エッセイ? とかそーさくについての語りなのだ

 アライさんの自小説の書き方フローや思ってることなどを徒然と書くのだ。
 これを書く目的は、フローや思ってることを明確化することによって己の拘りや譲れぬところが見つかるかもしれぬという期待なのだ。
 全5300字あるのだ。時間あるときとか眠れぬ夜とかに読むか、少しずつちまちま読むのがいいのだ。

 まず、アライさんがどんな創作活動をしているのか書くのだ。興味ないフレンズは読み飛ばすのだ。
 アライさんは一次創作小説の執筆活動をしていて、主に800~1200字、3000字、5000字、1万字程度の短編を書いているのだ。あとついったーとかで140字のSSも書くのだ。短編はこれまでにだいたい100作品くらい、SSは50くらい書いてるのだ。
 長編を書くことはほとんどなく、あっても一話完結の連作なのだ。アライさんはシングルタスクなフレンズで、長編のような複雑な構造を持つものの全体を把握しながら書いてくのが苦手だからなのだ。

 書いた小説は個人サイトで無料公開しているのだ。べったーに載せてるのはその一部なのだ。たまに身内の企画とかにも参加してるのだ。
 書籍は長編の同人誌が1冊と短編集が1冊あるのだ。短編集の方はけっこう余ってるので買いたいフレンズがいればついったーでアライさんに言ってくださいなのだ。通販サイトのURLを教えるのだ。
 投稿とか賞への応募はしてないのだ。なぜかというと、賞は長編の募集が多く、アライさんは長編が書けないからなのだ。800字~5000字くらいの短編の賞があればぜひ応募したいのだが、全然見かけないのだ。よさげなのがあったら教えて欲しいのだ。
 アライさんの背景はこのくらいなのだ。じゃあ本題に入るのだ。


 この記事ではアライさんの小説を傾向によって分類し、それについてどういう書き方してるか順に語っていくことにするのだ。


 アライさんの小説の内容の傾向分類には大きく分けて三種類ほどあるのだ。

 1.このサイトにあげているようなド暗い絶望話(孤独、救いなし)
 2.なんかエモいCP話(友情・信頼による救いのパターン)
 3.ひたすら明るいハイテンションなナンセンスギャグ(絶望なし)

 上が一番暗くて下が一番明るいのだ。

 1の絶望話は一番書くのが楽で、これに書かれていることのほとんどはアライさんが実際に体験したことや思っていることなのだ。まあ多少脚色は加えてあるのだが。
 絶望話はだいたいリアルですごくつらい気持ちになったときにその気持ちをどうにかしたくて書き出すのだ。
 書いてる最中は「今アライさんにとって何がつらいか」とかは考えず、今まさに心の中に吹き荒れているつらみを言語化して出力することに夢中なのだ。何がつらいか、などという冷静な思考はゼロなのだ。
 技能的なことについては、順序立てて物語にしよう、わかりやすく書こう、説明は端折らず丁寧に、などということに気をつけつつ書いているのだ。これは心の中で実際に言ってるのではなく、雰囲気みたいなものでほぼ無意識なのだ。
 それで、アライさんは前述の通り、実際に思っていることや体験を書くことが多いのだが、脚色したり改変した方がわかりやすくなると思ったらそうするのだ。そのときは脚色しようとか改変しようとか考えてやるのではなく、これもほぼ無意識でやっているのだ。
 主人公についてはアライさんそのものを書いているというよりは、「アライさんを仮託した主人公という存在」をテキストエディタ(文章を書くためのソフトウェアのことなのだ)の画面上でシミュレートしてる、という方が感覚的にあってるのだ。
 そういう感じだけれども架空のことを書いているのではなく、ちゃんと思ってることを書いてもいるのだ。この辺がなんか微妙というか、わかりにくい感覚かもと思うのだ。
 主人公は確かにアライさんではあるのだが、しかし同時に主人公という一つの存在でもあり、アライさんと同じ悩みと考えを持つ他人、のような感覚なのだ。
 他人のような感覚であるから後から自分で読み返したときに「うんうん、これわかるのだ~」とか思って一クマで共感して救われたりなどということもできるのだ。ただ、書いてすぐのときはまだ癒着してはいるのだが。
 共感について。アライさんは絶望の創作を読むのが好きなのだが、それは「深い絶望への共感」という救いを求めて読んでいるのだ。だから自創作(タイプ絶望)を読み返すときも同じものを求めて読み返すことが多いのだ。
 小説書く人の中には「自家発電ができない」というタイプもいるが、アライさんは絶望創作については「自家救われ」できるタイプなのだ。前述の通り、書いてすぐのときはまだ無理(アライさんの中身が書いてあるみたいな感覚になるのだ)で、数時間から数日、長いと数ヶ月の時間が必要なのだ。それくらい経つと、なんか他人事みたいになってきて、あ~こいつ面白いこと書いてるのだ~! と思えるようになるのだ。
 アライさんが自創作を読んで救われるには、時間が経って細かい表現や内容を忘れた状態が一番いいのだ。内容を詳細に覚えてれば覚えてるほど救われ効果は低減するのだ。幸いアライさんは忘れっぽく色々なことを速効で忘れるおかげで救われ効果はすぐに現れてくれることが多いのだ。忘れっぽいこともたまには役立つのだな。非常に限定的なのだが……(;´∀`)
 しかし、忘れるとはいえ、あんまり時間が経つと救われ以前に文章や構造の粗が見えてきてしまって「あ"ーーーーークソ作品なのだ全部書き直せなのだ!!!!!!」となることも多いので、救われ効果が期待できるのは書いて一年以内くらいのものなのだ。


 絶望話についてはこのくらいにして、次は
2.なんかエモいCP話(友情・信頼による救いのパターン)
 について語るのだ。

 CP話については、出だしに書くためのなんかエモい台詞や書き出しを思いつくないしは見かけて「よーし書くのだ!」となることが多いのだ。
 実際に使った台詞・書き出しの例としては、「夏が始まる。大嫌いな夏。」「ああこいつはもう戻ってくることはない」「×月×日、雨が振った。」等があるのだ。
 出だしを思いつく以外にも、「こういう話が書きたいのだ~」となって書き始めることもあるのだ。今まで書いた話の中には、「異世界の勇者が現代サラリーマンに転生する話」「月面着陸50周年記念で何か適当にCPもの」「嘘が吐けないクラスメイトの話」等があるのだ。
 ご覧の通り、具体的な起承転結を思いつくというよりは、全体のイメージというかふわっとした方向性から書いていくことが多いのだ。
 がっちりプロット立てて文字数まで決めるヒトなんかもいるが、アライさんはだいたいプロットなしで書くのだ。
 アライさんは小説書き始めた段階でオチが決まってることが滅多にないのだ。ほとんどが書いてるうちにオチが「わかる」瞬間が来る、ということが多いのだ。わかるというかひらめくというか、「そうか、この物語はこういうことだったのだな!」と視界が開けるというか、そんな感じなのだ。
 最初からオチ決めちゃうと途中でつまらなくなって書くのやめちゃったりするのだ。書いてる途中にひらめくのが楽しいのだ。
 形のないもやを端から言語化していくうちにぱっと全体像が見えるのだ。
 たまにいくら書いても全体像が見えなかったり長く書いたのに悲惨なエンドになりそうなときに強引に頭で考えたオチを持ってくることもあるけど、そういう作品はだいたい後から読み返したときに「なんか無理があるのだ…」とか「なんか急に終わったのだ…」となることが多くて失敗…って感じなのだ……(;´∀`)
 長く書いたのに悲惨なエンドになりそう、が嫌なことについても述べておくのだ。
 アライさんは基本的に努力にはリターンがほしいと思うタイプなのだ。読者さんが頑張って長い作品を読んでくれたのなら、そこには大団円とかハッピーエンドとかのご褒美を設定してあげたいのだ。苦労して読んで長く付き合ってきた作品の最後がバッドエンド、というのはアライさんは嫌いなのだ。
 あとアライさん、確かに絶望話は好きなのだが、引っ張って引っ張って最後絶望、というのはなんかビミョーに思ってしまうのだ。これはたぶん、アライさんが仲良くなったフレンズや好きなフレンズに幸せになってほしいと思う気持ちと一緒なのだ。アライさんは長く読んでる作品の主人公のことはたぶんおともだちみたいに思ってるのだ。フランクなのだ。
 話を戻すのだ。CP話の内容についてなのだ。
 前述した絶望話は実際に思ってることや体験を書くけど、CP話はこうなったらエモいと思うことやこういう関係性はエモいと思うことを盛り込んで書いてくことが多いのだ。そこにちょっとだけ実際に思ってることや体験をスパイス的に混ぜるという感じなのだ。まあ性癖なのだ。
 ちなみにアライさんの性癖は友情と愛情の間のあやふやゾーンや強い執着とか、執着対象の死別による喪失、人外の人外的常識とヒトの常識とのズレ、等々いっぱいあるのだ。書き切れないのだ。そういうのを1000字ボリューム当たり1セットくらい盛り込んでにやにやするのだ。へっへっへなのだ。
 CP話についてはまあそんな感じなのだ。


 次に、
 3.ひたすら明るいハイテンションなナンセンスギャグ(絶望なし)
 について語るのだ。

 これ書いてるときはメッチャハイなのだ。明るさ200%なのだ。完全に躁状態なのだ。
 連想の思いつくままに好き勝手フルスロットルで書くのだ。シュールな設定がぽんぽん出てくるのだ。これまで書いた話の中には、「主人公が悪のはかせに人体改造されそうになるけどはかせは恋愛小説のワナビで、アドバイスしてあげるって約束でおともだちになる話」「炎の剣士と水の剣士の戦いを地元のヒトが迷惑がっていて、それを広場にある像が動き出して戦い仲裁する話」「海に行ってひたすら一人で遊びまくり、帰りにおにに会うけどそれは優しいおにだったので平和に家に帰る話」などがあるのだ。
 これ書いてるときは本当に何も考えてないのだ。ただただハイなのだ。ハイにまかせて疾走してるうちに全体が見えてきて、ハイのまま最後まで突っ走って気がついたら完成してるのだ。
 でも本当に何も考えていないので、完成したものの出来は自分じゃ判定できないのだ。面白いかどうかさえわからないのだ。ただイタいだけなのではと思うこともあるのだが、好意的に評価してくれたり好きと言ってくれるフレンズもいるのでこの方向性を捨てずに続けているのだ。
 まあアライさんの作品って方向性で判断されているわけじゃないと思うし、この系統の評価が特にいいとか悪いとかいうわけでもなく、ものによって評価は違うのだ。結局個々の作品によるのだ。
 でも140字SSはこの系統が一番よく伸びるのだ。目に見えて伸びが違うのだ。みんなハイテンションシュールSSが好きなのだな。

 分類による解説はこのくらいなのだ。

 補足的に、140字SSについても書くのだ。
 140字SSの創作フローは他の短編の創作フローより密で短いのだ。着想から完成までだいたい10~15分くらいで終わるのだ。
 これも書いてるうちにオチが決まるのだ。ただ140字は短いので、オチが決まってから140字以内に収まるよう推敲したり、全体のバランスがよくなるよう整形する時間が長いのだ。
 アイディア考えたり文章考える時間より推敲してる時間の方がたぶん長いのだ。若干修行めいてるのだ。すぐできるから楽しくはあるのだが。

 アライさんの140字SSも三種類くらいに傾向が分かれるのだ。
 ア:会話だけのもの
 イ:会話・文章が混じったもの
 ウ:会話なしの独白スタイルのもの
 なのだ。
 会話だけのものはCP話やハイテンション話が多く、会話と文章が混じったものはストーリーラインが明確、独白スタイルはハイテンション話か絶望話ということが多いのだ。
 この傾向と内容の関係性については今は考えないことにするのだが、また改めて考えてみてもいいかもなのだ。
 ちなみにアライさん、140字SS書くときの大変さは「イ:会話・文章が混じったもの」が一番難しいのだ。推敲に苦労するのだ。
 たぶん会話と地の文の二種類見ないといけないのがシングルタスクのフレンズなせいで同時処理できず苦労するのだ。苦手なのかもしれないのだ。
 そもそもアライさんは普通の短編でも会話多めか地の文多めのどちらかに寄ることが多いので、バランスよく書くのが苦手なのかもしれないのだ。シングルタスクほんと困るのだ。でも文句を言っても始まらず、書けるものを書いていくしかないので、まあ…日々、のぺーっぱしぱし、な感じで過ごすのだ。

 話が逸れだしたところで、今回の記事はこれでおしまいなのだ。いっぱい書けて楽しかったのだ。この記事もアライさんの絶望話同様、書いてすぐはアライさんの内面と癒着してるので、しばらく経ってから読み返して自己分析の役に立てることにするのだ。
 万が一なんかの参考になるフレンズがいたら嬉しいのだ。
 それではまたなのだ。
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