その他
部下が一人、殉職した。
彼は自分の顔を潰して亡くなっていた。私がそうしろと教えていたからだ。忍びとして、死ぬ時は顔も名前も残すなと。運よく身体を持って帰れはしたものの、家族へ返すことは出来なかった。
タソガレドキ忍軍の領地の、一番端にある山で、死体を焼いた。肉の焼ける匂いは、いつになっても嗅ぎ慣れない。あんなに自分の身体から漂っていたのに。我々しか知らない墓地へ灰を埋めてやると、彼のいた痕跡はすっかりなくなってしまった。
部下たちは皆、口を開かなかった。思い出を共にした者の悲しみ、明日は我が身と焦る者の恐怖、すべて分かる。分かりはするが、自分が選んださだめだ。私はパンパンと両手を打ち鳴らした。
「さあ、みんな。朝飯を食べよう」
「……腹、減りません」
尊奈門が小さな声で呟いた。私は彼の背中を強く叩いた。衝撃で尊奈門は揺らめき、けつまずく。
「皆は今、生きている。生きているというのは、食べることだ。命に感謝して食べ、精を付けなさい」
陣左が頷き、続いて陣内も頷いた。皆がそれに釣られて、各々頷きだす。私は皆を引き連れて食堂へ向かった。
朝食は、里芋の味噌汁、卵焼き、ひじきの煮物という献立だった。きっと肉の焼ける匂いがしていたら、食欲が失せた者もいたであろう。私たちは揃っていただきますを唱え、あたたかな食事に手を付けた。
どこからか、涙をすする音が聞こえた。五条あたりか。聞こえないふりをして、ひじきを口に運ぶ。私は柔らかいものしか口に出来ないから、たまの固形物が美味かった。ほどよい塩味は、誰かの涙の代わりの気がした。
部下を亡くして、何人になるか。全員の顔も、名前も憶えているが、周りには「数えることを辞めた」と言っていた。私たちの命などちっぽけなものだと、教えなければならなかった。そのちっぽけな命を最大限に利用し、忍務を全うすること。それが私たちにとっての生きるということだ。卵焼きはほんのりと甘く、大根おろしとよく合った。
「組頭」
尊奈門が、私の隣に移動してきた。弱々しい声だ。彼も独り立ちしているとは言っても、まだ若い。他の者よりも悲しみは大きいだろう。
「組頭は小さい頃、どんな子供でしたか」
「ええ、私?」
意外な質問に箸が止まる。食堂にいる者全員が、私たちの会話に耳をそばだてていることがわかる。皆、勝手におしゃべりしていてほしいのに。
「それなら陣内に聞いた方がいいんじゃないかな」
「そうですねえ。ははは、大胆な子でしたよ」
陣内はさすがだ。いつもと声の高さが同じだ。私と同じだけ、いや私よりも、身近な死を沢山経験してきた。気丈に振舞うのに長けている。陣内は卵焼きを食べながら、昔を懐かしむように笑った。
「野良犬がいましてね。凶暴だから、誰も寄り付かなかったのですよ。けれどもあなたは、果敢にも棒を振り回しておっぱらってしまった」
「わあ、私ってヤンチャ」
「組頭にもそんな時代が……」
陣内の笑い声に、食堂の空気が明るくなったように思う。私は私の小さい頃を思い返そうにも、厳しい修行に耐えてきたことしか思い出せず、なかなか愉快な話が出来そうになかった。
「ところで、どうしてそんなことを聞きたいの」
「……みんな。ここにいるみんな、生きてきたんだなって。一人一人に、ちゃんと人生ってあるのだなと」
尊奈門はそう言って、暗く落ち込んだ自分を励ますように、豪快に味噌汁に食らいついた。熱いのだからゆっくり飲みなさいと言う前にあちちと慌てた彼の幼い顔を見て、今度は私が笑ってしまう。
「そうだねえ、皆生きているよ。だから私にとっては、皆が大切。大切だけれど、私の命も同じだけちっぽけだ」
「雑渡様はちっぽけではございません」
「陣左。私とお前の命の価値は同じだってこと。何も特別なんかじゃないんだよ」
陣左は何か言いたそうだったけれど、私はお茶を飲んで知らんぷりをした。そりゃあ私は組頭だ。特別に思われることもあろう。けれど、それがいったいなんだというのだ。部下一人守れなかった私の命の、どこが尊いのか。
食堂はにわかに、賑わいを取り戻していた。そう、賑やかなほうが、故人を偲べるというものだ。今頃この辺にいて、一緒になって笑っているかもしれない。
「今度」
尊奈門が卵焼きの最後を口に入れながら、先ほどより明るい声を出す。食べながらしゃべるのやめなさい。
「今度。墓地に、花を持っていこうと思います。たくさん、たくさん」
「……いいねえ。皆も浮かばれるよ」
「その時、教えてください。先人たちが、どんな人だったのか」
尊奈門はまっすぐな瞳で私を見つめた。ああ、若い。彼の命の灯はずいぶんと逞しい。私も最後の里芋を口内で潰し終え飲み込むと、そうだね、と返した。
「それが逆に、死への恐怖を煽るかもしれないよ」
「いいえ。覚悟の重みです。今まで亡くなった人たちの分まで、我々は、私は生きていかねばならないと、改めて覚悟を決めたいんです」
長烈が「若いなあ」と言ったのが聞こえたので、私は振り返って「だよねえ」と言った。だよねえ、若いよねえ。こうやって若者から、生命力の強さのなんたるかを、日々教えられている。
「私は本気です」
「いいけど、一日かかるよ」
「構いません!」
おかわり貰ってきます、と席を立った尊奈門が、通りがかった席の者たちに「一緒に行こう」と誘っている。これは豪勢な墓参りになりそうだ。花は何がいいだろうか。明るい色がいい。皆が晴れ晴れと見送れるような。
私と陣左、陣内は同時に飯を食べ終え、ご馳走さまと唱えた。命を頂いて、命を繋いでいることのありがたみを、感じずにはいられない。生きることとは食べること。食べることとは生きることだ。
おかわりをよそってもらった尊奈門に、私は「ねえ」と呼びかける。
「今日のお昼の雑炊は、とびきりおいしく作ってね」
「……お任せください!」
今日初めて笑顔を見せた尊奈門は、嬉しそうに米に食らいついた。そうだ、たくさん食べなさい。力を付けて、笑いなさい。
食堂から、泣き声が聞こえなくなった。私は天井を見つめる。
そこにいるかい。この宴はどうだい、お気に召したかい。君はよく、笑いながら飯を食っていたね。次は盆に帰ってきなさい、豪勢な食事でもてなしてやるからね。
尊奈門の「うまい!」という声、陣左の「行儀よく食べられないのか」と注意する声、陣内のやれやれという声。いつもの光景を届けよう。
箸の先が少し欠けていることに、今更気付いた。それでもおいしく食べられたのだから、いいのだ、これで、と思った。食堂のあちこちからご馳走さまでしたという声が聞こえた。
満腹すなわち、しあわせだ。食堂とは、しあわせになれる場所だ。命の弔いを、笑顔でできる場所だ。私はずっとこの場所を守っていかねばならない。命の等しさを、伝えていかねばならない。
食器を戻しに席を立つ。天井の方から、笑い声がひとつ聞こえた気がした。花の色は黄色かな。君の声色に良く似合う。
彼は自分の顔を潰して亡くなっていた。私がそうしろと教えていたからだ。忍びとして、死ぬ時は顔も名前も残すなと。運よく身体を持って帰れはしたものの、家族へ返すことは出来なかった。
タソガレドキ忍軍の領地の、一番端にある山で、死体を焼いた。肉の焼ける匂いは、いつになっても嗅ぎ慣れない。あんなに自分の身体から漂っていたのに。我々しか知らない墓地へ灰を埋めてやると、彼のいた痕跡はすっかりなくなってしまった。
部下たちは皆、口を開かなかった。思い出を共にした者の悲しみ、明日は我が身と焦る者の恐怖、すべて分かる。分かりはするが、自分が選んださだめだ。私はパンパンと両手を打ち鳴らした。
「さあ、みんな。朝飯を食べよう」
「……腹、減りません」
尊奈門が小さな声で呟いた。私は彼の背中を強く叩いた。衝撃で尊奈門は揺らめき、けつまずく。
「皆は今、生きている。生きているというのは、食べることだ。命に感謝して食べ、精を付けなさい」
陣左が頷き、続いて陣内も頷いた。皆がそれに釣られて、各々頷きだす。私は皆を引き連れて食堂へ向かった。
朝食は、里芋の味噌汁、卵焼き、ひじきの煮物という献立だった。きっと肉の焼ける匂いがしていたら、食欲が失せた者もいたであろう。私たちは揃っていただきますを唱え、あたたかな食事に手を付けた。
どこからか、涙をすする音が聞こえた。五条あたりか。聞こえないふりをして、ひじきを口に運ぶ。私は柔らかいものしか口に出来ないから、たまの固形物が美味かった。ほどよい塩味は、誰かの涙の代わりの気がした。
部下を亡くして、何人になるか。全員の顔も、名前も憶えているが、周りには「数えることを辞めた」と言っていた。私たちの命などちっぽけなものだと、教えなければならなかった。そのちっぽけな命を最大限に利用し、忍務を全うすること。それが私たちにとっての生きるということだ。卵焼きはほんのりと甘く、大根おろしとよく合った。
「組頭」
尊奈門が、私の隣に移動してきた。弱々しい声だ。彼も独り立ちしているとは言っても、まだ若い。他の者よりも悲しみは大きいだろう。
「組頭は小さい頃、どんな子供でしたか」
「ええ、私?」
意外な質問に箸が止まる。食堂にいる者全員が、私たちの会話に耳をそばだてていることがわかる。皆、勝手におしゃべりしていてほしいのに。
「それなら陣内に聞いた方がいいんじゃないかな」
「そうですねえ。ははは、大胆な子でしたよ」
陣内はさすがだ。いつもと声の高さが同じだ。私と同じだけ、いや私よりも、身近な死を沢山経験してきた。気丈に振舞うのに長けている。陣内は卵焼きを食べながら、昔を懐かしむように笑った。
「野良犬がいましてね。凶暴だから、誰も寄り付かなかったのですよ。けれどもあなたは、果敢にも棒を振り回しておっぱらってしまった」
「わあ、私ってヤンチャ」
「組頭にもそんな時代が……」
陣内の笑い声に、食堂の空気が明るくなったように思う。私は私の小さい頃を思い返そうにも、厳しい修行に耐えてきたことしか思い出せず、なかなか愉快な話が出来そうになかった。
「ところで、どうしてそんなことを聞きたいの」
「……みんな。ここにいるみんな、生きてきたんだなって。一人一人に、ちゃんと人生ってあるのだなと」
尊奈門はそう言って、暗く落ち込んだ自分を励ますように、豪快に味噌汁に食らいついた。熱いのだからゆっくり飲みなさいと言う前にあちちと慌てた彼の幼い顔を見て、今度は私が笑ってしまう。
「そうだねえ、皆生きているよ。だから私にとっては、皆が大切。大切だけれど、私の命も同じだけちっぽけだ」
「雑渡様はちっぽけではございません」
「陣左。私とお前の命の価値は同じだってこと。何も特別なんかじゃないんだよ」
陣左は何か言いたそうだったけれど、私はお茶を飲んで知らんぷりをした。そりゃあ私は組頭だ。特別に思われることもあろう。けれど、それがいったいなんだというのだ。部下一人守れなかった私の命の、どこが尊いのか。
食堂はにわかに、賑わいを取り戻していた。そう、賑やかなほうが、故人を偲べるというものだ。今頃この辺にいて、一緒になって笑っているかもしれない。
「今度」
尊奈門が卵焼きの最後を口に入れながら、先ほどより明るい声を出す。食べながらしゃべるのやめなさい。
「今度。墓地に、花を持っていこうと思います。たくさん、たくさん」
「……いいねえ。皆も浮かばれるよ」
「その時、教えてください。先人たちが、どんな人だったのか」
尊奈門はまっすぐな瞳で私を見つめた。ああ、若い。彼の命の灯はずいぶんと逞しい。私も最後の里芋を口内で潰し終え飲み込むと、そうだね、と返した。
「それが逆に、死への恐怖を煽るかもしれないよ」
「いいえ。覚悟の重みです。今まで亡くなった人たちの分まで、我々は、私は生きていかねばならないと、改めて覚悟を決めたいんです」
長烈が「若いなあ」と言ったのが聞こえたので、私は振り返って「だよねえ」と言った。だよねえ、若いよねえ。こうやって若者から、生命力の強さのなんたるかを、日々教えられている。
「私は本気です」
「いいけど、一日かかるよ」
「構いません!」
おかわり貰ってきます、と席を立った尊奈門が、通りがかった席の者たちに「一緒に行こう」と誘っている。これは豪勢な墓参りになりそうだ。花は何がいいだろうか。明るい色がいい。皆が晴れ晴れと見送れるような。
私と陣左、陣内は同時に飯を食べ終え、ご馳走さまと唱えた。命を頂いて、命を繋いでいることのありがたみを、感じずにはいられない。生きることとは食べること。食べることとは生きることだ。
おかわりをよそってもらった尊奈門に、私は「ねえ」と呼びかける。
「今日のお昼の雑炊は、とびきりおいしく作ってね」
「……お任せください!」
今日初めて笑顔を見せた尊奈門は、嬉しそうに米に食らいついた。そうだ、たくさん食べなさい。力を付けて、笑いなさい。
食堂から、泣き声が聞こえなくなった。私は天井を見つめる。
そこにいるかい。この宴はどうだい、お気に召したかい。君はよく、笑いながら飯を食っていたね。次は盆に帰ってきなさい、豪勢な食事でもてなしてやるからね。
尊奈門の「うまい!」という声、陣左の「行儀よく食べられないのか」と注意する声、陣内のやれやれという声。いつもの光景を届けよう。
箸の先が少し欠けていることに、今更気付いた。それでもおいしく食べられたのだから、いいのだ、これで、と思った。食堂のあちこちからご馳走さまでしたという声が聞こえた。
満腹すなわち、しあわせだ。食堂とは、しあわせになれる場所だ。命の弔いを、笑顔でできる場所だ。私はずっとこの場所を守っていかねばならない。命の等しさを、伝えていかねばならない。
食器を戻しに席を立つ。天井の方から、笑い声がひとつ聞こえた気がした。花の色は黄色かな。君の声色に良く似合う。