君よ進め

二人で縁側に腰かける。山の空気は一層澄んでいて、今夜も星がきれいに見えた。静かな夜の山。本格的な冬を目前に控えた獣たちは、活動をやめて夜でも静かだった。奥の部屋から伊之助のうるさいイビキだけはよく聞こえた。

事前に持ってきていたひざ掛けを襧豆子ちゃんの肩にかける。

「…ありがとう」

「いえいえ」

さて、どう切り出そうかな。
思案していると襧豆子ちゃんの方から話を始めてくれた。

「善逸さん…」

「…うん」
今から紡がれる言葉を想定して、ゆっくり目を閉じる。大好きな襧豆子ちゃんの音を、聞きたくないと思ったのは初めてだ。

けど、聞かなくちゃいけない。
彼女が進むためには──。


「………ごめん、なさい…」
か細く震える声が耳に入ってくる。優しく、切なく、全神経に流れてくるようだった。

………あぁ。やっぱりどんな時でも襧豆子ちゃんの音はきれいだ。真摯に向き合おうとしてくれてるのが痛いほどに伝わる。そんな君だから、俺は好きになったんだ。


「………私、好きな人がいるんです。たとえその人と一緒になれなくても…きっとこの先もずっと…気持ちは変わりません…だから結婚はできません。ごめんなさい…」


「………うん。そうだよね」

本当は知ってた。
君の心には、もう別の奴がいること。

深呼吸して目を開ける。襧豆子ちゃんのきれいな桃色の瞳から、涙がぽとぽと流れ落ちていた。いつもの愛らしい顔が、申し訳なさそうに歪んでいる。

今すぐ涙を拭ってあげたかった。伸ばしかけた手は宙をつかむ。自分の想いを封じ込めるように、握りこぶしに力を入れた。

…俺じゃない。この子の涙を拭えるのは。

きっと俺にそれを伝えることは、相当勇気がいっただろう。傷つけてしまう罪悪感に、押しつぶされそうだっただろう。今も大事そうに持っている小瓶。数粒しか残っていない金平糖。

──ねぇ、襧豆子ちゃん。
君は本当に可愛いよね。

その数粒のすべての金平糖の色は、まるで誰かさんを彷彿とさせるような、美しい翠色。

ねぇ、襧豆子ちゃん。
どうしてその色だけ残してあるの。

本当に可愛らしいことするよね。
嫌でも頭に浮かぶ、昆布頭のアイツ。顔が良くて、強くて、元柱だから金もきっとあって………あぁだめだ。殺したくなってくるからもうよそう。

硬く握りしめていた拳をとく。涙は拭えない代わりに、襧豆子ちゃんのやわらかい髪をそっと撫でた。
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