいいだけなのに、何故だか億劫になってしまった。
「雑渡さん」
 カラカラと窓が開いたかと思うと、室内の暖かな空気が漏れ出て足元を撫でた。陣左が顔を出し、寒さに驚いたのか空を見上げた。
「寒いですね」
「もうタバコ休憩終わり? あっという間だなあ、一本きっかりなんだもん」
 最後の煙を陣左と反対方向に顔を向けて吐き出した。見なくても陣左が寂しそうな顔をしたのがわかる。
「なあに? 顔に吹きかけてほしかった?」
「……ここ、職場ですよ」
「ごめんごめん」
 携帯灰皿に吸い殻を放り込み、苦みを上書きするように凛とした空気を吸い込んだ。陣左はそれを何も言わずに見上げる。
「……私も、吸えたらよかったのに」
「陣左はだーめ」
 陣左は二十歳を超えてから、私の真似をしたがって、タバコに手を出そうとした。私と同じ銘柄をコンビニで買い、このベランダで思いっきり吸い込んだ最初の一本、咽て咽て大変だったのが記憶に新しい。咳き込んで、涙とえづきが止まらなく、水を持ってきてやったっけ。この話をすると、陣左は面白いくらい顔を赤らめる。
 そこから何度か、私に隠れて吸おうと果敢に挑んだらしいが、どれも咽て大敗したそうだ。吸えなかった分のタバコを涙目で私に差し出しながら、「本当はあなたにだって吸ってほしくないのに」と言った彼の、眉間に寄った皺を覚えている。
「嫉妬?」
 陣左にそう聞いたことがある。私の吸う、指先の白い筒を、いつも恨めしそうに見るからだ。寂しいならお前の口を吸ってやろうか、と言ってみると、図星だったのか、陣左はなにやらモゴモゴと言ったあとに俯いてしまった。タバコの味のキスがクセになったのはその頃だったように思う。
 雪は降り続いている。この調子だと積もるだろう。レインブーツで来ればよかったな、と思いながら立ち上がって、大きな伸びをした。陣左は「コーヒーを淹れましたので、よければ」と言いに来たようだった。用件を伝え終わった彼はくしゃみを二度して、鼻の頭を赤くする。
「寒いでしょ。中に戻ってから言ってくれればよかったのに」
「……いえ。外の空気を吸いたかったので」
「うそ。タバコに文句言いに来たんでしょう」
「それもうそです。タバコの残り香を嗅ぎにきました。あなたの香りなので」
「……ここ、職場だよ」
「ふふふ。仕返しです」
 仄かに笑った陣左は少し得意気で、私はその表情に誘われ、つい唇に唇を寄せてしまう。私から与えられる苦みをひと舐めした陣左はしたり顔で、
「これが私のタバコ休憩でした」
 と言ってのけた。私はそれにやれやれと溜息を吐きながら、彼の後に続いて室内に帰る。暖かさの圧が暴力的なまでに身体を包み、外との気温差で私もくしゃみが出た。
 陣左の淹れてくれたコーヒーで目を覚まし、仕事に戻る。いつものマグカップを置くためのコースターの横に、個包装されているチョコレートが二粒置いてあった。ポストイットに、陣左の字で「口寂しいならこれを」と書いてあった。
 なんだ、やっぱり嫉妬しているんじゃないか。私はニヤけそうになるのを堪えながら、ありがたかくチョコを摘まむ。
 カカオ70パーセントのチョコレートは噛みしめるとほんのり苦くて、陣左のさりげない嫉妬攻撃に、やはりまた口元を隠すのだった。
 今度はこのチョコの味のキスをしてやろう。陣左に目配せをすると、全てお見通し、という顔をされてしまった。
 タバコは残り何本あったろう。次の休憩時間まで、あと。
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