居場所

「時透様」

後ろから名を呼ばれ振り向くと、女の人が一人立っていた。派手な着物と派手な髪飾りで、遊女の人だということはわかるが、名前は知らない。

細く切長い目と、不自然なほどに上がっている口角。真っ赤な紅は三日月のように弧を描いていた。なぜだか昔山で出会った狐を連想させる。

「…なにか?」
訝しげな表情を隠さず聞くと、特に気にする素振りもなく女は続けた。

「失礼しました。昨日の宴席でのお礼を申し上げたく…私、里枝と申します。昨夜は助けて頂き、ありがとうございました」そう言って深々と頭を下げる。昨夜に助けた?言われたことをすぐに理解できなかった。昨夜は普通に仕事をこなしていただけで、人助けをした覚えはない。頭を捻っていると、思い当たる場面が一つだけあった。

確か遊女に向かって拳を振り上げた男がいたから、呼ばれたまま男の腕を掴みあげて取り押さえた。そして主人に言われたとおり裏口へ引っ張っていっただけだ。

もしかして、そのときにいた遊女がこの人なのだろうか。襧豆子だったら似合うだろうなと思う着物も髪型も、ここだと全員が同じに見えてしまうから違いがわからない。

「仕事ですので」
そう言い残し会話を終わらせようとするも、顔を上げた遊女が続けた。

「時透様。実は、運んでいただきたい荷があるんです。少しばかりよろしいかしら?」こうして仕事を頼まれることはよくある。だが、この遊女からは何か引っかかるものがあった。初対面のはずなのに、初対面でない気がしてならない。その正体を掴めぬまま、とりあえず返事をして後をついて行った。
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