雑高

「陣左どうしよう、イルカの名前が本当にジンザになっちゃった」
 雑渡さんの帰宅早々の一言目に、私はひっくり返ってしまった。頭を打ち、視界にはひよこが飛ぶ。慌てて私をソファへ運んだ雑渡さんはひどく狼狽えていた。
「なぜなのですか」
「他と被らない音だからって……」
 雑渡さんは、水族館でイルカのトレーナーをやっていらっしゃる。先日、新しいイルカがやってきたとかで、名前を公募していたのだ。雑渡さんはその名前応募BOXに、戯れに「ジンザ」と書いた紙を投函した。
「だって、愛しい子の名前が選ばれたら嬉しいかなって」
 そのイルカの名付けの発表が、ちょうど今日だったのだ。名前の候補には、シブキ、イブキ、フブキなどが並んでいたにも関わらず、イルカがジャンプして選んだのが、なんとジンザだったらしい。
 私は憤慨した。
「恋人のあだ名を候補に入れるトレーナーがありますか!」
 小説家と恋人になれば作品に書かれる。漫画家と恋人になれば作品に描かれる。バンドマンと恋人になれば歌にされる。世の理だ。
 だからって、イルカのトレーナーと付き合ったらイルカの名前にされるなんて、どこの誰が思うか!
「これからは私、他のオトコにジンザと呼んで、躾をしなければならない」
「イルカのことオトコって呼ぶのやめてください」
「ジンザに、ジャンプ! とか、 ターン! とか言わなきゃいけない」
「言ったらいいじゃないですか、お客は喜ぶでしょう」
 頭がくらくらしてきた。雑渡さんが私以外の生き物に私だけの呼び名をつけてしまったことは許しがたいが、相手はイルカだ。ステゴロで戦っても私が勝つだろう。ジンザの座を譲るわけにはいかない。
「陣左も、私がジャンプって言ったらジャンプしてくれる?」
「え? まあ、しますけど……」
「よかった」
 ジャンプどころか、夜中にどんな願い事も聞き入れいてるというのに、この人は今更なにを言っているのか。眩暈がおさまった私はずり落ちたふりふりエプロン――雑渡さんの趣味――の肩ひもをかけ直し、立ち上がった。お味噌汁に豆腐を入れなければ。
「陣左」
「はい」
「ジャンプ!」
 呆れた顔のまま、私はジャンプする。ぴょん。雑渡さんはきゃっきゃと笑い、手を叩いた。
 あなたがそれでいいなら、いいですけど。深いため息を吐いて、私は台所へと戻った。ハート型のハンバーグ・メロメロ大作戦は、イルカのせいで失敗に終わりそうだった。
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