一幕『春風の帳』
古い木材で囲まれた薄暗い部屋の中に、一人ポツンと立っていた。
一歩足を踏み出せば、何かが足に粘つく感覚がした。
ぺたり、ぺたり
下を見やれば、赤い液体で満たされている。
血だ。
それを血と認識した途端、足の力が抜けてしまい、座り込んでしまう。
早く逃げなければ。
そう思っても身体が言うことを聞かない。逃さないとでも言うように、その血は足にべったりと張り付いた。
目の前の襖が開かれる。
現れたのは、あの子供だった。
暗いボロ切れのローブをまとい、フードを深々と被っている。その顔は何も書かれていない面に覆われており、奥にある感情を読み取ることができない。
子供はひた、ひた、とこちらに歩み寄ってくる。それでも尚身体は動かない。
殺される。
そう直感した。
子供は僕の目の前まで来ると、じっと僕を見下す。
そして、その手をこちらに伸ばし、……強く首を掴んだ。
……
ドサッ!
背中と頭部に伝わる鈍い痛みで目が覚めた。朝の柔らかな陽光が自分の顔に射している。
「い……ったぁ〜」
ベッドから落ちるなんてベタなことをしてしまった自分を恥じながら、打った箇所を撫でる。
あれ、そういえば前もこんなことあったな。
「……よかった。夢か」
「お前、随分とベタな起き方をするんだな」
「前もやったけど普段はこんな起き方しないよ……は?」
「よ、おはよ」
咄嗟に声のする方を振り返ると、ベッドの脇で椅子に腰掛け足を組んでいるニトがそこにいた。
「……は?」
「何日ぶりの起床?丸一日くらい寝てた?いやそんなかかってないかな?知らないけど。いや〜急に意識失うもんだからびっくりしちゃったよ」
「いや、なんでいるんですか」
「なんでって連れてきたの俺らだし」
「……はぁ???」
「なんだったら君のことめちゃくちゃ心配してるやつもいっぱいいるからね。人気者だね〜」
「はぁ……」
困惑する僕をよそにニトは椅子から立ち上がり私の目の前まできてしゃがみこんだ。
「ところでイル、君はどこまで覚えてるの?」
ニトはそのうざったらしい笑みを浮かべてこちらに問いかけてくる。
「は……?それ、今言う必要あるんですか?」
「あるから聞いてるじゃん」
「ニトには関係ないんじゃ?」
「そうかもしれないしそうじゃないかもしれない」
……言ってることがよくわからない。
「けどまあ減るものじゃないしいっか……えっと、じゃあ話すけど……」
今から数十日前のことだ。どういうわけか僕はおばさんの家で目を覚ましていた。おばさん曰く、街の前で気絶していた状態で倒れていたところを助けたらしい。
「……それ以前のことは覚えていない、かな。でもおばさんが言うには結構危ない状態だったらしくて」
「何か、あるいは誰かに襲われたりとかしたのかね。例えばさっきの化け物とか、あるいは──あの面を被った子供とか?」
その言葉を聞いて背筋が凍る。ニトはニヤニヤと目を細めてじっとこちらをみてくる。
「さぁ……覚えていないから何とも……」
「にしてはあの子供に対して知っていそうな素振りしてたじゃん?すごい顔してたよ〜、まるであの子供に恨みでもあるかのような……放っておけば今にも殺しそうなそんな目で見てたよ」
「……」
あの時のことはあまり覚えていないけど、そんなことが起きていたのか。何だか二人にもあの子供にも申し訳ないことをしていたみたいだ。
「……すみません」
「過ぎたことは仕方ないしイル以外は誰も怪我してないから大丈夫だよ!子供もあの後どっか行っちゃったし!」
「そっか……その、あの子供をみていると、どうしてか憎いとか……許せない気持ちが湧いてしまうんです。それに、何だかみたことがあるような気がして……さっきも夢に出てきましたし」
「……そっか」
そしてニトは顎に手を置いて黙り込んだ。
あの子供を見たとき、僕の中で何か胸騒ぎがした。
あの子のことを知っている気がする。そして理由のわからない憎悪も抱いていた。
もしかするとニトの言った通りに、失くした記憶の中で何かあったのだろうか。
「……よし、決めた!」
ニトは顔を上げて僕の目を見つめる。
「イル、俺たちについてきなよ。旅しようぜ旅」
「……はぁ?」
「いろんなとこ巡ってくんだよ。そしたら君の記憶も戻るかもしれないし!あの子供もどっかで見つかるかもしれないよ?」
この人はまた突拍子のないことを……。
でも、逆にいい機会かもしれない。僕の身に何が起きたのか、ここから出ればわかるのかもしれないし。
「……そんな都合よく思い出すかなぁ」
「まあいけんじゃね?あ、大丈夫大丈夫。イルはちゃんと戦えると俺は思うから!」
「そういうのは心配してないんですけど」
「じゃ、決まり!準備できたらすぐ出てくから!街の中央広間で待ってるね〜!!」
ニトはそう言うとにっこりと笑って部屋から出て行った。
「……勝手に決められた」
まあ、ついていかない選択肢はなかったからいいんだけど。
一応、あの人強いみたいだしいざとなったら守ってくれるだろう。一人で旅するよりはずっと安全だ。
「え……てか準備できたらすぐ出てくっていってなかった?」
気が早すぎないか?一日くらい心の整理させてよ。
あたりを見渡してみればここはどうやら自分の部屋のようだ。のんびりと身支度をしながら心の整理をする。
自分の記憶のこと、あの子供のこと……他にも色々気になる事はある。このいつ終わるかわからない旅で、わかる機会は訪れるのだろうか。
僕はこの世界のことも、自分のことも、何一つ知らない。
「……あ、最後におばさんに挨拶しなきゃ」
身支度を済ませて、部屋の扉を開いた。
一歩足を踏み出せば、何かが足に粘つく感覚がした。
ぺたり、ぺたり
下を見やれば、赤い液体で満たされている。
血だ。
それを血と認識した途端、足の力が抜けてしまい、座り込んでしまう。
早く逃げなければ。
そう思っても身体が言うことを聞かない。逃さないとでも言うように、その血は足にべったりと張り付いた。
目の前の襖が開かれる。
現れたのは、あの子供だった。
暗いボロ切れのローブをまとい、フードを深々と被っている。その顔は何も書かれていない面に覆われており、奥にある感情を読み取ることができない。
子供はひた、ひた、とこちらに歩み寄ってくる。それでも尚身体は動かない。
殺される。
そう直感した。
子供は僕の目の前まで来ると、じっと僕を見下す。
そして、その手をこちらに伸ばし、……強く首を掴んだ。
……
ドサッ!
背中と頭部に伝わる鈍い痛みで目が覚めた。朝の柔らかな陽光が自分の顔に射している。
「い……ったぁ〜」
ベッドから落ちるなんてベタなことをしてしまった自分を恥じながら、打った箇所を撫でる。
あれ、そういえば前もこんなことあったな。
「……よかった。夢か」
「お前、随分とベタな起き方をするんだな」
「前もやったけど普段はこんな起き方しないよ……は?」
「よ、おはよ」
咄嗟に声のする方を振り返ると、ベッドの脇で椅子に腰掛け足を組んでいるニトがそこにいた。
「……は?」
「何日ぶりの起床?丸一日くらい寝てた?いやそんなかかってないかな?知らないけど。いや〜急に意識失うもんだからびっくりしちゃったよ」
「いや、なんでいるんですか」
「なんでって連れてきたの俺らだし」
「……はぁ???」
「なんだったら君のことめちゃくちゃ心配してるやつもいっぱいいるからね。人気者だね〜」
「はぁ……」
困惑する僕をよそにニトは椅子から立ち上がり私の目の前まできてしゃがみこんだ。
「ところでイル、君はどこまで覚えてるの?」
ニトはそのうざったらしい笑みを浮かべてこちらに問いかけてくる。
「は……?それ、今言う必要あるんですか?」
「あるから聞いてるじゃん」
「ニトには関係ないんじゃ?」
「そうかもしれないしそうじゃないかもしれない」
……言ってることがよくわからない。
「けどまあ減るものじゃないしいっか……えっと、じゃあ話すけど……」
今から数十日前のことだ。どういうわけか僕はおばさんの家で目を覚ましていた。おばさん曰く、街の前で気絶していた状態で倒れていたところを助けたらしい。
「……それ以前のことは覚えていない、かな。でもおばさんが言うには結構危ない状態だったらしくて」
「何か、あるいは誰かに襲われたりとかしたのかね。例えばさっきの化け物とか、あるいは──あの面を被った子供とか?」
その言葉を聞いて背筋が凍る。ニトはニヤニヤと目を細めてじっとこちらをみてくる。
「さぁ……覚えていないから何とも……」
「にしてはあの子供に対して知っていそうな素振りしてたじゃん?すごい顔してたよ〜、まるであの子供に恨みでもあるかのような……放っておけば今にも殺しそうなそんな目で見てたよ」
「……」
あの時のことはあまり覚えていないけど、そんなことが起きていたのか。何だか二人にもあの子供にも申し訳ないことをしていたみたいだ。
「……すみません」
「過ぎたことは仕方ないしイル以外は誰も怪我してないから大丈夫だよ!子供もあの後どっか行っちゃったし!」
「そっか……その、あの子供をみていると、どうしてか憎いとか……許せない気持ちが湧いてしまうんです。それに、何だかみたことがあるような気がして……さっきも夢に出てきましたし」
「……そっか」
そしてニトは顎に手を置いて黙り込んだ。
あの子供を見たとき、僕の中で何か胸騒ぎがした。
あの子のことを知っている気がする。そして理由のわからない憎悪も抱いていた。
もしかするとニトの言った通りに、失くした記憶の中で何かあったのだろうか。
「……よし、決めた!」
ニトは顔を上げて僕の目を見つめる。
「イル、俺たちについてきなよ。旅しようぜ旅」
「……はぁ?」
「いろんなとこ巡ってくんだよ。そしたら君の記憶も戻るかもしれないし!あの子供もどっかで見つかるかもしれないよ?」
この人はまた突拍子のないことを……。
でも、逆にいい機会かもしれない。僕の身に何が起きたのか、ここから出ればわかるのかもしれないし。
「……そんな都合よく思い出すかなぁ」
「まあいけんじゃね?あ、大丈夫大丈夫。イルはちゃんと戦えると俺は思うから!」
「そういうのは心配してないんですけど」
「じゃ、決まり!準備できたらすぐ出てくから!街の中央広間で待ってるね〜!!」
ニトはそう言うとにっこりと笑って部屋から出て行った。
「……勝手に決められた」
まあ、ついていかない選択肢はなかったからいいんだけど。
一応、あの人強いみたいだしいざとなったら守ってくれるだろう。一人で旅するよりはずっと安全だ。
「え……てか準備できたらすぐ出てくっていってなかった?」
気が早すぎないか?一日くらい心の整理させてよ。
あたりを見渡してみればここはどうやら自分の部屋のようだ。のんびりと身支度をしながら心の整理をする。
自分の記憶のこと、あの子供のこと……他にも色々気になる事はある。このいつ終わるかわからない旅で、わかる機会は訪れるのだろうか。
僕はこの世界のことも、自分のことも、何一つ知らない。
「……あ、最後におばさんに挨拶しなきゃ」
身支度を済ませて、部屋の扉を開いた。