雑高

 鳩尾に一発、大きく蹴りを入れた。背後の木に全身を叩きつけられた男は胃液を吐きながら倒れた。私は男の胸元に手を差し入れる。狙っていた密書があった。痙攣している手が私の手を掴んでも、その力は微かなもので、なんの脅威でもなかった。そう思っていたのに。
 男は、私の手の上に、ぽろりと花を吐いた。黄色い花が次々と口から零れ、私の手の上に降った。私の肌の上を舐めながら落ちていく花は毒々しく鮮やかで、思わず肌が粟立つ。私の手を掴んだまま男はにやりと口角を上げ、気を失った。まるで復讐を果たしたかのような眼光だった。一体なぜ男が私に花を浴びせたのかわからずじまいだったが、その意味を後ほど知ることになる。
 奇病を移されたと知ったのは、それから間もなくのことであった。夜の内に陣地へ戻り、密書を提出し任務は無事完了した。組頭に「よくやったね」と褒めていただいた時に、体内から何かが込み上がってくる感覚が襲う。私は走ってその場を去り、誰の影もない森の奥まで辿り着いた。血の匂いに酔ったか、寝不足と興奮か、と逡巡しつつ口に指を突っ込み、嘔吐を促す。私の喉奥から吐き出されたのは、あの男が吐いたのと同じ、黄色い花であった。
 私はぞっとした。あの男の呪いだと思った。あの男は、私を同じ目に合わせるために、私に花を触れさせたのだ。胃からせり上がってくる異物感にえずくたび、花がぼろぼろと口から溢れた。苦しくて咳き込むと、花弁が口内に張り付いた。涙と汗が土を汚していく。
 いったい何のまやかしなのか。吐瀉物が花だなんて聞いたことがない。私は恐ろしくなって、吐いた物を埋めた。誰にも見られたくなかった。そのうち私の肺は花で満たされるだろう。骨まで花に蝕まれるのだろう。そうして枯れて消えた時、雑渡様は私のことを偲んでくださるだろうか。
 顔中の汁を拭い、何事もなかったかのように陣地へと戻った。雑渡様のお傍に行くのは少し躊躇した。何かを感じ取られてしまう気がした。けれども雑渡様は何も言わずに、ただ梟の声を聞いていた。私から漂っているであろう花の香に気付かない振りをして、雑渡様もホーと鳴いた。
 症状は日に日に重くなっていった。吐く花の量が増えていく。恐ろしさにすっかり食事が摂れなくなり、鏡に映る私の頬はこけていった。雑渡様は何もおっしゃらない。それがありがたい反面、どこか恐ろしくもあった。全てを見透かされている気がした。
 敷地内に、花の墓が増えていく。誰も私が花を埋めていることに気が付かない。花の色は都度違い、今日は真っ赤なものだけを吐いた。まるで血のようだった。どうせなら血を吐いて人として死にたかった。
 ひとつ分かったことがある。雑渡様のことを思うと、吐き気が込み上がるのだ。任務の連絡をしている時は何ともないが、恋焦がれる思いが脳裏を掠めると、花の洪水は私を襲う。きっとそういう病なのだ。恋煩いが許されない病なのだ。十日目、ついに私は倒れた。
 目が覚めると、部屋に寝かされていた。井草の匂いは心安らぐ。頭を動かすと、雑渡様があぐらをかいて私を見下ろしているのが視界に入った。
「おはよう」
「……組頭」
「陣左。私に隠していることがあるね」
 雑渡様は私の頬を撫でた。久方ぶりの接触に、思わず心臓が高鳴った。けれどもそれは不安に変わる。このままではこの方の前で花を吐瀉してしまう。私は努めて冷静であろうとした。
「体調管理も仕事のうちですのに、申し訳ございません」
「陣左。何を隠しているのか言ってごらん」
「……なにも」
「わかっているよ。お前が花を吐いていること」
 頭をぐわんと殴られた心地がした。やはりこの方は全てをお見通しなのだ。私は観念して、全てをお伝えした。
 男から呪いをかけられたこと。日に日に吐く花の量が増えていること。近くの森は私の花の墓で埋まっていること。
 あなたのことを思う度に苦しくなることだけは、心の内に秘めた。
 雑渡様は頬に手をあてて何かを逡巡し、私の上体を抱き起した。
「あのね。不確かなのだけれど、聞いたことがあるんだ」
「何をでございますか」
「その病の治し方について」
「……本当ですか」
「簡単なことだよ。陣左、私のことが好きだろう」
 どくん、と大きく心臓が動いた。首から耳にかけて熱が走り、身体が硬直する。何度も何度も申し上げてはきたものの、この思いだけはずっと特別で、いくらお伝えしても足りやしなかった。私は金魚のようにくちをぱくぱくさせたのちに、ひとつ頷くことしか出来なかった。
「陣左、ちょっと苦しくなるけど、我慢してね」
 雑渡様はそう言うと口布をずらして、私に顔を寄せ口付けた。途端、今までとは比べ物にならない異物感が胃の奥から込み上がってきた。雑渡様を跳ねのけようにも身体を掴まれていて動けず、唇もずらせない。呼吸がままならなくて涙が溢れ出た。苦い体液が身体の中で渦巻いているようで、食道が熱くて痛くて、苦しさに暴れた。
「うう、う、おえ、ぇえッ」
 大きくえずき、身体全身が前のめりになったところで、雑渡様は私の口を解放した。醜い吐瀉姿を見られたくない、と思ったが、口内を掻き分けて出てきたものは、白銀の百合だった。
「げほっ、げほ、う、あ」
「よく頑張ったね」
 雑渡様は私の背を大きな手でさすった。私は何が起きたのかわからず、肩で息をしながら、今しがた自分の身体から出現した白銀の百合を見つめた。今まで吐いてきたどの花とも違う神々しさがあった。
「陣左が患っていたのは、花吐き病と言って、片思いをしていると患ってしまうものだったんだよ。吐いた花に触れると罹患する」
「……片思い」
「私たちは両思いだろう。私もずっとお前の思いに応えてきたと思ったのだけれど、伝わってなかったかな」
「そんなこと」
「だからね。両思いになると、この病は治まるんだ。白銀の花がおしまいの合図」
 それならば。あの男は、叶わぬ恋をしていたのだろうか。自分にかかった呪いを味わわせようと私に触れさせておきながら、死ぬ間際に想い人のことを思い出しただけに過ぎなかったのだろうか。
 雑渡様は再び私の頬を指で撫でながら、「ごめんね」と呟いた。
「こう見えて、私はたまに臆病だ。ちゃんと、愛を伝えるようにするよ。陣左が不安に駆られないように」
「……お慕いしております。あの頃からずっと」
「知ってるよ」
 雑渡様の身体はあたたかかった。私は百合の墓を思った。これはどこに埋めてやるのがいいだろうか。いっそ川に流してしまうのがいいだろうか。一筋流れた涙をこっそり拭った。もう泣く必要などはなかった。きっと雑渡様には、これもお見通しなのだろうけれど。
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