祐一×珠紀

 三月末、祐一は荷物をまとめて季封村を出て行った。旅立つ直前、珠紀は寂しさのあまり泣いてしまう。
「祐一先輩、身体に気をつけてね」
「ああ」
「ちゃんと三食ご飯食べてね」
「分かってる」
「浮気したら許さないんだからね」
「するわけないだろう」
 声をあげて泣く珠紀を抱きしめて、守護者や美鶴が送ってくれる中、ようやく泣き止んだ珠紀に触れるだけのキスをすると、回りからはブーイングの声が上がるが祐一は無視をした。
「みんな、珠紀を頼む」
「お任せてください」
 美鶴を筆頭に季封村にいるメンバーは大きく頷いて、泣き虫の玉依姫のそばに固まった。
「ありがとう。では、行ってくる」
 それが、祐一の旅立ちだった。

 典薬寮の寮にお世話になることが決まっている祐一は、物件探しをしなくて済んだ。そのおかげで季封村から離れることなくそのまま荷物を郵送するだけでよかったので、時間が許す限り珠紀のそばにいたのだ。
 典薬寮の寮は季封村と同じ県にある、ごく普通のアパートだった。祐一はあらかじめもらっていた鍵を使い部屋を開けると、送っていた荷物が部屋に置かれていたので荷解きを始めた。
 元々そんなに荷物は多くなかったし、家電は揃っていたので二時間もしないうちに片付いた。
 ここは典薬寮の寮ということもあり、電話機が無料で使えるシステムになっている。夜になり全てを終えた祐一は今頃家の電話の前で待っているだろう恋人に電話をした。
 ワンコールで出た珠紀に祐一は思わず苦笑する。どうやら本当に待っていたようだ。
「珠紀か?」
『はい、珠紀です! 祐一先輩、もう片付け終わったの?』
「ああ、終わった。家電は揃っていたし、家具も送っておいたからすぐに片付いた」
『そっかあ。私、祐一先輩から電話くるの待ってたんだよ』
「そうか、待たせてすまない」
『ううん、いいの。ねえ、そっちの生活はどう?』
「どうもなにも、今日から始まったばかりだ」
 珠紀達と午前中に別れて、数時間移動してようやく着いたのがここのアパートなのだ。
『そうでした』
「心配するな、俺は大丈夫だから」
『祐一先輩は真弘先輩と違ってちゃんとしてるから、その辺は心配してないです。……祐一先輩、真弘先輩と違ってかっこいいから、女の子に言い寄られたりするのが嫌なの……』
 真弘が聞いたら烈火の如く怒りそうなことを口にする珠紀に、祐一は思わず笑ってしまった。
『あ! 笑うなんてひどい!』
「大丈夫だ、俺の心は珠紀だけのものだから」
『身も心も私だけのものです』
 つい先日、初めて身体を重ねた二人は身も心も結ばれた。珠紀はそのことを言っているのだろう。
「……ああ、俺は全ておまえのものだ」
『……私も、祐一先輩のものだから』
 言葉にされるとくるものがある。祐一はぐらつく心に改めて物理的な距離があることを悔やんだ。
 しかし、大学進学を決めたのも、それを許されたのも祐一と珠紀にある。鬼斬丸を封印して、全てから解き放たれた祐一は半ば諦めていた大学へ進むことを許されて本当は嬉しかったのだ。
「珠紀、離れていても、心はそばにある」
『うん』
「ゴールデンウィークには帰るから」
『ほんと!? 私、待ってるね』
「ああ」
 それから他愛ない話をして電話を切った。珠紀の声がまだ耳に残っている状態のまま、風呂に入り身を清める。寝るにはまだ早い時間だが、移動したり部屋を片付けたりと一日忙しくしていたので眠くなってきたのだ。ベッドに横になり、祐一は部屋の電気を消して早めの就寝をとった。

 寮から大学までの道を覚えるために家を出て、地図を見ながら大学まで目指す。ありがたいことに典薬寮の寮から大学までは数駅電車乗るだけで着くので、移動時間は一時間に収まりそうだ。すぐ眠ってしまう癖のせいで寝過ごしそうなったがなんとか電車を降りて大学まで向かう。
 桜のシーズンということもあり、道端には桜の花が咲き誇っていた。季封村の緋色には劣るが、桃色もまあまあ悪くないと祐一は思う。
 歩いて数分で大学に着き、道を覚えたところで踵を返した。やることは特にないし、入学前の生徒は大学内に入れないだろうから。
 それからはあっという間だった。なんだかんだしているうちに大学の入学式になり、祐一はスーツに身を包んで一人登校した。
 美しく儚げなオーラをまとっている祐一は入学式で一番注目を浴びていた。当の本人は全く視線を気にしないので、自分がいかに優れている容姿なのかも理解していなかった。
 教室に入るとそれは特に顕著になり、ひそひそと話されていることはなんとなく理解した祐一は不快感を露わにした。紅陵学院でも似たような視線を浴びたが、小さい村だったのでみんな幼い頃から祐一のことを知っていた。彼が寡黙で人と関わり合いを持とうとしないことも知っていた。
 だが、新しい環境になったこの大学では、祐一の知り合いは誰一人としていなかった。彼の素性を知るものはいない。
 それでも、やはり話しかけにくいオーラをしているので誰からも声がかからなかったのは、祐一にとって救いだったのかもしれない。幼い頃のトラウマがあり、祐一は守護者以外のひとは苦手意識を持っていたから。
 その日は簡単な説明を受け、解散となった。勇気を出した女子数名から連絡先を聞かれたが、スマホなどを持っていない祐一はすげなく断った。中には本当に持っていないのかと疑うものもいたが、鞄の中を見せてスマホやガラケーといった連絡手段がないことを認めた女子達は、すごすごと離れていった。
 それを遠目で見ていた女子生徒が一人いたのだが、祐一は気にする素振りも見せなかった。

 寮に帰り、祐一は人の多さに疲れたのもありベッドへ横になる。こういう時は珠紀の元気な声を聞きたくなる。祐一はのろのろと身体を持ち上げて典薬寮の電話機の元へ向かった。
 数コールで美鶴が出て、珠紀に変わってくれと頼むと、美鶴は嬉しそうにして珠紀を呼んだ。
『祐一先輩!』
「元気そうだな」
『はい、私はいつでも元気ですから!』
「今日入学式だったんだが、そっちも始業式だったんじゃないか?」
『うん、また拓磨と遼と同じクラスになりました。賑やかになりそうです』
「そうか。拓磨達がいるなら大丈夫そうだな」
『そうだと嬉しいです』
 それからいつものように取り止めのない会話をした。通話を切るのが惜しくなるが、お互いまだ学生だし明日に響く。祐一は惜しい気持ちを押し込めて電話を切った。
 部屋に戻り、珠紀の明るい声が耳に残る。いつだって聞いていたいと思う朗らかで優しい声は、祐一を眠りの世界に容易く呼び込む。


 新学期が始まり、祐一は美形の一年生として早くも大学内で噂になっていた。誰しもが連絡先を交換したいと名乗り出るが、本当に何も持っていないので諦めるほかない。
 祐一の住んでいるアパートには備え付けの電話機があるのだが、典薬寮という国の機関であることから、おいそれと簡単に電話番号を教えることはできないのもまた事実だった。
 大学生活を送る上で、特にスマホなどの必要性を感じない祐一はそれでよかった。季封村は携帯が通じないことは有名だし、祐一自身も気にしたことはなかった。
 しかし、これからの学生生活はスマホや携帯電話がないとコミュニティの連絡手段がなくなり、スムーズな学生生活を送るのが難しくなるらしい。
 それとなく教えてくれたのは、同じクラスの月島怜という女生徒だった。怜は祐一が冷たいといわれる態度を取っても特に気にしない性格の持ち主らしく、思ったことをはっきりと言うのは見ていて気持ちがいい。
 また、怜は霊力が高いこともありなんとなく本人の纏う雰囲気も悪くないため、授業が被ればたまに話をする関係になっていた。

 ある日、怜から「狐邑君、今日の帰りにスマホを契約しに行きましょう」と言われた。祐一は珠紀以外の女生の扱い方がうまく分からないので「必要ない」と断ったのだが、部活に所属しない連絡手段もない祐一がこれからの大学四年間を送るのは無理がくるだろうということで、無理やり腕を引かれ携帯ショップへと連れて行かれた。
 祐一が大人しく連れて行かれる気になったと怜は気づき、腕を解いた。
 女子によくいる無理にでも祐一と会話をしようとする者が多い中、怜はそういうこともせずただ携帯ショップまでの道を黙々と歩いていた。
 そういうところから好印象を持った祐一は、季封村という小さな箱庭から出ることができた今、もっと新しい知識を取り入れる努力をしようと決めた。
 携帯ショップに着き、多種多様なスマートフォンが携帯が並ぶ中、知識の乏しい祐一は何がいいのか全く分からない。付き添いで来た怜にアドバイスをもらい、店員と相談して少し古い型のスマホに決定した。
 まず手始めに使い方を店員に教えてもらいながら、怜が連絡先を交換しようというので祐一はそれに応じた。勝手が分からない祐一はスマホを怜に渡し、何か余計なことをやらかさないように隣で監視しながら作業は終わったようで「はい、どうぞ」と返された。
 祐一が見ていた限りでは、チャットや通話ができるアプリをダウンロードし、それを怜が自分の連絡先と交換していただけだったので納得することにしたのだ。
「世話をかける」
 にこりともしない祐一に怜は「いいえ、お役に立てたようで何より」とふんわりと微笑みそう返した。
 道ゆく人は怜を見て振り返る人も多いが、祐一は容姿にこだわる性格じゃないので、まあそういうこともあるかと思うに留める。
 夜ご飯を一緒に食べないかと誘われたが、今日出された課題に取り掛かりたいので祐一はにべもなく断り、そこでスマホ購入会はお開きとなった。
 季封村にも多少インターネットは通じているが、都会ほど普及しているわけじゃない。いつでも好きな時にチャットが送れるアプリは非常に便利だということを知った祐一は、季封村の遅れた時代にこういうものが設置されることを願った。
 家に帰りスマホを見ると、怜からメッセージが届いていた。
【今日は狐邑君の役に立ててよかったです。明日は大学のみんなと連絡先交換できるといいね】
 そのように送られたメッセージに目を通し、祐一は慣れないながらも返信を返した。
【ありがとう】
 特にそれ以上でもそれ以下でもないので、たった一言だけ送るとすぐに通知とつき【また明日ね】と返ってきた。それに対して【また明日】とだけ打ち込んでそのまま送信した。
 相手が珠紀だったらどれほど幸せだろうか。好きな時に好きなようにメッセージを送れるなんて、祐一はそんな便利なものを知らなかった。もちろん、珠紀も知らないだろう。珠紀のことを想うだけで会いたくなる。声を聞きたくなる。
 本当は課題をするつもりだったが、ほんの少しだけでも声が聞きたいと手元にあるスマホで何度もかけた番号をタップする。
 数コールで案の定美鶴が出て、珠紀にかわってもらう。
「もしもし」
『もしもし? 祐一先輩、どうしたの?』
 祐一は今日あった出来事を説明した。珠紀は『そんな便利なものがあるんだ』と電話の向こうで驚いているようだった。
『でも、祐一先輩に友達ができてよかったです』
 そう言われて、怜は友達なのかどうか考える。真弘や拓磨のように心を許せる仲では到底ない。そんな相手が友達というのもなんだか変な気がしたので「月島は友達などではない」と一刀両断した。そんな祐一に珠紀はくすくすと笑う。
『祐一先輩のこと、分かってくれる人がいるといいですね』
 珠紀の祐一を案じる声は耳に心地よい。
 以前なら守護者のみんなで固まっていればいいと思っていたが、新しい世界を教えてくれた珠紀のためにも自分の知らないことを知りたいと思えるようになったのだ。
 だから、大学進学を決めた。
「……そうだな」
 祐一は柔らかく微笑む。それが珠紀に届かないと分かっていながらも、顔が緩んでしまい元に戻らない。ここには祐一しかいないのだから、恋人を想って顔が緩んでしまっても咎める人はいない。
「そうだ、俺のスマホの電話番号を教える。時間があったらいつでもかけて欲しい」
『そんなこと言われたら、夜中とかにかけちゃつかもしれませんよ?』
「おまえならいつだって構わない。声を聞きたいんだ、珠紀」
 電話の向こうで赤面している珠紀の姿が安易に想像できる。祐一はスマホの電話番号を教え、珠紀はそれをメモする。
『祐一先輩、ありがとう。さすがに夜中にはかけないと想うけど、声が聞きたくなったら電話してもいい……?』
 ためらいがちにそう言う珠紀に、祐一は「いつでも待っている」と優しく答えた。
 そろそろ課題をしなければならないので、祐一は珠紀との通話を切り上げた。
 ノートパソコンを開き、教科書を読んでタイピングしていく。最初こそ慣れなかったが、アルファベットの配置さえ覚えてしまえば後は簡単だった。すぐにはやくタイピングできるようになり、課題も思っていたより早く片付いた。
 時刻は二十一時を回っており、遅めの夕飯を作ることにした祐一はキッチンに立つ。こっちに来る前、珠紀から簡単な料理をいくつか教えてもらった祐一はそれらを思い出しながら黙々と作っていく。
 一人きりの食事は味気ないものだが、あと一年経てば珠紀もこちらにやってくる。二人で料理を作るのが今から楽しみだと祐一は箸を進めた。
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