雑高
動物園というものに初めていくことになり、私にとってはなんだか月面着陸のような気分だった。
雑渡さんが急にカバを見たくなったというのが事の発端だが、私が動物園未経験であることを知った際には大げさに右眼を見開いて驚かれた。「パンダ見たことないの?」と聞かれ、ないですと答えると、「しっぽは実は白いんだよ」と得意げな顔でおっしゃられたが、あいにくとその知識はある。ちなみにパンダは現在、日本のどこにもいない。雑渡さんは残念がっていた。
そんなもので月面着陸し、園内を巡っていく。キリンやしまうまなんかを見ながら、檻に閉じ込められて見世物にされる気持ちをどうしても考えてしまう。これはみなが抱く当たり前の感情なのだろうか、それとも私が醒めているのだろうか。悶々としていると、雑渡さんが私の目の前で手を振る。
「余計な事考えているでしょう」
「すみません」
ここを飛び出せたなら、彼らはどこへ行きたいだろうか。ここで生まれここで生かされている以上、外の世界を知らないのか。ガラス戸の向こうのコンドルを見る。ゾウの芸を見る。
「つまらない?」
「いえ、面白いです」
オレンジジュースを売店で買い、二人でベンチに座った。野生の鳥が大量に飛び交っている。彼らは檻の中を知らない。
「カバ、大きかったね」
「思ったより大きかったですね」
雑渡さんは満足げに頷いた。彼の目的が果たされているならばよかった。
「どうして急にカバを見たくなったのですか?」
「口が大きいのが好きなんだよね。人もそう」
雑渡さんの指がふいに私の唇をなぞった。オレンジジュース味の喉がどくりと鳴る。
「公共の場です」
「陣左の好きなところはたくさんあるけれど、私の前でご飯をがつがつ食べているのを見るのも好きなんだよね」
お恥ずかしい、元来大食いなのだ。しかしそんな自分を見て連想したのがカバとは。
「いやね、陣左の美しさは形容できないんだよ。なんだろう、白馬とか孔雀とか鷲とか、例えることは出来るんだけど、それだけじゃ足りないくらい美しいんだよ、お前は」
「は、はあ」
「美人が常に横にいると、自分の美醜感覚がおかしくなるんだ……」
雑渡さんが頭を抱えているのを、飛び交う鳥がちらちらと見ている。見るな。私の雑渡さんだ。
「だから、カバが見たくなったんだ……」
「……さ、さようですか」
雑渡さんの考えの全てを理解するのは難しいが、寄り添いたいとは思う。二人でオレンジジュースを飲み干した。オレンジジュースは瑞々しくて、ほんのりと汗をかいた身体に染みわたっていく。あのカバやら熊やらも、飲めればいいのに。
「さて、オオカミ見に行こう。オオカミは特別好き」
「行きましょう」
雑渡さんを動物に例えるならば、なんだろうか。何に例えても足りない。足りないくらい、格好良くて優しくて、追いつけない高みにいらっしゃって、愛おしい。何に例えても、足りない。
「陣左が人間でよかった。こうして一緒にいられる」
雑渡さんがそう言って、私の空になった容器を受け取り、まとめてゴミ箱に入れた。私はその広い背中を見て、人間同士でも真にひとつになることの難しさ、もどかしさ、歯がゆさを思い知る。
鳥たちが一斉に飛び立った。自由を謳歌するがいい。私たちも人間らしいペースで歩いていくから。
雑渡さんが急にカバを見たくなったというのが事の発端だが、私が動物園未経験であることを知った際には大げさに右眼を見開いて驚かれた。「パンダ見たことないの?」と聞かれ、ないですと答えると、「しっぽは実は白いんだよ」と得意げな顔でおっしゃられたが、あいにくとその知識はある。ちなみにパンダは現在、日本のどこにもいない。雑渡さんは残念がっていた。
そんなもので月面着陸し、園内を巡っていく。キリンやしまうまなんかを見ながら、檻に閉じ込められて見世物にされる気持ちをどうしても考えてしまう。これはみなが抱く当たり前の感情なのだろうか、それとも私が醒めているのだろうか。悶々としていると、雑渡さんが私の目の前で手を振る。
「余計な事考えているでしょう」
「すみません」
ここを飛び出せたなら、彼らはどこへ行きたいだろうか。ここで生まれここで生かされている以上、外の世界を知らないのか。ガラス戸の向こうのコンドルを見る。ゾウの芸を見る。
「つまらない?」
「いえ、面白いです」
オレンジジュースを売店で買い、二人でベンチに座った。野生の鳥が大量に飛び交っている。彼らは檻の中を知らない。
「カバ、大きかったね」
「思ったより大きかったですね」
雑渡さんは満足げに頷いた。彼の目的が果たされているならばよかった。
「どうして急にカバを見たくなったのですか?」
「口が大きいのが好きなんだよね。人もそう」
雑渡さんの指がふいに私の唇をなぞった。オレンジジュース味の喉がどくりと鳴る。
「公共の場です」
「陣左の好きなところはたくさんあるけれど、私の前でご飯をがつがつ食べているのを見るのも好きなんだよね」
お恥ずかしい、元来大食いなのだ。しかしそんな自分を見て連想したのがカバとは。
「いやね、陣左の美しさは形容できないんだよ。なんだろう、白馬とか孔雀とか鷲とか、例えることは出来るんだけど、それだけじゃ足りないくらい美しいんだよ、お前は」
「は、はあ」
「美人が常に横にいると、自分の美醜感覚がおかしくなるんだ……」
雑渡さんが頭を抱えているのを、飛び交う鳥がちらちらと見ている。見るな。私の雑渡さんだ。
「だから、カバが見たくなったんだ……」
「……さ、さようですか」
雑渡さんの考えの全てを理解するのは難しいが、寄り添いたいとは思う。二人でオレンジジュースを飲み干した。オレンジジュースは瑞々しくて、ほんのりと汗をかいた身体に染みわたっていく。あのカバやら熊やらも、飲めればいいのに。
「さて、オオカミ見に行こう。オオカミは特別好き」
「行きましょう」
雑渡さんを動物に例えるならば、なんだろうか。何に例えても足りない。足りないくらい、格好良くて優しくて、追いつけない高みにいらっしゃって、愛おしい。何に例えても、足りない。
「陣左が人間でよかった。こうして一緒にいられる」
雑渡さんがそう言って、私の空になった容器を受け取り、まとめてゴミ箱に入れた。私はその広い背中を見て、人間同士でも真にひとつになることの難しさ、もどかしさ、歯がゆさを思い知る。
鳥たちが一斉に飛び立った。自由を謳歌するがいい。私たちも人間らしいペースで歩いていくから。
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