その他
ちょうちょうが飛んでいたのだけれど、あれが一体なんという名前なのか、ぼくにはわからなかった。
長屋の庭に咲いている花々――たぶん小松田さんがお水をやっているいろとりどりのそれ、その上をちょうちょうは軽やかに泳いでいて、ああ春だなあと感じた。
春が来る。またひとつ、上の学年になるのだ。この身にまとう装束も、萌黄色に変わる。
「どうしたんですか、時友くん」
「羽丹羽くん」
宿題を終えた羽丹羽くんが、ぼくの横にやってきた。きっと同じものをみようとしているのだろう。彼はぼくの視界を、いつも楽しそうに覗きに来てくれる。
「ちょうちょうが、飛んでいたの」
「わあ、モンシロチョウ」
「そうか、あれはモンシロチョウか」
「ええ。春がやってきますね」
羽丹羽くんは嬉しそうだ。彼にとって、忍術学園で迎えるはじめての春だ。彼と同じ季節を過ごせることが、ぼくも嬉しい。羽丹羽くんがちょうちょうを追いかけようとするので、ぼくはあわててそれを止める。
「そこ、綾部先輩の落とし穴の印があるんだ」
「わあ、ほんとうだ」
「あっちにも、こっちにも。一晩でたくさん掘ったみたい」
「下を向いて歩かないと、危険ですね」
羽丹羽くんの落下を防いだぼくはひと安心して、そうだ、お花見に行こう、と思いついた。羽丹羽くんだけじゃない、二年生の――もうすぐ三年生になる級友たちみんなを呼んで、お花見をするのだ。そろそろ桜が咲く頃だ。桜が満開になったら、みんなで春を喜ぼう。
「どうしたんですか、時友くん。にこにこして」
「いいこと、思いついちゃったんだ。秘密にしてくれる?」
「もちろんです!」
お花見計画を、羽丹羽くんと練る。みんなでお団子を食べるのはどうだろう? バドミントンをするのは? 桜は折れやすいから、木登りには向かない。
風がびゅうと吹いた、ちょうちょうが一生懸命はばたいて対抗している。ぼくたちはそれを笑ったあと、がんばれ、と応援した。がんばれ、負けるな。ちょうちょうがいったいどこを目指しているのかはわからないけれど、この長屋の庭は広いから、どうか端っこまで堪能してほしいと思った。
「お花の蜜って、おいしいのでしょうか?」
「ぼくたちが吸える蜜もあるよ。ツツジという、鮮やかな花」
「本当ですか? きっと、とても甘いのでしょうね」
羽丹羽くんからはちょうちょうの名前を、ぼくからは花の名前を教え合う、のどかな時間。お昼の鐘が鳴るまで、まだ少しあるはずだ。ちょうちょうが見えなくなるのを見送って、ぼくたちはぺんぺん草を摘んだ。
ぺんぺんぺん、そろそろ春がくるよ。春が来るのを、みんな祝っているよ。羽丹羽くんはきっと、満開の桜を喜んでくれるに違いない。萌黄色になった自分たちを想像して、ぼくはちょっぴり誇らしくなった。
長屋の庭に咲いている花々――たぶん小松田さんがお水をやっているいろとりどりのそれ、その上をちょうちょうは軽やかに泳いでいて、ああ春だなあと感じた。
春が来る。またひとつ、上の学年になるのだ。この身にまとう装束も、萌黄色に変わる。
「どうしたんですか、時友くん」
「羽丹羽くん」
宿題を終えた羽丹羽くんが、ぼくの横にやってきた。きっと同じものをみようとしているのだろう。彼はぼくの視界を、いつも楽しそうに覗きに来てくれる。
「ちょうちょうが、飛んでいたの」
「わあ、モンシロチョウ」
「そうか、あれはモンシロチョウか」
「ええ。春がやってきますね」
羽丹羽くんは嬉しそうだ。彼にとって、忍術学園で迎えるはじめての春だ。彼と同じ季節を過ごせることが、ぼくも嬉しい。羽丹羽くんがちょうちょうを追いかけようとするので、ぼくはあわててそれを止める。
「そこ、綾部先輩の落とし穴の印があるんだ」
「わあ、ほんとうだ」
「あっちにも、こっちにも。一晩でたくさん掘ったみたい」
「下を向いて歩かないと、危険ですね」
羽丹羽くんの落下を防いだぼくはひと安心して、そうだ、お花見に行こう、と思いついた。羽丹羽くんだけじゃない、二年生の――もうすぐ三年生になる級友たちみんなを呼んで、お花見をするのだ。そろそろ桜が咲く頃だ。桜が満開になったら、みんなで春を喜ぼう。
「どうしたんですか、時友くん。にこにこして」
「いいこと、思いついちゃったんだ。秘密にしてくれる?」
「もちろんです!」
お花見計画を、羽丹羽くんと練る。みんなでお団子を食べるのはどうだろう? バドミントンをするのは? 桜は折れやすいから、木登りには向かない。
風がびゅうと吹いた、ちょうちょうが一生懸命はばたいて対抗している。ぼくたちはそれを笑ったあと、がんばれ、と応援した。がんばれ、負けるな。ちょうちょうがいったいどこを目指しているのかはわからないけれど、この長屋の庭は広いから、どうか端っこまで堪能してほしいと思った。
「お花の蜜って、おいしいのでしょうか?」
「ぼくたちが吸える蜜もあるよ。ツツジという、鮮やかな花」
「本当ですか? きっと、とても甘いのでしょうね」
羽丹羽くんからはちょうちょうの名前を、ぼくからは花の名前を教え合う、のどかな時間。お昼の鐘が鳴るまで、まだ少しあるはずだ。ちょうちょうが見えなくなるのを見送って、ぼくたちはぺんぺん草を摘んだ。
ぺんぺんぺん、そろそろ春がくるよ。春が来るのを、みんな祝っているよ。羽丹羽くんはきっと、満開の桜を喜んでくれるに違いない。萌黄色になった自分たちを想像して、ぼくはちょっぴり誇らしくなった。