雑高

 悪夢に魘される。
 重い身体が覆いかぶさってきて、そのあとは、ただひたすらに痛い、そんな夢を。

「陣左。陣左」
 揺り起こされて目を覚ませば、雑渡様が私を見下ろしていた。霞む視界が輪郭を帯びるまでの一瞬の間に事態を理解し、慌てて身を起こす。
「ひどく魘されていたよ」
「すみません、起こしてしまいましたか」
「私は大丈夫だけれど」
 雑渡様は私の額を手で拭った。汗をかいていたらしい。胸の奥に痞える靄に息が詰まり、私は二三度咳をした。雑渡様が私の背中を撫でる。
「夢を見ていたんだね」
「……そのようです」
「覚えていないんだね。それはよかった」
「……ええ」
 低く優しい声に頷いた。覚えていなくていいのだ、悪夢など。私は今、愛しい人の手に包まれている。

 
 父は厳しい人だった。
 高坂家の嫡男として生まれた私に、礼儀作法の全てから、戦い方の所作までを、幼少の頃から叩きこまれた。
 背筋が伸びていない、そんな程度のことでも頭を叩かれた。汗をかきながら剣術の稽古に励んでいる時は、水すら飲ませてもらえなかった。
 私はそのことを誇りに思いながら成長した。愛されているからだと思っていた。
 箸の持ち方で叱咤されようと、夜中に物音を立てたことで折檻されようと、愛ゆえだと思っていた。尊敬する父が自分に興味関心を持ってくれることが嬉しかった。
 やがて私は、自分があらゆる生物の中で一番愛されているのだと、歪んだ思考を持つようになった。
 芋虫が羽化しそうになっているのを、踏みつぶしたことがある。羽ばたこうとするなんて、おこがましいと思った。蝶の羽をむしったこともある。自由に空を泳ぐことは理に反すると思った。美しくあるのは私だけでいいのだと、本気で考えていた。
「おまえは美しいな」
 背が伸びだした頃、父はことあるごとにそう言って私の頬を撫でた。
「美しく成長するに違いない。まだ未熟な果実だ」
 舐めつけるような声に、肌が粟立った。父の目を見上げると、ぬらりと炎が燃えているように見えた。一体何を燃やしているのかはわからなかったが、私を見る時の目つきに、湿り気が帯びるようになっていった。
「すらりと伸びた手足に、鍛えられた筋肉。日に焼けた部分と、白い肌は柔い」
 父は私のうなじを撫でた。その部分が日に焼けているか、白いままなのか、私は見ることが出来ない。
 
 ある日、父に呼び出されて部屋に伺うと、真っ赤な着物を手に持っていた。大輪の花が描かれているそれは、どう見ても女物だ。母が着るには派手すぎる。未婚の若い女性が着るような柄だ。
「これを着なさい」
「……え」
「着なさいと言っているんだ」
 鋭い声に、理由もわからぬまま従う。父の目前で肌を晒しながら女物の着物に袖を通すというのは、なにかの罰のように感じた。
「美しい」
 女用の帯の結び方など知らなかったが、記憶を手繰り寄せてなんとか形にした。父のぎらついた視線に恐怖を感じ、しかし逃げることも出来ず、ただ重い着物を纏って立っていた。
「お前は鼻筋が通っている。私に似て」
「……はい」
「凛々しい眉だ。私に似て」
「……はい」
「目元の涼やかさ、唇の火照り具合は、母に似ている」
「……はい」
 穴が開くほど見られ、背中に汗が伝う。この部屋の空気は淀んでいる。うまく息が吸えない。帯をきつく締めすぎたのかもしれない。いや、それだけではない。ねっとりとした父の声に喉が締め付けられている。
「美しい」
 父はゆっくりと私に近付き、帯を解いた。せっかく結んだのに、と瞬間的に思ったと同時に、身の危険を感じ取った。しかし、父に反抗した幼少の頃、酷い折檻をされた記憶が蘇り、声が出ない。
 身体が震えて硬直し、抵抗できなかった。
 帯が解かれ、着物の前がはだけると、父は私を押し倒した。覆いかぶさる身体から落ちる影が異様に濃くて、顔が見えなかった。
 かさついた手が、私の肌を撫でまわした。隅々まで、舐めるように。その感触が気持ち悪くて、しかし着物に縫い留められて手が動かず、足をばたばたとさせることしか出来なかった。
「抗うな」
 鈍い痛みが頬を殴った。じんじんと広がる痛みに涙を堪えていると、下帯に手がかけられた。
「い、いやだ」
「黙りなさい」
「いやでございます、いやでございます」
「黙れ」
 もう一度、今度は鈍器で殴られたように酷い痛みが頭に響いた。口の中に錆の味が広がった。
 太腿を撫でたのち、手は又坐へと伸びた。陰茎を笑われたあと、蟻の戸渡をなぞり、菊門に指を這わされる。
 気持ち悪さに吐き気が込み上げる。そこから先は、痛みしか覚えていない。
 のしかかる身体が重かった。大きな影が視界を覆い、真っ暗だった。
 痛かった。痛かった。
 悲しかった。
 愛なんかじゃないことに気付いてしまった。
 私に向けられていたのは、汚らわしい獣欲だったのだ。
 全てが終わり、部屋に転がされたあと、私の下半身には血が流れていた。それは真っ赤な着物に滲み、消えない跡を残した。

 そこからの日々は、ずっと靄がかかっていた。
 獣は毎晩のように私を呼びたて犯した。夜が来るのが怖くてたまらなくなっていった。あの覆いかぶさる、重たい影が恐ろしかった。
 稽古にも身が入らない。なのに、弱々しい姿をみせると「いつものように」父に叱責される。
 まるで、なにごともなかったかのように。
 私は人目を忍んで吐くようになった。里を少し離れれば、鬱蒼とした森だ。穴を掘り、吐瀉物を隠す日々だった。
 何もかも吐き出して、胃液だけが喉を伝い、苦みに顔を歪めていると、ふと目の前に竹筒が差し出された。
 人の気配に気付かなかった。咄嗟に身構える。
「そう怖がらないで」
 大柄な男がそこに立っていた。目つきの鋭い人だった。
「水だ。飲みなさい」
 私は奪うようにして竹筒を受け取った。水はつめたく、枯れた喉を潤していった。
 全てを飲み干した時、叱られる、と思った。飲み干してしまったことではなく、施しを受けた事、吐いていたことを父に告げ口をされると思った。
「申し訳ございません」
 深々と頭を下げながら、竹筒を渡した。男はびっくりしたようにかたまった後、からからと笑いだした。
「そこは、ありがとうがいいな」
 竹筒を受け取ったのち、男は笑いながら私の頭を撫でた。父以外の手のひらの温度は久しぶりだった。
 なにかの箍が外れて、私は泣き出してしまった。
 男は私が泣き止むまで、ずっと傍にいてくれた。しゃくりあげる私に事情を聞くこともなく、泣き止めと怒ることもなく、背中を撫でてくれていた。
 しばらく泣いたあと、私は改めてお辞儀をする。こんな情けない姿を見せてしまったことを恥じながら。
「男の子はね、泣いて成長していくんだよ。だからいっぱい泣きなさい」
「……あなたも、泣いていたことがあるのですか」
「遠い昔ね」
 じゃあね、と笑って、最後に私の頬を指で拭うと、男はその場から姿を消した。風のようだった。
 私の心のなかに、嵐が訪れた。
 
「母様、母様」
 私は母の元へ駆け寄った。何事ですか、と振り向く彼女は、父と私の関係に、果たして気付いているのだろうか。
「この里で一番背丈のある男性は、いったい誰ですか」
「背丈? この里にはたくさんいらっしゃるから……」
「前髪がこのくらいあって、目のつり上がった、朗らかな」
「ああ、それなら雑渡様じゃないかしら」
 聞けば、父の所属する忍軍の、別の部隊の小頭なのだという。心の嵐が吹きすさぶ。
 あの人のことを、もっと知りたい。
 あの人に、近付きたい。
 どこまでも深い絶望のなかで、ひとすじの希望の芽が、産まれていた。
 
 私は門戸を叩いた。
「どうしても、雑渡さまが小頭を勤めておられる狼隊に入れていただきたい!!」
 嵐は舞い上がった。私はこのために今まで生きてきたのだと思った。

 
 「……落ち着いた?」
 雑渡様の声にこくりと頷き、肩にもたれかかった。
 私はいま、愛に包まれている。
 もう、芋虫を踏みつぶすことはない。蝶の羽をむしることはない。
 私のなかの芽は、花を咲かせている。毒々しい大輪ではなく、一輪の、伸びやかな蔦の花が。いつまでも咲けばいいと願う。
 雑渡様の呼吸に呼吸を合わせながら、目を閉じた。
 宵闇がこっくりと深まり、月光が静かに障子戸から差し込んでいた。
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