その他

 まぼろしの魚がいるという。
 それは、昼から夕刻になる狭間にだけ、湖を泳ぐのだそうだ。
「無理難題を言われた時にどう切り抜けるか」、という授業だった。ぼくたち二年生は、それぞれ先生から無理難題をおおせつかる。
 ぼくはこのあたりで一番おおきな湖にやってきた。浅葱色の水面が風に波打っていて、太陽の光が反射して白く輝いている。浅瀬は透き通っているから、いくつか魚を見ることが出きた。
 けれど、違う。これらはありふれた魚。釣って帰ったら、食堂のおばちゃんが調理してくれるだろうけれど、いま求められているのは違う。
 ぼくは湖のまんなかの方を、よく目を凝らして見つめた。藻があるのか、深い緑色が濁っている。あんな水中でも、魚にとっては住み心地がいいのだろう。人間と魚の価値観はきっと違う。
 ぼくはまぼろしの魚について考える。岩の上に座り、ときおり石を湖に放りなげ波紋をおこしながら。なにが、まぼろしなのだろう?見た目、現れる時間帯、それとも性格? たとえば、人をたべちゃう、とか。
 岩から降りて、水面を覗き込んだ。ぼくの青い忍者装束もくすんで見える。すこし、五年生みたい? そこまで、無事に進級できるだろうか。
 先輩たちは、無理難題の課題を、どうやってこなしたのだろう。
 足袋を脱ぎ、湖のなかへ足を延ばした。思っていたよりもつめたくて、全身に鳥肌がたつ。ひゃあ、と声が出てしまったけれど、聞いていたのは魚だけだから恥ずかしくはない。底の小石がつるつるとすべる。
 そのままぼうっと、夕刻を待った。どうせ現れるのは、夕刻前なのだ。今から探したってどうにもならない。ぼくは足を浸したまま、風が頬を撫でるのをただ感じていた。
 ときが経つのは、ずいぶんゆっくりだった。お日様がやっと傾きだした。空が、水色と橙色に染まる頃、ぼくはまた湖のまんなかを見つめる。
 風がやんだ。水面が静かになる。一瞬の静寂の後、ぽちゃ、と遠くで魚が跳ねた。
 輝いていた。橙色のお日様の光を全身にまとって、まぶしかった。
 あの魚を獲って帰るのが課題なのかと思ったけれど、絶対に違う、と首を振った。たぶん、捕まえても、金色じゃないんだ。普通の魚なんだ。あの瞬間、夕刻の光を一身に浴びたあの瞬間だけの、まぼろしの魚なんだ。
「やったぁ」
 ぼくは飛び跳ねた。まぼろしの魚を見ることに成功したのだ。けれど喜んでいる暇はない。暗くなったら、帰り道が危険だ。急いで足袋を履いて、学園へと戻る。
 先生には、正直に伝えよう。あれは、あの場所に行かないと見られません。あの場所で、偶然が重ならないと、見られません。だから、まぼろしなのです。獲ってくることは出来ませんでした。
 これが正解なのかはわからない。なにか代替品を持って帰らないと、本当はダメなのかもしれない。だけどぼくは、ぼくだけのまぼろしを見られたことが嬉しくて、そんなもの、探せそうになかった。
 お日様は地平線へと潜っていく。
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