二は(時友・羽丹羽)
灯台を見てみたいと言った。いいですよと即答された。灯台がどこにあるのかは知らない。
日曜日、少し肌寒かった。灰色の空、念のため折り畳み傘をカバンに入れて、ぼくらは海までやってきた。スマホって便利だ、灯台の場所を検索したら、行き方まで教えてくれるんだもの。十二月の海なんて誰もいない。
羽丹羽くんは赤いマフラーをしていた。灰色の世界で、そこだけが眩しかった。海ではなくマフラーを見ていたら、恥ずかしかったのか、「今年のトレンドカラーですよ」と言われた。そのマフラー、去年もしてたじゃない。覚えてるよ。
灯台は白くて、でもただそれだけだった。ぼくは灯台に何を求めていたのだろう。人生の先行く道を照らしてもらいたかったのかな? でもそれって灯台の役目なのかな?
「迷わないように、じゃないですか」
羽丹羽くんは言った。ざらついた波と波の音の合間で。
「よく、人生を航海に例えるでしょう。ぼくらは船に乗っているんです」
凪もあれば、荒波もある。海から生まれた人間は、息継ぎを繰り返しながら、水平線を目指していく。
「時友くん」
羽丹羽くんの、黒くて大きな瞳がぼくを捕える。宇宙みたいだ、と思った。海も果てしないけれど、宇宙も果てしない。
「ぼくね、ずっと夢があるんです」
「なあに?」
「時友くんのことを、名前で呼んでみたいんです」
名前を呼んでもらえること。それはきっと、幸せの肯定だ。ぼくはこくりと頷いた。
「いいよ」
「四郎兵衛……くん」
「石人くん?」
「四郎兵衛」
「石人」
照れ臭かった。赤いマフラーで鼻を隠した石人に、ずるい、と思った。
石人はどうして赤いマフラーを買ったのだろう。忙しなく季節を映すショーウインドウで、ひときわ目立ったのだろうか。クリスマスツリーは寒空の下で輝いて街を無理やり照らすけれど、赤いマフラーだけはしっかりと、石人の輪郭を際立たせる。肯定だ、と思った。赤って祝福の色だから。
「ぼく、灯台下暗しのこと、大正デモクラシーみたいに、モトクラシ―だと思ってました」
「大正デモクラシーってそもそも何だっけ?」
「忘れました。調べますか?」
「いいよ。帰ったら自分で調べる」
いまは、海のことしか考えたくない。冷たい冬の風が波の背中を押す。白い泡が砂浜に広がって、転がってきた貝だとか、朽ちた珊瑚の欠片なんかを濡らしていった。
小さい頃、潮干狩りをしたことがあった。掘っても掘っても貝が見つからず泣き出しそうになったところで、お父さんが、こっちこっち、とぼくを呼んだ。近くに行ってみれば、そこには貝が大量に埋まっていて、腰が痛くなるのも、おしりが濡れて汚れるのも気にせず、夢中になって貝を集めたのだった。
そしてその貝を、どうしたんだっけ? きっとお味噌汁とかにして食べたはずなのに、そこから先の記憶がない。
記憶って、どうして断片的なんだろう。大切な瞬間は、ぜんぶ宝箱につめてしまえればいいのに。そうして落ち込んでしまった時に、いつでも取り出せればいいのに。もしかして、カメラってそのためにあるのかもしれない。
ぼくはスマホのカメラを起動させて、海を撮影した。灰色だ、と思った。石人が覗き込んで、ふふふと笑ったので、ぼくは不思議に思った。
「どうしたの?」
「たぶん、この海を美しくないと思っているのは、ぼくたち人間だけなんです。勝手にそう思い込んでるんです。海の底で暮らしている魚たちは、いつもと変わらない景色なんです。ちょっと暗いな、程度の」
「そうかあ。これをエゴと呼ぶのかな」
「人間って、本当に勝手な生き物です。だからこそ愛おしいんですよ」
石人はマフラーを外して、ぼくの首に巻き付けた。視界が赤く染まっていく。世界ってこんなに鮮やかだったっけ。
「あたたかいでしょう?」
祝福されている気持ちになった。波の音が拍手に聞こえた。灯台を見上げる。灯台は無言でそこに聳え立つ。ケーキのロウソクみたいだと思った。明かりも灯ることだし。
「四郎兵衛って視力いくつですか?」
「2はある気がする」
「ぼくもなんですよ」
じゃあ、競争だね。どちらが遠くまで見渡せるか。風が強く吹いて、石人の長い黒髪が靡いた。くしゃみがひとつ響いたので、ぼくは慌ててマフラーを持ち主へ返却する。石人にぐるぐると巻き付けると、嬉しそうに笑う声が漏れた。
「あたたかいです」
あたたかいのも、きっと肯定で、祝福なんだろう。水の底の魚を思う。凍ってしまわないよう、エラ呼吸を繰り返しながら、寒くても泳ぎ続ける生命。
魚って、誰かに肯定してもらえるのかな。してもらえなくても、泳ぎ続けるしかないのないのなら、きっとそれを照らすのが、灯台なんだろう。
「今日、ここに来れてよかった」
「それならよかったです」
あとで、ホットココアでも飲もう。あたたかくなって、肯定されて、祝福されよう。空は相変わらず灰色で、海も曇っているけれど、だけど、きっと世界は美しいのだと思えた。
石人がマフラーをリボン結びにした。このほうがかわいいでしょうと笑って。ぼくはそれを見て、やっと大きく笑う事が出来た。
日曜日、少し肌寒かった。灰色の空、念のため折り畳み傘をカバンに入れて、ぼくらは海までやってきた。スマホって便利だ、灯台の場所を検索したら、行き方まで教えてくれるんだもの。十二月の海なんて誰もいない。
羽丹羽くんは赤いマフラーをしていた。灰色の世界で、そこだけが眩しかった。海ではなくマフラーを見ていたら、恥ずかしかったのか、「今年のトレンドカラーですよ」と言われた。そのマフラー、去年もしてたじゃない。覚えてるよ。
灯台は白くて、でもただそれだけだった。ぼくは灯台に何を求めていたのだろう。人生の先行く道を照らしてもらいたかったのかな? でもそれって灯台の役目なのかな?
「迷わないように、じゃないですか」
羽丹羽くんは言った。ざらついた波と波の音の合間で。
「よく、人生を航海に例えるでしょう。ぼくらは船に乗っているんです」
凪もあれば、荒波もある。海から生まれた人間は、息継ぎを繰り返しながら、水平線を目指していく。
「時友くん」
羽丹羽くんの、黒くて大きな瞳がぼくを捕える。宇宙みたいだ、と思った。海も果てしないけれど、宇宙も果てしない。
「ぼくね、ずっと夢があるんです」
「なあに?」
「時友くんのことを、名前で呼んでみたいんです」
名前を呼んでもらえること。それはきっと、幸せの肯定だ。ぼくはこくりと頷いた。
「いいよ」
「四郎兵衛……くん」
「石人くん?」
「四郎兵衛」
「石人」
照れ臭かった。赤いマフラーで鼻を隠した石人に、ずるい、と思った。
石人はどうして赤いマフラーを買ったのだろう。忙しなく季節を映すショーウインドウで、ひときわ目立ったのだろうか。クリスマスツリーは寒空の下で輝いて街を無理やり照らすけれど、赤いマフラーだけはしっかりと、石人の輪郭を際立たせる。肯定だ、と思った。赤って祝福の色だから。
「ぼく、灯台下暗しのこと、大正デモクラシーみたいに、モトクラシ―だと思ってました」
「大正デモクラシーってそもそも何だっけ?」
「忘れました。調べますか?」
「いいよ。帰ったら自分で調べる」
いまは、海のことしか考えたくない。冷たい冬の風が波の背中を押す。白い泡が砂浜に広がって、転がってきた貝だとか、朽ちた珊瑚の欠片なんかを濡らしていった。
小さい頃、潮干狩りをしたことがあった。掘っても掘っても貝が見つからず泣き出しそうになったところで、お父さんが、こっちこっち、とぼくを呼んだ。近くに行ってみれば、そこには貝が大量に埋まっていて、腰が痛くなるのも、おしりが濡れて汚れるのも気にせず、夢中になって貝を集めたのだった。
そしてその貝を、どうしたんだっけ? きっとお味噌汁とかにして食べたはずなのに、そこから先の記憶がない。
記憶って、どうして断片的なんだろう。大切な瞬間は、ぜんぶ宝箱につめてしまえればいいのに。そうして落ち込んでしまった時に、いつでも取り出せればいいのに。もしかして、カメラってそのためにあるのかもしれない。
ぼくはスマホのカメラを起動させて、海を撮影した。灰色だ、と思った。石人が覗き込んで、ふふふと笑ったので、ぼくは不思議に思った。
「どうしたの?」
「たぶん、この海を美しくないと思っているのは、ぼくたち人間だけなんです。勝手にそう思い込んでるんです。海の底で暮らしている魚たちは、いつもと変わらない景色なんです。ちょっと暗いな、程度の」
「そうかあ。これをエゴと呼ぶのかな」
「人間って、本当に勝手な生き物です。だからこそ愛おしいんですよ」
石人はマフラーを外して、ぼくの首に巻き付けた。視界が赤く染まっていく。世界ってこんなに鮮やかだったっけ。
「あたたかいでしょう?」
祝福されている気持ちになった。波の音が拍手に聞こえた。灯台を見上げる。灯台は無言でそこに聳え立つ。ケーキのロウソクみたいだと思った。明かりも灯ることだし。
「四郎兵衛って視力いくつですか?」
「2はある気がする」
「ぼくもなんですよ」
じゃあ、競争だね。どちらが遠くまで見渡せるか。風が強く吹いて、石人の長い黒髪が靡いた。くしゃみがひとつ響いたので、ぼくは慌ててマフラーを持ち主へ返却する。石人にぐるぐると巻き付けると、嬉しそうに笑う声が漏れた。
「あたたかいです」
あたたかいのも、きっと肯定で、祝福なんだろう。水の底の魚を思う。凍ってしまわないよう、エラ呼吸を繰り返しながら、寒くても泳ぎ続ける生命。
魚って、誰かに肯定してもらえるのかな。してもらえなくても、泳ぎ続けるしかないのないのなら、きっとそれを照らすのが、灯台なんだろう。
「今日、ここに来れてよかった」
「それならよかったです」
あとで、ホットココアでも飲もう。あたたかくなって、肯定されて、祝福されよう。空は相変わらず灰色で、海も曇っているけれど、だけど、きっと世界は美しいのだと思えた。
石人がマフラーをリボン結びにした。このほうがかわいいでしょうと笑って。ぼくはそれを見て、やっと大きく笑う事が出来た。