一幕『春風の帳』
痛みが一切ない。攻撃が逸れたのかと横を見てみても、爪痕も化け物の影すらもない。
どこにいったかと正面に顔を上げれば、そこには目を疑う光景が広がっていた。
目の前には先ほどまで僕に鉤爪を振り下ろしていたはずの化け物が、木の枝で磔にされている。
枝は化け物を貫通して背後の木の幹にまで深々と刺さっていた。
「ひぇ……」
腰が引けて後ずさることしかできない。
いくら化け物といえども人の形をしているものの磔だ。見ていて気分の良くなるものではない。
刺さったところから黒い粘液が出ている。
「やらないのか?」
背後から低い声が聞こえる。あの男とはまた違う声だ。咄嗟に振り返る。
そこにいたのは人……だけどちょっと違う。
頭から生えているのは……猫の耳だろうか。首筋からほんの少しだけ緑色の……鱗のようなものが見える。あとは……ナニコレ、爬虫類の尻尾みたいなのも生えてる。
唖然としてると男はその三白眼の瞳をこちらに向けた。
「やらないのか?今がやれるチャンスだけど」
「え、いや、やるって……というかあなた誰ですか」
「オレ?オレは"ウリ"。そレよりも、早くやるならやった方がいいぞ」
「う……」
ウリと名乗る男は化け物の方を指差す。
「今あいつの動きを封じてやってんだから。たかが木の枝だし抜け出すのも時間の問題だぞ」
「これあなたがやったんですか……」
「そうだが」
今日は変なやつにばかり遭う。早く帰りたい。
「その必要はないよ。俺がやるからさ」
ガサガサと木々の隙間から現れたのはびしょ濡れになってる男だった。
「あれ!?生きてたんですか?」
「失敬な!ちゃんと生きてるよ!」
「いや……お前なんでずぶ濡れなんだ?」
「それはこいつに落とされちゃったからだよ〜」
呑気にそう言いながら化け物に近づき、頭に刺さった短剣を引き抜く。
「これで二体目かな」
そしてその短剣を化け物の喉元へ深く突き刺した。
化け物は咆哮を上げてもがき苦しむ。動くたびに刺さった部分から黒い何かが滲み出る。
化け物は抵抗も虚しくピクリとも動かなくなり、そして泥のように溶けて消えた。
「ひぇ……」
「なんだお前ビビってるのか?」
「び、ビビるでしょそりゃ」
「そうか」
このウリって人僕のこと一般人だと思ってないの?
「それよりもニト、こんなやつ連れてきて一体何してんだ?」
「違う違う!勝手についてきたんだよ〜」
ニトと言われた男は短剣をしまうと僕の目の前まで歩みを進めて視線を合わせるようにしゃがんだ。
「怪我はないかな?」
「ないですけど……えっと……」
「あ、紹介遅れたね。俺の名前は"ニト"。んでこいつがさっき言ってた連れ」
そうしてウリを指差した。
変なやつには変なやつがついてるんだな……。
「いや……まあわかりましたけど。あなたこそ大丈夫ですか?突き飛ばされてずぶ濡れになってますけど」
「え?俺?うん、大丈夫。満身創痍だから」
ヘラヘラとそう述べたニトは顔色ひとつ変えずにこちらに倒れ込む。
全然大丈夫じゃないじゃん。
「はぁ……?」
「……ニト、なんか食ったか?」
「食べてなーい……さっきからずっと限界で地面這ってたもーん……」
あぁ……道理であんなフラフラしてたわけだ……。
「えっと……パン持ってきてるんですけど食べます?」
「食べるー……」
「じゃあさっきのところ戻るので起きてください。あと濡れてて気持ち悪いので早くどいてください」
「動けなーい……」
「……」
ウリに目で助けを訴える。
ウリは「はぁ……」とため息をつくとニトを片腕で担いだ。
「で、どこにいけばいいんだ?」
「えっと……こっち、です」
落ちたシャベルを拾ってウリと来た道を戻る。
あんなにも生え放題だった草が綺麗に刈り尽くされており、視界が広がっていることに初めて気づく。先ほどよりも短い時間で果樹園に戻ることができた。
……
「……それで、あなたたちはなんでこんな森にいるんですか?」
ニトにパンを渡し、帰り支度をしながら二人に問いかける。
「そう依頼されたから」
と返すのが、木に寄りかかっているウリ。
「そうそう、何でも屋ってやつ。それしながら適当に金稼いであちこち歩いてるんだよね」
と返すのが、地面に寝そべってパンを食べているニト。
「はぁ……それはまあ大変ですね」
「君もなんか依頼したいことあったら言っていいんだよ。報酬次第でなるべくやるから」
「……考えておきます」
いやしないけど。
「ところで、その依頼ってなんなんですか」
「それ聞いちゃう?お金とるよ?」
「いやだって巻き込まれた側だし……むしろお金取りたいのはこっちですよ」
「それもそっか!まあお金取られたくないから言うけどさ!」
現金なやつだな。
ニトはそのまま続ける。
「えっと、この森に三体くらい?さっきみたいな化け物が街に近づいてきてるから街に来る前に倒してほしいってやつ」
「はぁ……それは大変なことで。それで、さっきので何体目なんですか?」
「二体目〜。探すのも大変だし倒すのも大変だし疲れちゃったよ〜」
ヘラヘラと笑って言っているが、確かにあんな化け物相手に戦うってすごいな……。僕が色々やってもビクともしなかったのに。
「……それでニト、あと一体どこいったんだ?」
「え?」
「さっきのやつで最後じゃなかったのか?」
「……えっと」
ニトの目が泳ぐ。そしてまたヘラヘラとした顔をして
「追ってるうちに見失っちゃった」
と高らかに言い放った。
「……はぁ?」
僕もそうだけど、ウリも呆れている様子だった。
「見失ったのはいつだ」
「んー……イルと会う前だっけかな」
「どっちいった」
「……あっち」
そういって指差した方向は森の出口──街の方面である。
一瞬の間、静寂が包み込む。
「何してんだお前!!!!!!!」
と、思わず大声を出してしまった。ウリも同じことを口にしていた。
あぁ、どうして僕は一瞬でもこのバカに関心を抱いてしまったのだろうか。
「ちょっと!それって街を襲ったりとかするんじゃないんですか!?」
「大丈夫かなって」
「大丈夫じゃねぇよ。さっき自分で言った依頼内容を思い返してみろよ」
「えー……?あぁ!やば、どうしようね」
「そんなので何でも屋やってるの!?いやそれよりも……今頃街が襲われてたりとかしたら……早く戻らなきゃ」
「走れば何とか間に合うか……?街への被害だけは抑えないと」
「……まあ起きたらちゃんとやるからさ〜まかせてまかせて」
「おい……」
そのウリの声は怒り通り越して呆れ、いや、悲しみだろうか。そんな情を感じた気がする。
「そこまで待ってられないですって!ああもう、僕先に戻ります!何かあってからじゃ遅いので!」
「おい、お前は危ないから行くな──」
静止するウリの声も聞かぬまま、ただ街へと急ぐ。
あの街は、何もわからない僕を暖かく迎え入れてくれた人たちが住んでいる場所だ。何かあってからじゃ遅い。僕は、僕にできる最大限のことがしたいから。
街が見えてくる。そして、その街に歩みを進める人影があった。
「待って!!!」
僕はその人に手を伸ばした──が、その手が目の前の人物に触れることはなかった。
どこにいったかと正面に顔を上げれば、そこには目を疑う光景が広がっていた。
目の前には先ほどまで僕に鉤爪を振り下ろしていたはずの化け物が、木の枝で磔にされている。
枝は化け物を貫通して背後の木の幹にまで深々と刺さっていた。
「ひぇ……」
腰が引けて後ずさることしかできない。
いくら化け物といえども人の形をしているものの磔だ。見ていて気分の良くなるものではない。
刺さったところから黒い粘液が出ている。
「やらないのか?」
背後から低い声が聞こえる。あの男とはまた違う声だ。咄嗟に振り返る。
そこにいたのは人……だけどちょっと違う。
頭から生えているのは……猫の耳だろうか。首筋からほんの少しだけ緑色の……鱗のようなものが見える。あとは……ナニコレ、爬虫類の尻尾みたいなのも生えてる。
唖然としてると男はその三白眼の瞳をこちらに向けた。
「やらないのか?今がやれるチャンスだけど」
「え、いや、やるって……というかあなた誰ですか」
「オレ?オレは"ウリ"。そレよりも、早くやるならやった方がいいぞ」
「う……」
ウリと名乗る男は化け物の方を指差す。
「今あいつの動きを封じてやってんだから。たかが木の枝だし抜け出すのも時間の問題だぞ」
「これあなたがやったんですか……」
「そうだが」
今日は変なやつにばかり遭う。早く帰りたい。
「その必要はないよ。俺がやるからさ」
ガサガサと木々の隙間から現れたのはびしょ濡れになってる男だった。
「あれ!?生きてたんですか?」
「失敬な!ちゃんと生きてるよ!」
「いや……お前なんでずぶ濡れなんだ?」
「それはこいつに落とされちゃったからだよ〜」
呑気にそう言いながら化け物に近づき、頭に刺さった短剣を引き抜く。
「これで二体目かな」
そしてその短剣を化け物の喉元へ深く突き刺した。
化け物は咆哮を上げてもがき苦しむ。動くたびに刺さった部分から黒い何かが滲み出る。
化け物は抵抗も虚しくピクリとも動かなくなり、そして泥のように溶けて消えた。
「ひぇ……」
「なんだお前ビビってるのか?」
「び、ビビるでしょそりゃ」
「そうか」
このウリって人僕のこと一般人だと思ってないの?
「それよりもニト、こんなやつ連れてきて一体何してんだ?」
「違う違う!勝手についてきたんだよ〜」
ニトと言われた男は短剣をしまうと僕の目の前まで歩みを進めて視線を合わせるようにしゃがんだ。
「怪我はないかな?」
「ないですけど……えっと……」
「あ、紹介遅れたね。俺の名前は"ニト"。んでこいつがさっき言ってた連れ」
そうしてウリを指差した。
変なやつには変なやつがついてるんだな……。
「いや……まあわかりましたけど。あなたこそ大丈夫ですか?突き飛ばされてずぶ濡れになってますけど」
「え?俺?うん、大丈夫。満身創痍だから」
ヘラヘラとそう述べたニトは顔色ひとつ変えずにこちらに倒れ込む。
全然大丈夫じゃないじゃん。
「はぁ……?」
「……ニト、なんか食ったか?」
「食べてなーい……さっきからずっと限界で地面這ってたもーん……」
あぁ……道理であんなフラフラしてたわけだ……。
「えっと……パン持ってきてるんですけど食べます?」
「食べるー……」
「じゃあさっきのところ戻るので起きてください。あと濡れてて気持ち悪いので早くどいてください」
「動けなーい……」
「……」
ウリに目で助けを訴える。
ウリは「はぁ……」とため息をつくとニトを片腕で担いだ。
「で、どこにいけばいいんだ?」
「えっと……こっち、です」
落ちたシャベルを拾ってウリと来た道を戻る。
あんなにも生え放題だった草が綺麗に刈り尽くされており、視界が広がっていることに初めて気づく。先ほどよりも短い時間で果樹園に戻ることができた。
……
「……それで、あなたたちはなんでこんな森にいるんですか?」
ニトにパンを渡し、帰り支度をしながら二人に問いかける。
「そう依頼されたから」
と返すのが、木に寄りかかっているウリ。
「そうそう、何でも屋ってやつ。それしながら適当に金稼いであちこち歩いてるんだよね」
と返すのが、地面に寝そべってパンを食べているニト。
「はぁ……それはまあ大変ですね」
「君もなんか依頼したいことあったら言っていいんだよ。報酬次第でなるべくやるから」
「……考えておきます」
いやしないけど。
「ところで、その依頼ってなんなんですか」
「それ聞いちゃう?お金とるよ?」
「いやだって巻き込まれた側だし……むしろお金取りたいのはこっちですよ」
「それもそっか!まあお金取られたくないから言うけどさ!」
現金なやつだな。
ニトはそのまま続ける。
「えっと、この森に三体くらい?さっきみたいな化け物が街に近づいてきてるから街に来る前に倒してほしいってやつ」
「はぁ……それは大変なことで。それで、さっきので何体目なんですか?」
「二体目〜。探すのも大変だし倒すのも大変だし疲れちゃったよ〜」
ヘラヘラと笑って言っているが、確かにあんな化け物相手に戦うってすごいな……。僕が色々やってもビクともしなかったのに。
「……それでニト、あと一体どこいったんだ?」
「え?」
「さっきのやつで最後じゃなかったのか?」
「……えっと」
ニトの目が泳ぐ。そしてまたヘラヘラとした顔をして
「追ってるうちに見失っちゃった」
と高らかに言い放った。
「……はぁ?」
僕もそうだけど、ウリも呆れている様子だった。
「見失ったのはいつだ」
「んー……イルと会う前だっけかな」
「どっちいった」
「……あっち」
そういって指差した方向は森の出口──街の方面である。
一瞬の間、静寂が包み込む。
「何してんだお前!!!!!!!」
と、思わず大声を出してしまった。ウリも同じことを口にしていた。
あぁ、どうして僕は一瞬でもこのバカに関心を抱いてしまったのだろうか。
「ちょっと!それって街を襲ったりとかするんじゃないんですか!?」
「大丈夫かなって」
「大丈夫じゃねぇよ。さっき自分で言った依頼内容を思い返してみろよ」
「えー……?あぁ!やば、どうしようね」
「そんなので何でも屋やってるの!?いやそれよりも……今頃街が襲われてたりとかしたら……早く戻らなきゃ」
「走れば何とか間に合うか……?街への被害だけは抑えないと」
「……まあ起きたらちゃんとやるからさ〜まかせてまかせて」
「おい……」
そのウリの声は怒り通り越して呆れ、いや、悲しみだろうか。そんな情を感じた気がする。
「そこまで待ってられないですって!ああもう、僕先に戻ります!何かあってからじゃ遅いので!」
「おい、お前は危ないから行くな──」
静止するウリの声も聞かぬまま、ただ街へと急ぐ。
あの街は、何もわからない僕を暖かく迎え入れてくれた人たちが住んでいる場所だ。何かあってからじゃ遅い。僕は、僕にできる最大限のことがしたいから。
街が見えてくる。そして、その街に歩みを進める人影があった。
「待って!!!」
僕はその人に手を伸ばした──が、その手が目の前の人物に触れることはなかった。