幽世.live

(記録:2020年3月 6ノ国にて)

 王は国を去った。何の前触れもなく、唐突に。
 玉座に座る者が消え、再び暗黒の時代に差し掛かろうとしたその時、かの天使は現れた。

 演壇に上がるのは華奢な体躯の女。青い髪が風に揺れ、丸い縁の奥から覗く秘色の瞳は、静かに民衆を見下ろしていた。

 素性の見えぬその女に、民衆は不審の目を向ける。ある者は女に罵声を浴びせ、ある者は消えた王の安否を叫んだ。
 そしてどこからか、女に石が投げられる。石は正確に、女の顔めがけて投げられた。誰もがその女に当たると思っていたその時、不思議なことが起こった。

 投げられた石が、女の目の前で静止した。至る所からどよめきの声が上がる中、女は石を一瞥すると、そっと手の中に包み、再度民衆を見下ろした。

 どよめきが消え静寂が訪れる。
 女はそこで、はじめて口を開いた。

「6ノ国のみなさん、初めまして」
「カガチ国王より命を受け、この国を受け継ぐこととなった」

「──管理人のアルカだ」

……

 ──さて、あれから一ヶ月が経過したが、あれ以来アルカは姿を現さなくなった。
 民衆の反感を買って表舞台に出られなくなったのか?それとも国王の命を無視して逃亡したのだろうか?
 あの簡素な演説は民衆の不安を煽った。また人々が苦しむ時代に戻るのではないかとどよめき、疑心暗鬼が広がっていく。

 管理人アルカはその状況に焦りを覚えていた。

「が〜! もう駄目だ〜! 気が狂いそうだ!!」

 そして別の意味でも窮地に陥りそうになっていた。

 彼女の声は日の入らぬ部屋に虚しく反響する。申し訳程度に室内を照らす灯り、大量に置かれた書類の束、部屋と外を隔てる格子。
 ここはアルカの執務室……と言って差し支えない場所。座敷牢の中であった。

 あれから彼女はずっと座敷牢の中で朝も昼も夜もわからないまま過ごしている。だからといって暇をしているわけではない。管理人の仕事の第一歩として、カガチが残した書類の山を少しずつ整理しているのである。……それもかなりの数を。

 ここ一ヶ月のアルカの生活は、運ばれてくる仕事をこなし、飽きたら掃除をし、仕事をし……をひたすら繰り返していた。
 そしてついに限界を迎えたアルカは、誰もいない空間に悲鳴を上げながら倒れ込み、膝を抱えて蹲った。

「なんで私はこんな地下牢で日も浴びずに仕事をし続けているんだろう……おかしい……絶対におかしい……他の管理人たちはこんなんじゃなかったはずでしょ……」

 うわ言のように呟かれる言葉が反響して消えていく。息苦しい空間の中で彼女は茫然と天井を眺めていた。
 しばらくして、牢の外からギィと音がする。革靴の音が空間内に響き、それはアルカのいる座敷牢へと一歩一歩近づいてくる。
 アルカは音を聞いてすぐ飛び起き、格子の傍まで駆け寄って声を上げた。

「バル! ボクもう限界なんだけど!!」
「あー、はいはい」

 そこに現れたのは管理人アルカの側近である悪魔、バルだった。アルカの悲痛の訴えを雑な相槌と軽蔑の目で受け流す。

「それよりも、今日の分の仕事は終わったのですか?」
「もう仕事どころのメンタルしてないよボク!?」
「はあ、つまり終わっていないと」
「そんな『無駄に時間あるくせに仕事の一つもできないのか』って顔されても無理なものは無理だからね!?」

 アルカは格子に掴みかかりキッとバルを睨みつけたが、バルは全くひるむ様子もなく「恨むならカガチさんを恨んでください」と淡々と述べた。

「それで、できなかった言い訳は?」
「言い訳って……さっきも言った通り限界なんだって」
「何を限界になることがあるのですか」
「逆にこの状況で限界を迎えない方がおかしいでしょ!?」

 ひとしきり大声を上げ続けたアルカの体がぐらりと傾き、そのまま膝から崩れ落ちた。小さく唸り声を上げながら頭を抑え、大きく肩で息をする。

「ぐぅっ…… 気が狂いそうだ……」
「精神的なストレスもありそうですが、普通に霊力がなくなりそうですね」
「冷静に分析されるのもそれはそれで嫌だな……」
「この一ヶ月でまだ使いこなせていないのですか? 本当に魔法の扱い方がド下手くそですね」
「あなたほど霊力を使いこなせるやつは早々いないって……」

 アルカを横目にバルは少し考え込む。そして面倒そうにため息をつくと「仕方ないですね」とアルカを見下ろした。

「それで、結局何がしたいんですか?」
「……普通に外に出て日の光を浴びたいです」
「とはいえ今は夕暮れなのですが……まあいいでしょう。少しだけなら構いませんよ」
「えっ!? い、いいの?」
「暴走でもされたら流石に困りますから。今回だけの特別措置とします」
「わーいやったー!」

 アルカの秘色の瞳が水を得た魚のように輝いていく。先程までの不調はどこへやら、扉が開かれると意気揚々と飛び出してきた。

「いや〜管理人のくせになんだかんだこの国のこと知らないからさ〜、視察もかねて今の町を見てみたかったんだよね〜」
「あんな目に遭ったのによくそんなこと言えますよね」
「……まあ、それはほら。カガチさんが何も言わずに勝手に国を出て行ったのも悪いから。状況が飲み込めない中でボクみたいな怪しいやつが来たら国のみんながああなるのも無理はないって」
「あの時は面白かったですね、罵詈雑言の嵐が」
「いやぁ石投げられたりしてね……本当に怖かっ……お、面白かった? ちょっとバル、今なんて言った?」

 アルカの言葉を聞き流しながら、バルは座敷牢の廊下を歩く。途中壁にかけられているローブを手にとるとそのままアルカへと投げ渡した。

「町を歩くのはいいですけど、勿論わかっていますよね?」
「……”触れない”、”見ない”、”明かさない”、だよね。 ……わかってるよ」
「余程のことがない限りは貴方のすることに干渉はしません。……が、何かやらかさないか監視はしていますので、そちらも含めて肝に銘じておいてください」
「……はい」

 投げ渡されたローブを羽織り、アルカは一ヶ月ぶりの外の空気を吸いに地上へと上っていく。

……

 城下町-キクチバ。6ノ国の中で一番栄えており、どこの国よりも荒んだ町。
近年はカガチの尽力により平穏を取り戻しつつあったが、当の本人が失踪しアルカが管理人になってからはまた少しずつ荒れ始めてきていた。

 そんな城下町の商店街へアルカは足を踏み入れていた。西日の差す商店街では店じまいを始める者、これから営業を始める者、店へ足を運ぶ者などと様々な人たちが各々の生活を送っていた。

 往来の中をアルカは歩き出す。姿を晒さないようにフードを深くかぶりながら、右に左に目を移す。
 行き交う人々は怪しむようにアルカへ視線を向けるが、話しかけることもなくそのまま通りすぎていく。特に話しかけられることもなく、どこか気まずさを覚えながらも前へ前へと進んでいると、

「お、そこの嬢ちゃん」

 と、アルカに話しかける者がいた。見やると店の看板の前でタバコを吸う中年男性が、アルカに手を振り気さくな笑みを浮かべていた。

「お腹すいてない? よかったら食べていきなよ」
「えっ……えっと……」
「うちの飯は全部美味いからおすすめだよ〜」
「あぁ……じゃあお言葉に甘えて……」

 流されるがままに店の中へと入ると、がやがやと賑わう客の声がアルカを迎え入れた。見れば既に複数人が酒を飲み交わしているようだった。

 雰囲気に飲まれないように静かなカウンターの一席へと座ると、カウンター越しで忙しなく働く女性店員が、お冷とメニュー表を差し出してきた。

「いらっしゃい、この店ははじめて?」
「あぁ、はい……外の人に食べていってと言われて……」
「そっかそっか、じゃあゆっくりしていって」

 女性店員は「決まったら教えて」と言ってまた仕事へと戻っていく。アルカはメニュー表を見つめ、しばらく悩んだ末に注文を入れると改めて店内に目を向けた。

 テーブル席に三組、カウンター席に四人、店員が四人……外の人も含めると五人。広さは普通よりも少し狭く、使い古されているものの決して不衛生ではない酒場。おそらく何年も愛されている店なのだろう。
 お冷を飲みながら店内を見渡していると、隣の席で酒を飲んでいた男性と目が合う。男性は気さくな笑みでアルカに話しかけた。

「あんた、もしかして旅人さん?」
「え? あー……えっと……」
「いやぁこのご時世に来ちゃうなんて不運なもんだよ。国王は失踪して自称管理人も姿を現さないもんだからさぁ。前よりもだいぶ荒れ放題になっちゃってんだよね」
「あぁ……そ、そうなんですね……」

 自称管理人、という言葉がアルカの心に突き刺さる。それもそうだ。あの日以来外にすら出ていなかったのだから。アルカはフードを深々と被りなおす。

「んー? 何あんた、もしかして人見知り?」
「あ、あぁ……そう、ですね……あはは……」
「ははは、さっき嫌な話を聞かせちまったからなぁ。まあでも、ここにいるやつらはみんないいやつらだから安心しなって」

 男性は豪快に笑いながらアルカの背中を何度か叩いた。じんわりと広がる背中の痛みに体が強ばり、アルカはひどく緊張した。
 するとカウンター越しの女性店員が「こら、初見さんにちょっかいかけちゃダメでしょ」と男性を窘める。

「不快にさせちゃったらごめんね」
「あ、いえ……そんなことは……おそらく心配してくださったんですよね……」
「お客さん結構お人好しでしょ。嫌だと思ったら嫌って言わないと〜、この人聞かないから〜」
「あ〜? よく言ってくれるなぁ〜」

 男性は笑いながら酒をあおる。「もう一杯」と女性店員に空のジョッキを差し出した。

「もう……ごめんなさいねお客さん、もうちょっとで出来上がるからね」

 女性店員は男性の席に酒瓶を置くと、また別の席へと向かっていく。
 男性はニコニコと人のいい笑みを浮かべながらアルカに「これ美味いから食べな」と塩辛を差し出した。

「あ、ありがとう……ございます……」
「いやいやいいってもんよ。 こんなご時世なんだから飲まなきゃやってらんねぇんだし」
「……そうなんですか?」
「まあ旅人さん見るからに若いし中々理解はできないと思うが、俺ぁここに長くいたもんだからさぁ」

 男性は酒をジョッキに注ぎ入れる。泡が溢れる酒を見つめながら、ぽつりぽつりと呟き出した。

「ここは昔相当荒れていてなぁ。犯罪も日常的に行われていたし、娯楽で人に殺し合いをさせた時代もあった。俺ぁ居場所を追われた人たちの集落で身を隠して、いつか攫われるんじゃないかって怯えていた時期もあってなぁ」
「……」
「で、そんな時にこの国を取り戻してくれて今の状態まで回復させてくれたのがカガチさんだった。あの人、素っ頓狂なことはするが、いつも俺たちのためにあちこち走ってくれて、本当に俺たちにとっての希望みたいな存在だった」

 懐かしむように思い出を語る男性は、次第に表情が強張っていき、頭を抱えてうなだれる。

「……だのに、急に国からいなくなるもんだから驚いたよ。いや、あの人なら何か理由があってそうしたんだろうと予想はつくが……それでも素性も知らねぇ女にこの国を託すほどなのか? だったらウリに託してくれた方が安心できたんだけどなぁ」

 そこまで話すと一気に酒を飲み干し、また新たに注ぎ入れた。

「いやぁ旅人さん、湿っぽい話をして悪かったな」
「あ、いえ……そうですよね。信頼していた人がいなくなって、知らない人が国を……ってなると、誰だって不安にはなりますから」
「まあ、これは俺の一意見だが、俺と同じ考えの奴らは少なくないだろう。みんなカガチさんしかいないって思っていたわけだからな」
「ミヨシさんはカガチさんにだいぶ世話になっていたわけだからねぇ」

 女性店員が話に入りながら、アルカの前に料理を差し出してくる。

「アタシもこの店を開いた時にだいぶ世話になったなぁ。あの人、考えるより動くタイプだからさ、特に最初の頃とかはいっつも来てくれてたのよね」
「へぇ……」
「時代は常に新しくなっていくものだから、アルカさんって人が作る時代も受け入れるつもりだけど……やっぱカガチさんとは違うんだなぁって。受け入れられない自分もいるのよねぇ」
「……そうですね」
「ま、そんなことは置いておいて。ほら冷めないうちに食べちゃって」
「はい……いただきます」

 アルカは二人に差し出された二つの料理を口に運ぶ。温かい料理は、どこか懐かしく安心するような味がした。
 一つ、また一つと口に運ぶ。無我夢中に食事をすれば、その分霊力が満ちたようで落ち着きを取り戻していた。
 ふと顔を上げると男性と女性店員が談笑をしていた。その会話を中心に、周囲の音が耳に入ってくる。

 宴会なのだろうか、ジョッキを片手に肩を組む男性たち。男女が机を挟んで楽しそうに会話をしている。忙しなく食事を運ぶ店員や、カウンターの席で静かに食事をする男性の姿も見える。

 この空間にいる全員、平和を取り戻しつつあった6ノ国で暮らしていた。
 そして一体その中の何人が新たな時代を憂いているのだろうか。

 アルカは空になった皿に目を落とし、ローブの袖を強く掴んだ。

……

「……では、ごちそうさまでした」

 食事を終え店を出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。商店街は多くの店が閉まっていた。道行く人々は店に目もくれず繁華街の光の中と消えていく。
 アルカは少し落ち着こうと、人気のない路地裏まで歩き物陰に座り込んだ。

「カガチさんの時代、ねぇ……」

 夜の店の宣伝チラシや、捜索願に指名手配犯ポスターと、無造作に貼られている壁をぼんやり眺めながら、独り言のように呟く。

「ボクはカガチさんのようになれると思う?」
「それは、誰に言っているのですか?」
「……さぁ。誰に言ってるんだろう」

 いつの間にか現れたバルは、壁に貼られたポスターを躊躇なく破り捨てる。音と声に耳を傾けながら、アルカは往来に目を向けた。

「さっきのお店にいた人たちのこと、バルは知ってる?」
「いいえ。知っていたとしても、興味がないので忘れました」
「そっか」
「人なんて気付けばすぐ消えますからね。無論、カガチさんも例外ではありません。いくら彼が国に貢献したとしても、転生すれば誰からも忘れ去られるのですから」
「……」
「もういいでしょう。気づかれる前に早く帰りましょう」

 アルカはその問いに目線で返し、立ち上がる。
 その時、男の短い悲鳴が往来から響き渡った。何事かと、アルカは繁華街へ向かう人々の流れに逆らいながら声のする方へ駆け出す。

 声の発生源は先ほど出たばかりの酒屋であった。店の前でタバコを吸っていた中年男性が倒れている。

「だ、大丈夫ですか!?」
「うぅ……ッ」

 中年男性の顔には大きな打撲痕があった。全身にもいくつか打撲痕が存在し、誰かに襲われたと見て取れる。

「ッ……嬢ちゃん……逃げろ……」

 中年男性は腫れた目でアルカを見上げ、ふり絞るように警告をすると、力尽きたように動かなくなる。

「……一体何が?」
「キクチバではいつものことですよ」

 適当な国民に変化したバルが、中年男性を見下ろしながらアルカだけに囁く。

「一度悪い方向に傾いた国はそう簡単に良くはなりません。カガチさんが消えてたった一か月しか経っていないのに、あっという間に元通りになりました。誰も巻き込まれたくないから、こうなっても誰も見向きもしませんよ」

 往来は店の騒動を横目に見ながら通り過ぎていく。まるで何事も起きていないかのように、そう思い込もうとするように、足早に消えていく。

「これが6ノ国。貴方がカガチさんに代わって統治しなければならない国です」
「……」
「社会勉強にはなりましたでしょう。でしたら今日はもう帰って──」
「いやいや帰ってられるか!!!」

 アルカは咄嗟に立ち上がり、店の扉に手をかける。

「は? 何考えて──」

 バルの静止も聞かぬまま、アルカは勢い良く扉を開けた。
 店内には四人ほどの見知らぬ男が店員と客を拘束していた。先ほどアルカに話しかけていた男性を含めた一部の客は、男たちの持つ武器で殴られたのか生傷が絶えない。次にああなるのは自分たちではないかと、残された客や店員は怯えた表情をしていた。

 その全員が、突如開けられた扉と、再来店したアルカに目を奪われるだろう。

「チッ、誰だテメェは!」
「あ……あんたはさっきの……」
「……」

 三者三様の反応がアルカに被せられるが、残念ながらアルカは考えなしだった。
 バル視点では、心を読まなくてもアルカが「ここから先どうしていいかわからない」と焦りを覚えていることは見てとれただろう。呆れてため息をつく。
 数秒の逡巡の後、アルカは流れに身を任せ威勢を張ることを選んだ。

「何やら騒がしいと思って戻ってきてみれば、なんだこの状況は! 客にしては随分と素行が悪いじゃないか」
「ハッ! 怯えて固まっていたくせに口先だけは威勢がいいんだな?」
「そそそそんなことは今どうでもいいんだよ! ……ええい、強盗だかなんだか知らないけど、人を傷つけ怖がらせるなんて! 管理人であるこのボクが許さんぞ!」
「”管理人”……? へぇ……」
「……あ」

 勢いに任せて正体を明かしてしまったアルカを見て、バルはさらに頭を抱える。
 背中に伝う冷や汗と全員からの「あれが管理人……?」「さっき見た時と雰囲気違くない……?」という猜疑の視線を一心に浴びつつも、それでも余裕の仮面を剝がさないように必死に取り繕う。

「ふっ……バレてしまったのなら仕方ないな」
「自分でバラしたんだろうが」
「このボクが管理人アルカだとわかったのなら、もうわかってるだろう。こんなことはやめて大人しくお縄についてくれ」
「……ま、管理人が来ちまったらどうしようもねぇか」

 男の一人が降参し、両手を上げ無防備にアルカの元へと近づくと、にやりと笑ってアルカの腹めがけて蹴りを入れた。腹をおさえうずくまるアルカのフードを剥がすと、彼女の首を掴んで心底愉快そうに笑った。

「馬鹿が、誰がお前みてぇな得体の知れない女の言うこと聞くかよ」
「ぐっ……」
「管理人だといっても所詮はガキだ。人型だ。首を締めりゃ死ぬのか、一度試してみたかったんだよなァ」

 首を掴まれたまま持ち上げられる。声も上げられず息も止められてしまい、アルカは虚空を眺めたまま無抵抗に吊られていた。あっけない終わりに男はつまらなそうにアルカの顔を覗き込む。

 突如、眼鏡の奥から覗かれた瞳がぎょろりと男を捉えたかと思うと、次に瞬きをした時には男は地面に倒れ伏していた。状況を飲み込めぬ男が立ち上がろうとすると、片腕に鋭い痛みが走る。見ればあらぬ方向に折れ曲がっていた。
 解放されたアルカは、いつの間にか持っていた木刀を男目掛けて振り下ろし気絶させると、残りの男たちに木刀を向けた。

「選ばせてあげる。大人しくお縄についてくれるか、お仲間さんと同じ目に遭うか」
「チッ……調子に乗りやがって!」

 男の一人がアルカにナイフを向け襲いかかる。力任せに振り下ろされたナイフを見据え、寸でのところで回避し、懐に潜り込んで鳩尾をつく。隙をついてアルカは男の腕を木刀で叩いた。握られていたナイフは軽い音を立てて落下する。

 アルカが周囲を見渡すと、もう一人の男がアルカをめがけて鉄パイプを振りかざしていた。持っていた木刀ではじき返すが、衝撃で体勢を崩してしまう。
 再び木刀を構えようとした途端、背後から腕が伸び羽交い絞めにされる。振り向けばナイフを落とし無防備になった男が、そこにはいた。

 木刀を落とされ、アルカは成すすべもなくなってしまう。

「なんだ、結局威勢だけの弱い女じゃねぇか」
「……」
「さて、このまま管理人を壊してもいいが……そうだ。まずはいいものを見せてやろう」

 鉄パイプを持った男は残った男に指示をすると、人質になった客の一人を掴み上げて銃をつきつける。

「まずはこの男から殺す。あの女みてぇにな」

 羽交い絞めにしている男は、アルカの顎を掴んで無理やり見せつける。視線の先には、銃で撃たれたのか胸をおさえて倒れる女性店員の姿があった。

「……!?」
「善良な国民が死ぬところを、しっかり目に焼きつけておくんだな」
「……そう、そんなことするんだ」

 銃を突きつけられた客は、焦ったように抵抗をする。だが拘束された体では何もできなかった。抵抗を諦めた彼は、すがるようにアルカを見る。
 アルカは無抵抗に、冷静に、光景を見据えていた。目に焼き付けるように、目の前の──鉄パイプを持つ男を見て、不敵に笑った。

「いいよ、遠慮はなしだ」

 同時に銃声が鳴る。だが、想像していた結果は違った。

 銃口はアルカの背後に向けられていた。倒れたのは彼女を羽交い絞めにした男だった。彼の額に丸い穴が空いている。
 男を引き剥がしたアルカは、落ちた木刀を拾い上げて鉄パイプを持った男に向き直る。男は、銃を持つ男をキッと睨みつけ、アルカを押しのけ逃げようとした。

 だが、一歩足を踏み出した瞬間、男は地面に倒れ伏していた。鋭い痛みに顔をしかめる。足には穴が空いていた。銃声も倒れた衝撃もなかったはずだと混乱している男の視界に、客に銃をつきつけていたはずの──本物の仲間が、倒れている姿が映った。

「明日になれば体は全部元通りだけど、こんなことは二度とできないだろうね」
「な、なんなんだテメェは……」
「……6ノ国の管理人”アルカ”。それ以上でもそれ以下でもないよ」

 男が最後に見たアルカの姿は、まるで悪魔のように笑っていたと、錯覚した。

 アルカはすべてが終わると、男たちを一か所に集めて拘束する。
 一方、男の一人に変化していたバルは、人質の拘束を解いて足早に店を出ようとしていた。

「通報はしておきましたので、後は向こうがやってくれるでしょう」
「相変わらず用意周到だね……」
「とっととずらかりますよ」

 バルはちらりとアルカを見やる。その目を見てアルカは叱られることを察して委縮した。
 慌ててフードを被りなおし、最後に店内を一瞥すると「お騒がせしました」と頭を下げて店を出た。

……

 ……その日の晩は言うまでもないだろう。怪我人や人質は無事に保護され、店を襲った犯人らは捕まった。翌日になれば体はすっかり元通りとなっていたが、荒れた店内だけはそのまま残っていた。
 アルカ側もできる限りの手を尽くす。その甲斐あってか、数日たてば店も片付き、元通りの日常へと戻ってきた。

 夕暮れ、アルカたちは店の様子を路地の物陰から眺めていた。

「いやぁ……まさかここまで治安が悪いなんて思わなかったな……」
「もう二度と目立つようなことはしないでください」
「わかってるよ……だからこうして様子だけ見て帰ろうとしてるじゃん……」

 約束を破ったことと、助けるためとはいえ魔法を使ってまで暴れたことをきつく怒られたアルカは、ばつが悪そうな表情で反省する。

 タバコをふかした中年男性が、常連の男性と楽し気に会話をしている。扉が開くと女性店員が現れて、そのまま扉の中へと消えていった。中年男性はまた楽し気に往来に声をかけて、誰かが店の中に入り……。一連の光景は、まるで数日前の事件なんてなかったかのようだった。

「……ああいうことがこの国でよく起きているんでしょ?」
「あんなに分かりやすく来ることはあまりないですけどね」
「そっか……。カガチさんには敵わないだろうけど、少しずつこの国をよくしていかないとな」
「まずは霊力を使いこなせるようになってから言ってください」
「はいはい……」

 そろそろ帰ろうと動き出す。最後に店の方を見ると、あの時バルが銃をつきつけた客が店の前にいた。彼もまた日常に戻れた一人なのだと、胸をなでおろす。

 視線に気づいたのか、客はアルカに振り向く。目が合ったことに気づくと、客は目を細めて笑った。
 何故だか、その笑みを見てアルカは胸がざわついた。気づけば客はこちらに背を向けて中年男性と楽しげに話をしていた。

「……気のせいかな」
「何かありましたか?」
「……いや、なんでもない」

 バルはそれ以上何も聞かなかった。興味がないからか、はたまた聞く必要がないと判断したからか、もしくはそれ以外の理由か。それはアルカにはわからない。
 アルカはフードを深く被り直し、往来に紛れて座敷牢へと帰っていく。

 ……その後ろ姿を、目に焼き付けるように客は見ていた。

「どうした? ツキミくん、知り合いでもいたかい?」
「さぁ……どうでしょうかぁ」

 失くした宝物が見つかった時のように、ツキミと呼ばれた男は笑みをたたえる。

「……知り合いだったらいいですねぇ」

 心底嬉しそうに曖昧な返しをするツキミは、上機嫌に店の中へと入っていった。
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