夏の誘惑

*無一郎side*

「兄さん!」
「有一郎くん!」
渡りに船といわんばかりに、兄さんが運よく通りがかってくれた。助かったと思う一方で、反射的に襧豆子を包む両腕に力を込めていた。好きな子の裸を誰にも見せるわけにはいかない。それはもちろん兄にだって当てはまっている。

「兄さん助けて!襧豆子の水着が流されて…」
「えぇっ!?」

「む、無一郎くん…あんまり大きな声で言わないで…」自身の胸の中で、襧豆子がか細い声で言った。慌てて謝ると同時に、彼女の華奢な肩にふれる。嫌がる素振りもなく、胸の中に顔をうずめる仕草に、心臓が早鐘を打ち始める。必死で平静を取り戻そうとする自分。水着が外れた好きな子と、襧豆子へ視線を向けぬよう気を使う兄。見方次第では修羅場とも捉えられそうな光景だ。他の海水客が不思議そうな面持ちで、通りがけに僕たちを見ていた。

「兄さん、タオルとか持ってない?こっち浮き輪しかなくてさ」

「俺もこれしか…みんなでやろうかと思って」頼りなさそうに兄が差し出したビーチボールは、確かに浮き輪同様、体を隠すには不向きだった。首だけを動かして襧豆子が恥ずかしそうに話す。

「有一郎くん。その辺、私の水着ない?」

「水着………いや、見当たらないぞ」
「もう少しあっちじゃない?多分、潜った辺り。先にタオルでも取ってきてほしいとこだけど…水着が遠くまで流れていったらマズイよね」

「だな。探してくる」
僕たちの持っていた浮き輪の穴へ、有一郎が持っていたビーチボールをポンと置いた。

「有一郎くん…あの、ごめんね」
「いいから待ってろ。無一郎、襧豆子から離れるなよ」言われなくても。どさくさに紛れて襧豆子の頭を撫でた有一郎へ、頷いて応える。兄が離れていってすぐ、襧豆子は再び僕の胸の中に顔を埋めた。

「襧豆子?」

「………無一郎くんも、ごめんね。変なことになっちゃって。遊ぶ時間も減っちゃうし」

「気にしないで。海に誘ったのだって僕なんだから」でも、と話を続けようとした襧豆子が、突然口を噤んだ。海パンを履いた男二人組が、僕たちの横を通りすぎていく。そいつらが小さく恨めしそうな声音で『バカップル』と去り際に残していったからだ。
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