あの日のヒーロー
「…もう大丈夫そうだね」
空を見上げながら女の子が言った。
「そろそろ帰って、弟たちの面倒を見ないと」
「弟もいるんだね」
「うん。弟が三人と、妹が一人いるよ」
「兄弟多いんだな」
どおりでしっかりしているはずだ。お姉さんのような雰囲気があったのは、そういうことだったのかと納得する。
「気をつけて帰ってね」
にこりと笑う女の子に違和感がした。それは悪い違和感じゃない。傘を持ってきてくれたのなら、傘を渡してすぐに帰ったってよかったはずなのに。雨が落ちつくまでそばにいてくれた。
『もう大丈夫そうだね』
それは天気の話じゃない。
───俺たちのことだったんだ。
かっぱのフードを被ろうとした女の子が、ふいに動きを止めた。また自身のウエストポーチを探りだしたと思えば、俺と無一郎に一つずつそれを手渡してくる。袋に詰められた、丸くて小さなパンだった。パンの中央には黒ごまが散りばめられている。
「あげる」
「えっ…」
「でもお金…」
「余ったパン生地で作ってくれたやつだから、売り物じゃないよ」遠慮して返される前にと考えたのか、女の子は小走りで屋根の下を抜け出る。
「じゃあね」
灰色の世界に黄色のかっぱがよく映えている。
手を振って駆けていく後ろ姿を追うように「待って!!!」と叫んだのは無一郎だった。滅多に大声をださない弟の行動に、俺は心底驚いた。女の子が立ち止まり振り返る。
「あの…ぼく、むいちろう…!!」
すぐに無一郎が視線で訴えてきた。
ほら兄さんも!と顔に書いてある。
マジかよ。
「あー…えっと…。俺が、ゆういちろう!」
こんな自己紹介の仕方初めてだ。
なんだこれ恥ずかしい。
意味もなく片手を上げてしまった。
「きみの名前はー!?」
無一郎が叫ぶと、女の子も大声で返してくれる。
「かまどねずこ!!!」
爽やかな初夏を感じさせるような、澄んだ声だった。まだ少し降り続ける雨の中、ねずこの後ろには太陽が顔を出している。照らされた光の中には小さな虹ができていた。
「むいちろうくん!ゆういちろうくん!またね!」大きく手を振った後、今度こそねずこは振り返らずに走り去っていった。来たときと同じように、豪快に水しぶきを上げながら。
背中に羽が生えてるかのような軽い足どりだった。ねずこの足跡を辿るように、灰色の世界に色が戻っていく。そんな幻想的な風景が見えた気がした。
「………ねずこ」
噛みしめるように無一郎がつぶやいた。
もらったパンの袋から、ほんのり甘い匂いがする。
遠くから、俺たちを呼ぶ声がする。
空を見上げながら女の子が言った。
「そろそろ帰って、弟たちの面倒を見ないと」
「弟もいるんだね」
「うん。弟が三人と、妹が一人いるよ」
「兄弟多いんだな」
どおりでしっかりしているはずだ。お姉さんのような雰囲気があったのは、そういうことだったのかと納得する。
「気をつけて帰ってね」
にこりと笑う女の子に違和感がした。それは悪い違和感じゃない。傘を持ってきてくれたのなら、傘を渡してすぐに帰ったってよかったはずなのに。雨が落ちつくまでそばにいてくれた。
『もう大丈夫そうだね』
それは天気の話じゃない。
───俺たちのことだったんだ。
かっぱのフードを被ろうとした女の子が、ふいに動きを止めた。また自身のウエストポーチを探りだしたと思えば、俺と無一郎に一つずつそれを手渡してくる。袋に詰められた、丸くて小さなパンだった。パンの中央には黒ごまが散りばめられている。
「あげる」
「えっ…」
「でもお金…」
「余ったパン生地で作ってくれたやつだから、売り物じゃないよ」遠慮して返される前にと考えたのか、女の子は小走りで屋根の下を抜け出る。
「じゃあね」
灰色の世界に黄色のかっぱがよく映えている。
手を振って駆けていく後ろ姿を追うように「待って!!!」と叫んだのは無一郎だった。滅多に大声をださない弟の行動に、俺は心底驚いた。女の子が立ち止まり振り返る。
「あの…ぼく、むいちろう…!!」
すぐに無一郎が視線で訴えてきた。
ほら兄さんも!と顔に書いてある。
マジかよ。
「あー…えっと…。俺が、ゆういちろう!」
こんな自己紹介の仕方初めてだ。
なんだこれ恥ずかしい。
意味もなく片手を上げてしまった。
「きみの名前はー!?」
無一郎が叫ぶと、女の子も大声で返してくれる。
「かまどねずこ!!!」
爽やかな初夏を感じさせるような、澄んだ声だった。まだ少し降り続ける雨の中、ねずこの後ろには太陽が顔を出している。照らされた光の中には小さな虹ができていた。
「むいちろうくん!ゆういちろうくん!またね!」大きく手を振った後、今度こそねずこは振り返らずに走り去っていった。来たときと同じように、豪快に水しぶきを上げながら。
背中に羽が生えてるかのような軽い足どりだった。ねずこの足跡を辿るように、灰色の世界に色が戻っていく。そんな幻想的な風景が見えた気がした。
「………ねずこ」
噛みしめるように無一郎がつぶやいた。
もらったパンの袋から、ほんのり甘い匂いがする。
遠くから、俺たちを呼ぶ声がする。