その他

「そんなことのために、私を呼ぶんじゃあない!」
「呼んじゃったものは、仕方ないでしょ」
 私はやれやれと肩を落とした。マイペースを極めたこの男に、何を言っても無駄だということを思い出す。
 今日は早く起きて、軽めにジョギングをし、帰ってシャワーを浴びた。健康的な、美しい朝だった。夜のうちに降った雨で濡れた葉が道に雫を落としているのなんて、一句詠みたいほどだった。濡れた身体をバスタオルで拭きながら、鼻歌を零した。
 朝食は何にしよう、トーストにバターをたっぷりか。素晴らしい案を思い描きながらスマホに目を落としたのが運の尽きだった。
『たすけて。家まで来て』
 ロック画面にメッセージが表示される。慌ててLINEを開くと、送り主は喜八郎だった。中学高校の頃の級友で、大学まで同じになった腐れ縁。学部は違えど、時々共に飯を食う仲だ。大学生になりお互い一人暮らしをはじめてからは、遊びに行き来することもしばしば。
 ひとまず、緊急事態なのかを問わねばならない。私は通話ボタンを押して、喜八郎のリアクションを待った。応答なし。もう一度かける。応答なし。
 これは本当にまずいのかもしれない。私は大急ぎで着替えて、喜八郎の家まですっ飛んで行った。
 そして来てみれば、これだ。喜八郎はTシャツを腕まくりして、木の板やら鉄の棒やらと格闘していた。
「心配して来てみれば、家具作りか」
「手が離せないんだよ。滝、そっちを持ってくれ」
 見るに、本棚とスチールラックラックを作りたいようだった。喜八郎の持つのと反対側の木の板を支えると、喜八郎は手際よくネジをしめていく。
「はじめから言え、家具作りを手伝ってほしいと。軍手くらい持ってきたのに」
「それなら来なかった、と言わないところが、お前らしいよ」
 みるみるまに本棚が出来上がっていった。四段で、左右にスライドする、なかなかに立派なものだった。喜八郎はそんなに本を読むやつだったろうか。
 次はラックだ。鉄の棒と鉄の棒をくみあわせていく。水平を確認しながら、喜八郎はぽつりと呟いた。
「なんか、いろんなことをやってみたくなっちゃって」
「いろんなこと?」
「今までやってこなかったこと。本を読んだり、音楽を聴いたりは、ぽつぽつしてきたけれど。もっとたくさん知りたくなったし、どうせなら作る側にもなってみたい」
 ラックも四段あった。説明書を睨みながら部品をとりつけていく目は真剣だ。
「絵を描いたりさ。バイクとかも乗ってみたいから、免許もとらなきゃ。いろんな世界に、触れたいんだ」
 ずっと体育会系だったこいつが、そんなことを考えるようになったとは。なんとなく感慨深くなりながら、きっかけはなんなのだろうと思った。きゅ、と部品があるところに収まっていき、ラックが完成する。
「そのためには、いろんなものを集めなきゃと思って。大きな箱が必要だと思ったんだ。だから、棚を買った」
「……大きすぎやしないか」
「足りないくらいだよ。これから、埋めていくんだから」
 喜八郎は、手伝ってくれてありがとうと言うだけ言って、本を詰める作業に入ってしまった。深い理由は教えてくれないらしい。そこも彼らしいから、いいのだけれど。
 小腹がすいた。そう言えば、朝食を食べ損ねていた。何か買ってくる、と告げて最寄りのコンビニまで行く。
 空が曇っていた。ひと雨来そうだ、と歩く速度を早めながら、彼はいったい何を作るつもりなんだろう、と想像した。
 彼の見えている世界を、小説に、音楽に、絵画に。それらは何色で、どんな味がして、どんな風がふいているのか。
 コンビニで菓子パンをいくつかと、ジャスミン茶の大きなパックを買い、来た道を戻る。ペトリコールの匂いがする。雨の前の独特な匂い。
 中学生の頃、美術の授業で、お互いの似顔絵を描くことになったことを思い出す。彼はキャンバスいっぱいに、金色を塗りたくっただけのものを提出していた。
「だって、金色なんです」
 かたくなにそう言って訂正しないものだから、成績は散々だったが、私は嬉しかったことを覚えている。私は金色なのだ。彼の目には、金色に見えているのだ。
 それから金色が愛する色になったことは伏せている。
「ただいま」
「滝の家じゃないよ」
「おかえりくらい言えんのか」
「おかえり」
 喜八郎も、どうせ何も食べていないのだろう。菓子パンを恵んでやり、コップにジャスミン茶を注いだ。
「滝は、将来、何になりたいの」
「私か。そうだな、何か事業を起こしたい」
「滝らしい」
 いただきますとごちそうさまの間に他愛もない会話を挟みながら、窓の外を見た。ぽつりぽつりと、雨が降ってきていた。
「ね。もう少しいなよ」
「しかし……」
「雨なんだから。いなよ」
 決定ね、と言ってジャスミン茶を飲み干した彼に、私は反抗しない。だって、雨なのだ。今帰る理由もない。
 人生は、海だと思う。浅瀬を泳ぐことも、深く潜ることも出来る。汚れた箇所も、透き通った箇所もある。大波もあれば凪もある。そして、海面はひとしく塩辛い。
 私と喜八郎は、泳ぎ方が違うのだと、しばしば感じる。二人とも自由だ。自由を謳歌した泳ぎ方をしてきた。それがこれから、社会の荒波にもまれていく。どこの灯台を目指すかはそれぞれ違うかもしれない。けれど、海はひとつに繋がっている。
「なあ、喜八郎。水平線って、約四キロメートル先にあるんだと。知っているか」
「え、そうなの?」
「三平方の定理で求められる」
「たったそれっぽっちなんだね。僕らの挑む未来って」
 だから、何だってできるのだ。私たちは微笑み合った。
 雨が本降りになってきた。私たちは喜八郎の荷物を棚に並べていった。彼の生活の一部に、私が一欠片混ざれたことが、少しばかり嬉しかった。
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