幽世.live

 青臭い新緑の匂いが広がるアサギ森の中を俺は歩いていた。
 理由は大したことではない。ただの気分転換だ。危険だと言われている森の奥へは向かわず、ほんの少し散歩して休んで……そろそろ帰ろうと立ち上がった時だった。

 風がそよぎ木々が揺れ動く音に混じり、背後からガサガサと何かが近づいていく音が聞こえた。
 俺は思わず音のする方へ振り向くと、そこには真っ黒な何かがこちらに近づいてきて──。

……

「──そんで俺は全速力で逃げてきて無事に帰ってきたんだけど、その時に大事なものを落としちゃったんだよねー!」

 そういって男は大雑把に切り分けられたパンケーキを一口放り込んだ。

 ミハナダ街の一角に存在する飲食店にオレは呼び出されていた。
依頼人であるヒイラギという男が、今朝方罪人に襲われた拍子に大事なものを落としたそうだ。

「その大事なものっていうのはなんだ?」
「金のペンダント的な?いつも付けてんだけど、多分襲われた時に外れちゃったんだろうねー!」

 大事なものと言う割には深刻そうな表情を一切見せず、ヘラヘラと笑いながら特徴を述べていた。

「……わかった。そのペンダントを見つけたら届けてやろう」
「お、マジでやってくれんの?サンキュー!ついでにあの化け物もとっちめてほしいんだけど──」
「残念だがそれはできない」
「えー? どうしても無理なの?」
「どうしてもとっちめたいのならお前がすればいい」

 淡々と告げられたヒイラギは残念そうに頭を掻きながら「まあしゃーないか」と飲み込んだ。

「ま、とにかくやってくれるならなんでもいっか!じゃあウリくんヨロシク!俺はまた襲われたくないからここで待ってるわ!」
「……あぁ」

 随分と気の抜ける言葉を受けつつも、オレはミハナダ街を離れアサギ森へと向かうことにした。

 何度目かのこの森は、相変わらず木々が揺れる音くらいしか聞こえない。罪人がこの森に住み着いていることから危険な森として認識されているのだろう。今日も人の気配はない。

 ヒイラギが襲われた現場へとたどり着く。日が差し込む空間……にも関わらず照らされているのは草の生えていない地面であった。
 あたりを見渡してもペンダントらしきものは見当たらない。さらに探そうと地面に膝をつけ視点を落とした。

 ふと、草木をかき分ける音が聞こえてくる。迷いのないその音はこちらに一直線に近づいてくる。そして前方にそれは現れた。

 ドロドロと溶けたような造形をした真っ黒なそれ──罪人は、咆哮をあげてオレに腕のようなものを振り下ろしてくる。
 黒い粘液が目の前で滴り落ち、影がさす。振り上げたその腕が落ちることはなかった。

 罪人は魔法で操られた草によって絡め取られる。逃れようとしてもまた新たな草が罪人を捕らえ、抵抗すればするほど拘束がより強固なものになっていった。
 粘体の体であっても掴めるものなのだな、と感心しつつも、立ち上がり罪人を見やる。

 不定形な形のそれは赤く光る双眸以外の全てが真っ黒であった。どこを見ても金色のきの字も見当たらない。

「なあ、お前がここにいた男を襲ったのか?」

 罪人は抵抗をしながら唸り声をあげている。……そうだとは思ったがやはりこのままでは話は通じないらしい。

「……まずは落ち着け」

 オレは液体の入った小瓶──試作品だと半ば強制的に押し付けられたもの──を取り出し、蓋を外して罪人の中へと瓶ごと取り込ませた。
 液体を取り込んだ罪人は悲鳴にも近い一際大きな唸り声をあげて、束縛を解こうと暴れ出す。だが次第に罪人は不定形な形から人の形へと変わっていく。しばらくすると疲れ果てたかのように抵抗をやめ、膝をついた。

 大きく肩で息をしながら平静さを取り戻す。人の形を取り戻した罪人は、脱力をしながらもこちらへと顔を上げた。

「……い、一体何を、」

 体の一部が黒いままの女性は、酷く怯えた顔で自身の体を見やる。意思疎通が可能になったため彼女の拘束を解いた。そのまま地面へ座り込むと今度は自身の体を触り、困惑した表情で再度こちらを見やった。

「これ、どういうこと……ですか……?」
「……試作品らしい、おそらく長くは持たない。だから単刀直入に聞く」

 オレはしゃがみこんで女性と視線を合わせた。

「今朝ここに来ていた男を襲ったのはお前か?」
「……」

 女性はそう言われると考え込むように視線を落とした。しばらくしてぽつりぽつりと言葉を呟いていく。

「今朝……確かに、誰かいましたね。男性の方で……そう、ここで何かしてました。それで、私を見た途端すぐに逃げていきました。襲った自覚はないのですが……多分襲った……のかな……」
「……その時に男は何か落とさなかったか?」
「落とした……?」
「そうだな……曰く金のペンダントを落としたらしい」
「ペンダント……あっ」

 女性は自分の体をペタペタと触るとみぞおちに手を当て両手でさすった。

「多分、ここにあります」
「……取り込んだのか?」
「ええ……どうなっているのかはわからないんですけど、なんだかこのあたりに違和感が……二つくらい……」
「……」
「あはは……取り出せないか試してみます」
「そこまではしなくていい」

 みぞおちに爪を立てようとした彼女を止める。この状態で腹を開かれても困る。

「さっきも言った通りこの薬はおそらく長くはもたない。意志のある状態で取り出せば痛い目に遭うだろう。だからお前が元に戻ったら取り出す」
「……あの、本当に私、元に戻っちゃうんですか?」
「試作品だからな……」

 その言葉を聞いた女性はうなだれて地面に爪を立てる。かと思えば突然こちらに近づき、がしりと肩を強く掴んできた。

「わ、私元に戻りたくないです。もう、あんなの嫌なんです。自分が自分じゃなくなって、何も考えられなくなって、したくないことばかりしてしまうなんて……!」
「……」
「私、このまま街に帰りたいです。会いたい人がいるんです。どうしても会いたくて、……お願いします。どうか、人のままでいられるうちにどうかお願いします……」

 女性は力のこもったその手で肩を揺さぶり、枯れた声で懇願する。緩やかに彼女の皮膚を侵食する真っ黒な粘液が、その願いは叶えられないと無情にも訴えかけてくるだろう。

「……そいつの名前は」
「名前……名前は……あれ……」
「そいつはどういう見た目をしている?どういう話し方をしていた?」
「見た目はえっと……は、話し方は……あれ……なんで……」

 力が弱まり、滑るように離れた手は自分自身の顔に当てられ、次第に頭へと滑らせた。人の形も保てなくなった体が溶け始めていく。

「わ、私……何も覚えてない……なんで……?私、会いたい人がいて……誰だっけ……私は……」
「……」
「あ……やだ……いやだ……た、たすけて……たすけてください……たすけ……」

 ついには頭部すらも溶け、彼女は元通りの罪人となった。赤い双眸は一点を捉えないまま泳いでいる。黒い粘液が滴り落ち、地面の中へと消えていく。襲いかかる様子もなく、罪人はただ茫然と佇んでいた。

「……」

 ペンダントの在処である罪人の体内に手を入れる。粘液が腕に絡みついてくるが、取り込む気はないようで、力を入れずとも手を抜けられそうだった。
 探しているとコツンと二つの固いものに指が当たる。指に引っかけ、二つを取り出した。
 その手には粘液の入った小瓶と黒い粘液が付着した金のロケットペンダントが握られていた。

「どうすることもできなくて悪かったな」

 その言葉を聞いてか聞いてないか、罪人はずるずると粘液を残しながら森の中へと去っていった。

……

「いやー!本当にありがとう!助かったよー!」

 街へ戻ってきた頃にはすっかり日が落ちていた。にもかかわらず全く同じ席で帰りを待っていたらしいヒイラギは、オレの姿を見るや否やこちらが恥ずかしくなるほどに歓迎してきた。
 粘液が落ちてはいるものの、一部が変色してしまった金のペンダントを渡す。男は「まあ無事に帰ってきたならそれでいっか」と随分能天気なことをいいながら大事そうに手中に収めた。

「あぁそう!特別にペンダント見せてあげるよ!」
「別にいい」
「なんかさー、随分昔に誰かから貰ったやつなんだけどさ、そいつが思い出せないんだよね!びっくりするよねー!」
「はぁ」

 拒否を押しのけて勝手に喋るヒイラギは、ペンダントを開けると目を細めて微笑み、オレに差し出した。

「このペンダント、中に俺の描いた絵が入ってるんだけどさ。知らない人が描いてあって。変だなーおかしいなーって気味悪く思っちゃうんだけど、でもなんか大事にしたいっていうかさー。多分この人から貰ったんだと思うけどー」
「……」
「だから失くした時終わったー!って思ったんだよね。汚れてしまったけど無事帰ってきてくれてめっちゃ嬉しいんだよなー!だからサンキュー!」

 男は話に満足したのか、ペンダント──あの罪人と同じ顔をした女性が描かれていた──の蓋を閉じて丁寧に自身の首に下げる。
 オレはあの罪人のことを言わず、不用心に森の奥へいかないようヒイラギに釘を刺し話を切り上げた。
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