雑高
ベッドで戯れていた。
スプリング硬めのマットレスの上に、夏用の綿のシーツ。サッカー織りで、肌触りが良い。雑渡様は壁を背もたれにするように座り、私は横たわっていた。まだ熱が冷めない。雑渡様の太腿の上に頭を乗せていた。雑渡様の頭部を触ると、短く切りそろえられた黒髪が美しい。
暑いから陽射しを避けたい、という理由と、誰にも見られたくない、という理由で、真昼だがカーテンを閉めていた。カーテンを開けたところで、向かいは隣のマンションの壁だから、誰に見られることもない。けれど、秘密というものは、それだけで熱を孕む。カーテンを閉める程度のことで快感が強まるのなら、そうするのは自然なことだった。
雑渡様も私の髪を撫でた。夏用に刈り上げたうなじがくすぐったい。彼にこうして触られるのは好きだった。愛という不確かなものがここにある気がする。
ただ、雑渡様が、私のどこを好いているのかは、あまりわからない。こうしてうす暗い部屋の中で戯れているあいだ、好きです、好きです、と何度となく伝える十回のうち、一回は「好きだよ」と返してくださるから、好かれているというのはわかるけれど。
「陣左は綺麗だねえ」
雑渡様はそう言って、私の頭を撫でていた手を頬まで滑らせた。汗で冷えた肌に、あつい手のひら。吸い付くようだった。
「陣左は美しいよ」
頬にあった手は、唇へ。なぞられてくすぐったかったので、甘く噛んでみると、「だめだよ」と言って制されてしまった。まるで幼い子供をあやすように。
「雑渡様も、お綺麗ですよ」
「うそ。こんな外見だよ」
雑渡様は、生まれつき左眼が見えない。瞳孔は白く濁っているので、普段はアイパッチをしている。そして彼はさらに、生まれつきスカーフェイスだ。左顔面に、火傷痕のような痣が広がっている。
けれど、私は彼を、美しいと信じてやまない。
手は耳へと流れていった。輪郭をなぞったのち、耳朶をつままれる。
「陣左は、ピアスあけないの?」
つままれた箇所は痛みを感じない。穴をあけるには、きっともってこいの部分なんだろうなと感じた。
「いやです」
「いやなの?」
「雑渡様に愛される身体の箇所を、微塵も欠かしたくありません」
「そんなこと」
雑渡様はからからと笑った。反対の手で自分の耳朶を引っ張りながら、なるほどねえ、と呟く。
「ピアス穴ごと愛してあげるのに。そうだ、私も開けるよ。おそろいにしようよ」
「だめです」
今度は私が雑渡様を制す番だった。私は起き上がって、雑渡様の耳を触る。形のいい耳だ。雑渡様の全てを愛していた。
「雑渡様の身体の一部が欠けるなんて、許せません」
お前は真面目だねえ、と言って、雑渡様は私の鼻をつまんだ。真面目。真面目とはなんだろうか。少なくとも私は、「親から貰った身体に傷をつけたくないから」とは言っていない。真面目とは、そういうことを言うんじゃないだろうか。
シーツが波立つ。皺と皺の間で、私たちの指が交わった。さっきまで汗だくで繋いでいて、シーツもそれを存分に吸い込んでいるはずだ。洗濯をしないと、と遠い部分の脳で思った。
「私が開けてあげるのに」
「あなたから愛されているこの身体に傷をつけたくないのです」
雑渡様は「おそろいが出来るのに」と、しばらく駄々をこねた。私はあける気など毛頭ないので、断固として反対し続ける。カーテンの隙間から漏れる光が、部屋の中の影を揺らした。夏の匂いが満ちていた。
「お前に唯一、傷をつけられる部分なのに。お前を傷つけるのは、私でありたいのに」
「滅相もない。あなたが愛を零さなくなるだけで、私は傷つきますよ」
「物理的な話」
私はもう一度「だめです」と言って、雑渡様にキスをした。怒られはしなかった。話をはぐらかすためのキスは、雑渡様の専売特許だが、こんな時は許されたい。
職場の休憩所にて、山本さんに呼び止められる。手招きをされるので近寄ってみれば、白い小袋を渡された。かさかさの紙の袋だ。
「高坂、そういうのつけるか? 息子が貰ったものなんだが、どうにも趣味じゃないと」
小袋を手のひらに傾けてみると、小さな石が出てきた。否、アクセサリーだ。黒い石のピアスが二セット。
「もったいないから、貰ってやってくれないか」
「申し訳ないのですが、私もピアスは開いてなくて」
ピアスを小袋に戻そうとすると、山本さんがそれを止めた。よく見てごらんと言うように、ピアスを指さす。太く、骨ばった指だ。
「マグネットらしい。穴が開いていなくてもつけられるそうだ」
「マグネットピアス……?」
キャッチャーの部分を弄ってみると、ぱかっと身が離れた。確かに磁石でくっついていた。なるほど、これなら自分でもつけられる。
「そうか、お前も開いていなかったか。でもちょうどよかったな」
「ありがとうございます」
「二セットあるから、昆とでもつけたらどうだ。あいつも開いてなかったろう」
私が言葉に詰まっていると、山本さんはすべてお見通しだとでも言うように笑い、手を振ってその場を離れていった。残された私は赤面するほかない。手の中のピアスの石がきらきらとかがやく。黒い石。石の名前までは詳しくなかった。
「お渡ししたいものがあります」と連絡をしてみれば、雑渡様からは二つ返事で「今夜ごはんでもどう?」と誘われる。するりするりとレストランの予約までされていき、私ははらはらと胸を高鳴らせた。プレゼントなんて久しくしていなかった。雑渡様はなんとおっしゃるだろう。
私は閃いた。先に私がピアスを付けていたら、雑渡様は驚くだろうか。彼の気を引きたいという理由だけで、私ははじめてピアスを耳に付けた。マグネットが引きあう痛みなど最初の違和感のみで大してなく、少し引っ張ってみても取れる気配はなかった。黒い石が白い耳朶に輝くのは、新鮮な見た目だった。
「雑渡様」
駅で待ち合わせをするのは、慣れたものだった。雑渡様は背が高いので、見つけるのが容易なのだ。私はかけよって、息が弾むの落ち着ける。見上げると、雑渡様は驚いた顔で私を見つめていた。否、私の耳朶を。
「それ、誰に開けられたの」
「ちがうのです、これは」
「ねえ。陣左を傷つけるのは私だけって、言ったよね」
雑渡様は手を伸ばし、私の耳朶を摘まんだ。顔は笑っておらず、声も低い。静かな怒りが滲み出ていた。
「……このまま、引きちぎっちゃおうか」
ピアスが引っ張られる。くん、と重力が感じられる。私は微笑んだ。彼の嫉妬を浴びるのは、愛のうちのひとつだと思えたからだった。
「穴は開いていないのです。これはマグネットピアスです」
「……マグネット?」
雑渡様は目をひらいて驚いた。私はそれをくすくすと笑う。ポケットの中から、紙の小袋を取り出して、もう一セットのピアスを取り出して、雑渡様に差し出した。雑渡様はそれを手の中で弄り、マグネットであることを確認したのち、「なんだ、つまらない」と言った。
「これで、身体を傷つけずに、雑渡様とおそろいが出来ます」
差し上げます。そう言うと、雑渡様は少し逡巡したのち、自分の耳にそれを付けた。黒い石は小さいけれど存在感があって、顔周りを華やかにさせる。雑渡様の雰囲気にとても似合っていると思った。
「似合う?」
「似合っています」
「ふふ。ありがとう」
雑渡様は私の隣に立ち、さりげなく腰に手を回した。磁力で引き合うピアス、傷つかずに貫かれる身体。
「陣左は、傷つかずにいてほしいなあ」
雑踏のなか、ホームのアナウンスが微かに聞こえてくる。行き交う人々の色彩がビビッドで、夏は目に眩しい季節だと再認識させられた。革靴とヒールが床を蹴り上げていく。そのなかを縫いながら、私たちはまっすぐに進んだ。
「一生、綺麗なままでいてほしい」
雑渡様を見上げると、ピアスがきらりと光って、彼の横顔を際立たせた。美しいのはこの人だ、と思う。美しいというのは、あなたのような人のことを言うのですよ、と伝えたかった。獣のように熱に浮かされたり、傷つけたがったり、そのくせ人並に嫉妬するような、ああ、これが愛というものなのか。愛という不確かなもの。夏の輝き、横顔のきらめき。
「ねえ、指輪、買いに行かない? 傷つかないおそろいとして」
話をはぐらかすためのキスの代わりの、とてつもない衝撃に、私は今日何度目かの赤面をした。
スプリング硬めのマットレスの上に、夏用の綿のシーツ。サッカー織りで、肌触りが良い。雑渡様は壁を背もたれにするように座り、私は横たわっていた。まだ熱が冷めない。雑渡様の太腿の上に頭を乗せていた。雑渡様の頭部を触ると、短く切りそろえられた黒髪が美しい。
暑いから陽射しを避けたい、という理由と、誰にも見られたくない、という理由で、真昼だがカーテンを閉めていた。カーテンを開けたところで、向かいは隣のマンションの壁だから、誰に見られることもない。けれど、秘密というものは、それだけで熱を孕む。カーテンを閉める程度のことで快感が強まるのなら、そうするのは自然なことだった。
雑渡様も私の髪を撫でた。夏用に刈り上げたうなじがくすぐったい。彼にこうして触られるのは好きだった。愛という不確かなものがここにある気がする。
ただ、雑渡様が、私のどこを好いているのかは、あまりわからない。こうしてうす暗い部屋の中で戯れているあいだ、好きです、好きです、と何度となく伝える十回のうち、一回は「好きだよ」と返してくださるから、好かれているというのはわかるけれど。
「陣左は綺麗だねえ」
雑渡様はそう言って、私の頭を撫でていた手を頬まで滑らせた。汗で冷えた肌に、あつい手のひら。吸い付くようだった。
「陣左は美しいよ」
頬にあった手は、唇へ。なぞられてくすぐったかったので、甘く噛んでみると、「だめだよ」と言って制されてしまった。まるで幼い子供をあやすように。
「雑渡様も、お綺麗ですよ」
「うそ。こんな外見だよ」
雑渡様は、生まれつき左眼が見えない。瞳孔は白く濁っているので、普段はアイパッチをしている。そして彼はさらに、生まれつきスカーフェイスだ。左顔面に、火傷痕のような痣が広がっている。
けれど、私は彼を、美しいと信じてやまない。
手は耳へと流れていった。輪郭をなぞったのち、耳朶をつままれる。
「陣左は、ピアスあけないの?」
つままれた箇所は痛みを感じない。穴をあけるには、きっともってこいの部分なんだろうなと感じた。
「いやです」
「いやなの?」
「雑渡様に愛される身体の箇所を、微塵も欠かしたくありません」
「そんなこと」
雑渡様はからからと笑った。反対の手で自分の耳朶を引っ張りながら、なるほどねえ、と呟く。
「ピアス穴ごと愛してあげるのに。そうだ、私も開けるよ。おそろいにしようよ」
「だめです」
今度は私が雑渡様を制す番だった。私は起き上がって、雑渡様の耳を触る。形のいい耳だ。雑渡様の全てを愛していた。
「雑渡様の身体の一部が欠けるなんて、許せません」
お前は真面目だねえ、と言って、雑渡様は私の鼻をつまんだ。真面目。真面目とはなんだろうか。少なくとも私は、「親から貰った身体に傷をつけたくないから」とは言っていない。真面目とは、そういうことを言うんじゃないだろうか。
シーツが波立つ。皺と皺の間で、私たちの指が交わった。さっきまで汗だくで繋いでいて、シーツもそれを存分に吸い込んでいるはずだ。洗濯をしないと、と遠い部分の脳で思った。
「私が開けてあげるのに」
「あなたから愛されているこの身体に傷をつけたくないのです」
雑渡様は「おそろいが出来るのに」と、しばらく駄々をこねた。私はあける気など毛頭ないので、断固として反対し続ける。カーテンの隙間から漏れる光が、部屋の中の影を揺らした。夏の匂いが満ちていた。
「お前に唯一、傷をつけられる部分なのに。お前を傷つけるのは、私でありたいのに」
「滅相もない。あなたが愛を零さなくなるだけで、私は傷つきますよ」
「物理的な話」
私はもう一度「だめです」と言って、雑渡様にキスをした。怒られはしなかった。話をはぐらかすためのキスは、雑渡様の専売特許だが、こんな時は許されたい。
職場の休憩所にて、山本さんに呼び止められる。手招きをされるので近寄ってみれば、白い小袋を渡された。かさかさの紙の袋だ。
「高坂、そういうのつけるか? 息子が貰ったものなんだが、どうにも趣味じゃないと」
小袋を手のひらに傾けてみると、小さな石が出てきた。否、アクセサリーだ。黒い石のピアスが二セット。
「もったいないから、貰ってやってくれないか」
「申し訳ないのですが、私もピアスは開いてなくて」
ピアスを小袋に戻そうとすると、山本さんがそれを止めた。よく見てごらんと言うように、ピアスを指さす。太く、骨ばった指だ。
「マグネットらしい。穴が開いていなくてもつけられるそうだ」
「マグネットピアス……?」
キャッチャーの部分を弄ってみると、ぱかっと身が離れた。確かに磁石でくっついていた。なるほど、これなら自分でもつけられる。
「そうか、お前も開いていなかったか。でもちょうどよかったな」
「ありがとうございます」
「二セットあるから、昆とでもつけたらどうだ。あいつも開いてなかったろう」
私が言葉に詰まっていると、山本さんはすべてお見通しだとでも言うように笑い、手を振ってその場を離れていった。残された私は赤面するほかない。手の中のピアスの石がきらきらとかがやく。黒い石。石の名前までは詳しくなかった。
「お渡ししたいものがあります」と連絡をしてみれば、雑渡様からは二つ返事で「今夜ごはんでもどう?」と誘われる。するりするりとレストランの予約までされていき、私ははらはらと胸を高鳴らせた。プレゼントなんて久しくしていなかった。雑渡様はなんとおっしゃるだろう。
私は閃いた。先に私がピアスを付けていたら、雑渡様は驚くだろうか。彼の気を引きたいという理由だけで、私ははじめてピアスを耳に付けた。マグネットが引きあう痛みなど最初の違和感のみで大してなく、少し引っ張ってみても取れる気配はなかった。黒い石が白い耳朶に輝くのは、新鮮な見た目だった。
「雑渡様」
駅で待ち合わせをするのは、慣れたものだった。雑渡様は背が高いので、見つけるのが容易なのだ。私はかけよって、息が弾むの落ち着ける。見上げると、雑渡様は驚いた顔で私を見つめていた。否、私の耳朶を。
「それ、誰に開けられたの」
「ちがうのです、これは」
「ねえ。陣左を傷つけるのは私だけって、言ったよね」
雑渡様は手を伸ばし、私の耳朶を摘まんだ。顔は笑っておらず、声も低い。静かな怒りが滲み出ていた。
「……このまま、引きちぎっちゃおうか」
ピアスが引っ張られる。くん、と重力が感じられる。私は微笑んだ。彼の嫉妬を浴びるのは、愛のうちのひとつだと思えたからだった。
「穴は開いていないのです。これはマグネットピアスです」
「……マグネット?」
雑渡様は目をひらいて驚いた。私はそれをくすくすと笑う。ポケットの中から、紙の小袋を取り出して、もう一セットのピアスを取り出して、雑渡様に差し出した。雑渡様はそれを手の中で弄り、マグネットであることを確認したのち、「なんだ、つまらない」と言った。
「これで、身体を傷つけずに、雑渡様とおそろいが出来ます」
差し上げます。そう言うと、雑渡様は少し逡巡したのち、自分の耳にそれを付けた。黒い石は小さいけれど存在感があって、顔周りを華やかにさせる。雑渡様の雰囲気にとても似合っていると思った。
「似合う?」
「似合っています」
「ふふ。ありがとう」
雑渡様は私の隣に立ち、さりげなく腰に手を回した。磁力で引き合うピアス、傷つかずに貫かれる身体。
「陣左は、傷つかずにいてほしいなあ」
雑踏のなか、ホームのアナウンスが微かに聞こえてくる。行き交う人々の色彩がビビッドで、夏は目に眩しい季節だと再認識させられた。革靴とヒールが床を蹴り上げていく。そのなかを縫いながら、私たちはまっすぐに進んだ。
「一生、綺麗なままでいてほしい」
雑渡様を見上げると、ピアスがきらりと光って、彼の横顔を際立たせた。美しいのはこの人だ、と思う。美しいというのは、あなたのような人のことを言うのですよ、と伝えたかった。獣のように熱に浮かされたり、傷つけたがったり、そのくせ人並に嫉妬するような、ああ、これが愛というものなのか。愛という不確かなもの。夏の輝き、横顔のきらめき。
「ねえ、指輪、買いに行かない? 傷つかないおそろいとして」
話をはぐらかすためのキスの代わりの、とてつもない衝撃に、私は今日何度目かの赤面をした。