雑高

 自分のことを、勤勉な学生である、と思っていた。進学校の中学高校に通い、目指していた大学に入り、日々勉強ばかりしていた。遊びなど何も知らずに過ごしていた。
 ゼミの同級生が騒がしい。耳をそばだてると、「昨日彫ってもらったんだ」という声が聞こえてきた。ワイシャツを捲り上げ、腹を晒しているのを見るに、タトゥーなのだろう。
 将来、若気の至りに後悔してしまったりしないのだろうか。そんなことばかり考えてしまうが、刹那的に自分を痛めつけ飾り付ける彼の眩しさに、どこか憧れた。自分が破れない殻を彼は破っているような気がして、遠い存在が羨ましかった。
「東口から一本入ったとこに、リカバリータトゥー専門店があるんだけどさ、怖くて入れないんだよな。気になってるんだけど」
「お前どこもケガしてないだろ。怖いの?」
「店長が、全身タトゥーまみれでイカツイんだよ。前科持ちの人とかも普通に受け入れてるらしくて、 店が閻魔亭って呼ばれてる」
 閻魔亭。私は何故だかその言葉に非情に惹かれた。私はとても窮屈に生きているが、私の罪を見つけ出してもらえそうな気がしたのだ。私自身の罪がわかりさえすれば、それを贖えば、自由になれると心のどこかで信じていた。
 ――私は、罰されたいのか。
 秘められていた欲望に気付き、心臓が高鳴る。その閻魔に、謁見できるだろうか。東口近く、リカバリータトゥー専門の店。スマホで検索してみると、更新の滞っているチープなホームページが出てきた。
 リカバリータトゥーとは、傷痕などを目立ちにくくする技術らしい。術例を見ると、広範囲のアザや手術後の痕などに花が咲き、蝶が飛んでいた。どれも美しかった。
 ピアスすら開いていない、痛みを知らないこの肌を、傷つけたいと思った。私は誰にも見せたことのない場所に――右足の付け根、陰部の真横に――小さなアザがある。生まれつきだが、親ですらもう忘れているかもしれない。そんな些細なものでも、店で受け付けてもらえるだろうか。その日のゼミには、全く身が入らなかった。
 講義を終えたその足で、駅の東口に向かった。いつもは来ない方面だ。少し治安が悪い。奥まった道の先に、黒い看板が出ていた。独特の筆記体で、店名だと気付くのに時間がかかった。
 店は暗かった。ドアをほんの少し開けてみると、微かに店の中が見えた。全体的に黒い内装で、レジカウンターと、施術台であろうベッドがある。壁に髑髏の柄が飾ってあった。なんとも不気味で、おどろおどろしい雰囲気だった。
「よく来たね」
 低い声が聞こえた。レジの背面の壁に続くドアから、大きな男性が顔を出した。
 一目で、この人が閻魔だと――店長だとわかった。半袖のシャツを前開きにして、全身を曝け出しているが、胸や腹、腕にびっしりとタトゥーが彫られていた。炎の模様で、まるで全身焼かれているように見えた。彫られている部分の肌の色が変色している。火傷痕だろうか。左眼に眼帯をしていて、表情はよくわからない。
 私は、一目見て、その人にどうしようもなく惹かれてしまった。
 不気味であることには間違いない。痛ましさに目を背けたくもなる。マスクもしているから、顔の半分も見えない。なのにどうして、こんなに心惹かれるのか――ああ、やっと出会えた、と思った。
 私の罪を赦してくださる方に、やっと出会えたのだ、と感じた。
「おいで。まずはお話をしようね」
 店長は施術台の前に椅子を出した。私は誘われるがままふらふらと店内に足を踏み入れ、椅子に座る。店長は私の対面に座ると、僅かに目だけで微笑んだ。
「君は綺麗だね」
「……え」
「見た目だけではないよ。なんだか存在が美しいと思ったんだ」
「……そんなこと、考えたこともありませんでした」
 どく、どく、と全身を血液が巡る。手に浮かんだ汗に気付かれたくなかった。私はなんだかどうしようもなく、泣いてしまいそうになった。
「どうしたい?」
 店長の声は、低く優しい。私はずっとこの声に包まれていたいと思った。
「君は、この店で、どうしたい?」
「……ここで働かせてください」
 気付くと、私はそう言っていた。声は震えていた。店長は驚いたそぶりも見せず、ただじっと、私を見ていた。
「働かせてください」
「……なんだか、そう言われる気がしたよ」
 店長はそっと右手を差し出した。腕にはタトゥーがびっしりと刻まれているのに、手だけは綺麗な、そのままの肌であった。
「ようこそ。これからよろしくね」
「……いいのですか」
「ずっと、君に会いたいと思っていた気がする。やっと出会えたね」
 私はその手に手を重ねた。彼の手は温かかった。私の頬に涙が伝った。全てが赦された瞬間だった。

 それから一ヶ月も経たない間に、私は大学を辞めた。両親は激昂した。ほとんど縁を切られたと思う。一人暮らしの部屋を見つけて、貯金をはたいて引っ越した。あの店で働ければ、それでよかった。
 初めは見学からだったから、給料は出なかった。二駅隣のバーのアルバイト募集に応募したら引っかかったので、下働きをしながら暮らしていた。昼から夜はタトゥー店――店名はタソガレトキ、といった――、深夜はバーで働く日々。少しばかり痩せた気がする。
「陣左はさ」
 店長は、私をそう呼ぶ。陣内左衛門だと長いから、と、愛称を与えてくださった。私はそれがどうにもくすぐったくて恥ずかしい。
「いつタトゥーを入れるの?」
「料金が貯まりましたら」
「割引するのに」
「いえ。きちんと対価をお支払いしたいのです」
「まあ、お前がそう言うのならいいけど」
 タトゥーを彫ってもらう時。その時、私は自身の中心を、この方にお見せすることとなる。近頃、そのことばかり考えてしまって、罪悪感なのか、背徳感なのか、名付けられない感情が心を蝕んだ。いずれ、いずれその時が来る。その時までに、どうか気持ちに名前をつけてしまいたかった。
「店長は、どうして炎を刻んだのですか」
「ああ、これ、火事の痕なんだけれど。色々あってね」
 聞かない方がよかったかもしれない、と思ったのは、聞いてしまったあとだった。けれどもあまりにもあっけらんと話すものだから、きっと彼の中で折り合いのついている過去なのだろう。
「まあ、それで、火傷がすごくて。死ぬかと思ったんだ。けれども生き延びてしまったんだ。閻魔様に、まだ来るなと言われたんだろうね。だから、今の内から身体中焼かれていれば、天国にいけるかもしれないと思ってさ。これは、地獄の炎なの」
「……そうでしたか。不躾な質問を」
「いいんだよ。近頃は私自身が閻魔様だなんて呼ばれてるみたいだけれど、ははは。生きてみるもんだね」
 店長はペットボトルのミルクティーをちゃぱちゃぱと振った。私の手の中にも同じものが握られているが、私のはすっかり冷めてしまっている。
「まあ、人々に消えない痕を残しているわけだからね。罪を重ねているようなもんだよね、閻魔様のくせに」
「……私は、どこまでも付いて行きます。地獄でも、お供いたします」
「陣左ならそう言ってくれると思ったよ。けれどもお前はだめ。天国に行きなさい。そんなに美しいんだから」
 私が俯くと、店長はからからと笑った。いいえ、美しくなどないのです。私は言えない言葉をそっと飲み込む。あなたへの言葉にできない思いに、常に身を焦がしております。
 私も地獄の業火に、焼かれ続けているのです。
 ミルクティーを一口飲んだ。味が渋くなりだしていた。苦みに眉を顰めると、やっぱり店長はからからと笑うのだった。
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