蛍火の下で

僕と一緒に部屋から出ようとする襧豆子へ、ずっと黙っていた冨岡さんが声をかけた。葡萄色と亀甲柄でほどこされた、自身の羽織を脱ぎはじめる。

「襧豆子、夜はまだ冷える。羽織一枚では足りぬだろうから、これを着ていけ」

「え…でもこれ、義勇さんの大切な羽織なのに」

「襧豆子になら構わない。それに、これはおまえが繕ってくれたものだろう」

「そんな、大したことしてません」
「俺にとっては大したことだ」

二人の間に、やわらかい空気が流れだした。
襧豆子の命を最初に助けたのは、紛れもない冨岡さんだ。記憶をなくしていたといえ、鬼の襧豆子を庇ったことは自分にはなかった。

歯がゆい思いに唇を噛み、胸が締めつけられる。

二人の間には僕の知らない信頼関係が確かにあって、それを目の前でありありと見せつけられた気分になった。


襧豆子の肩に回してきた手を、自然と振り払う。パシッと軽い音が鳴って、一瞬だけ空気が固くなった。冨岡さんの羽織に罪はないが、その羽織を着る彼女など見たくなかった。


「俺の羽織を貸すので大丈夫です」

睨んだ気はないけど、睨んだように見えたかもしれない。そう見えたのなら、それでもいい。
驚きに満ちた冨岡さんを無視して、自身のエ霞文の羽織を脱いだ。

襧豆子の肩に羽織らせると、そのまま引き寄せて部屋を出る。愛らしく染まる頬も、戸惑いを浮かべる表情すら、誰にも見せたくなかった。

廊下に出ると、少しだけ生ぬるい風が頬を撫でてきた。橙色に灯された照明を辿るように、玄関へと歩を進めていく。


「あの…無一郎くんが寒いよ」

「俺は大丈夫」

「でも…」
「いいから」
引き寄せる手に力を込めると、さらに襧豆子との距離が近くなった。大きく開く桃色の瞳に、照明が反射して光を放つ。

「それ羽織ってて。おねがい」

胸の息詰まりがとれたのは、小さく頷く彼女を確認してからだった。
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