蛍火の下で

──温泉というのは、本来なら疲れを取ってくれるものだ。逆に疲れが増して、さらに少しのぼせた気がする。

僕の表情を汲み取った上で、事情を聞いた小鉄くんが愉快そうに笑いだした。

「あっはっはっはっ!温泉の方がえらい賑やかだと思ったら、そんなことがあったんですね!」

笑い声があふれるひとつの部屋にみんなで集まり、共に食事を囲っていた。

久しぶりに童心に帰ったと語る宇髄さんと、昔に比べ、表情が豊かになった冨岡さん。平和を感じずにいられない光景に、胸がいっぱいになった。隣で食事をする襧豆子が、楽しそうに声をかけてくる。

「無一郎くん、これ美味しいよ」

「ん、どれ?」
彼女の膳をのぞくと、天ぷらの盛り合わせの中にあるタラの芽を指していた。

「このタラの芽の天ぷら。お兄ちゃんがタラの芽好きでね、家でよく作ってたんだ。お兄ちゃん自分の好物なのに、すぐに下のきょうだいたちに譲っちゃってね、結局ひとつしか食べられなかったりして」

「ふふっ、炭治郎らしいね…そういえば兄さんも、最後のおかずには、いつも手をつけなかったな」

「双子のお兄さん?」
「うん」

両親が亡くなり、兄から笑顔が消えたあの日々は、いつだってすぐ思い出せた。不機嫌そうな表情も、棘のある言葉も、両親を亡くした悲しみからきていたことに、あの頃は気づけないでいた。

僕は、確かに兄に守られていた。

「………食べていいのか迷ってたらさ、さっさと席を立っちゃうんだよね。だから最後のひとつはいつも僕が食べて….口には出してなかったけど、あれ譲ってくれてたんだね。今気づいた」

──口に出してくれないとわからないよ。
不器用な亡き兄に向かって、心の中でぼやいた。しんみりさせてしまったと襧豆子の方へ向き直ると、なぜだか彼女は使命感に燃えた瞳で、小鉢を手にしている。

「無一郎くん、これ最後のひとつ!あげる!」

ずいっと差し出してきたのは、大根の煮物がひとつ残っている小鉢。こんなふうに下のきょうだいの面倒を見ていたのだろうか。落ち込む弟を慰めていたのだろうか。

彼女らしすぎる行動が、気を使わせてしまった心苦しさを一気に消し去ってしまう。

「…ぶっ!」
「あ、なんで笑うの!」

「……っ、ふふっ。だって…いや、いいよ。自分の分ちゃんと食べてよ」

「でも無一郎くん、大根好きだから…」
「僕は弟じゃないって言ったでしょ?」
そう言うと襧豆子の頬がじわじわと赤みを増して、自然と自分の口角も上がっていく。

「あれ?また温泉に入った?」
「!?もうっ!すぐにそうやってからかう!」

襧豆子とのこんなやり取りも、僕にとっては平和でくすぐったい瞬間だった。次の瞬間、本当に脇の下でもくすぐられたみたいに、お茶を吹きこぼしそうになる。


「時透さんと襧豆子さん、いつから二人はお付き合いしてたんですか?」

小鉄くんが天気の話でもするように尋ねてきた。
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