居場所

そういえば…はたと気づく。襧豆子と結婚して、まだ一度も旅行に行ったことがないことに。口に出すと、宇髄さんがすっとんきょうな声を上げた。

「ってことは新婚旅行もまだなのか?」

「…そうですね」

「そういうことなら俺に任せな!秘境の湯ならいくつか知ってるし、うちの嫁たちもそういうのは詳しい。襧豆子が行きたがってる場所とかねぇのか?」

そう言われ、改めて襧豆子との生活を回想してみる。遠かろうが近かろうが、どんな場所でも彼女は常に笑顔だった。町へおりたときも、定食屋に入ったときも、家の近くをただ散歩するときだって。ただ楽しそうに僕の隣を歩いて笑っていた。襧豆子の笑顔を思い出すだけで、自然と口許が緩んでいく。

「…僕と一緒だったら、どんな場所でも楽しいとは言ってくれましたね…」以前襧豆子が口にしていた言葉が、素直に飛びでてくる。彼女への思いを馳せるのに夢中で、鳩が豆鉄砲を食った顔をしている宇髄さんにも気がつかなかった。


「…お、おぉ…じゃあ、好きな食べ物とかは?」

「僕と一緒に食べる物なら、なんでも美味しいって言ってましたね」

「………あー!じゃあ、欲しい物とかは?」

「…僕がそばに居てくれたら何もいらないって「言ってたんだな、わかったもういい、ごっそさん」おなかいっぱいとばかりに宇髄さんが手を上げたところで、遠慮がちに障子が開いた。


「宇髄さん、時透さん。飯のおかわりはいかがですか?」愛想のよい笑顔を浮かべた、この店の主人がやってきた。小柄で少しふくよかな体型の主人は、昔山で出会った狸を連想させる。

「充分だよ、ご主人。気を使わせて悪いな」

「大丈夫です。ありがとうございます」
軽くお辞儀をすると、また主人がのんびりとした口調で話しだす。

「いやはや、お二人が来てくださって本当に助かりました。遊女の人数が増えて、若い衆の方の人手が足りなくなってきやしてねぇ。来週には新しい従業員が入る予定ですので、それまでどうかよろしくお願いします」

遊女の人数が増えたという点には、少なからず自分も関係している。宇髄さんのしたり顔に相槌で返事をし、残りの夕餉を終えた。
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