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神室町に出てきた理由を、亡くなった母が昔暮らしたこの街を見たかったからと話し、本当の理由は伏せておいた。
接客方法やうまい酔っ払いのあしらい方、酒の種類を覚えたりと忙しく日々を過ごし始めた可那子。
そんなある日、閉店時間間際になってひとりの男が店にやってきた。
「これはまた…!お久しぶりですね」
聞こえてきたマスターの声に、裏で片付けをしていた可那子が顔を出す。
「従業員を雇ったのか」
男は可那子の姿をみとめ、マスターに問いかけた。
「ええ、蔵本可那子ちゃんというんです。神室町にも平和が戻ったので、忙しくなりまして」
「そうか、それはいいことだ」
寡黙そうなその男は、優しげな瞳を可那子に向ける。
そのあたたかな光に胸がとくんと脈打つのを感じながら可那子は、小さく頭を下げた。
そしてマスターは手のひらを上にして男を指し、可那子に紹介する。
「可那子ちゃん、この方は東城会6代目会長、堂島大吾さんだ」
「――…っ!!」
その名前を聞いた瞬間、可那子は持っていたグラスを取り落とした。
「すみませんすぐ片付けます!」
音を立ててグラスが割れ、可那子は慌ててほうきを取りに走る。
そして、
「細かい破片、気を付けて」
「怪我しなかったか?」
「はい、本当にすみませんでした」
心配してくれるふたりにもう一度謝った後可那子は、そういえば…、と自分から話題を切り出した。
「そういえば…東城会、って…?」
あのタイミングでグラスを落としたのは単なる偶然なんだということ、決してそれ以外の理由ではないのだということを、さりげなくアピールするために。
「ああ、可那子ちゃんはこの街の人間じゃないから知らないのも無理はないね」
もちろん可那子の胸中など知る由もないマスターは、当たり前のようにそう言って説明してくれる。
関東一円のヤクザを束ねるのが東城会という組織であり、90を超える直系団体のトップに立つのがこの堂島大吾なのだということを。
「そんなにすごい方なのに…こんな所におひとりでいらして大丈夫なんですか?」
「ミレニアムタワーに直系の組の事務所があって、そこに行った帰りなんだ。少し呑みたくなってな」
大吾は可那子の素朴な質問にもやわらかく答える。
バンタムの目と鼻の先に、神室町のシンボルとして聳え立つのがミレニアムタワーだった。
***
それから大吾は、ちょくちょくバンタムを訪れるようになった。
途切れない会話があるわけではなかったが、大吾はいつでも可那子と自分を包む空気を愉しむようにグラスを傾けていた。
そしてその頃から、マスターは大吾が来ると決まって奥に引っ込むようになっていた。
そんな日々が続いていたある夜、マスターが話してくれた。
大吾が頻繁にひとりで呑み歩けるようになったということは、やはり神室町は平和になったんだということを。
ずっとこんな日々が続いてくれるといいんだけどなと、マスターは言う。
堂島さんのお父さんもやっぱり会長さんだったんですかという、可那子の誘導尋問とも言える質問に対しても、なんの疑いもなく答えてくれた。
大吾の父親は直系堂島組の組長であり、東城会の大幹部であったこと。
女癖は多少悪かったかもしれないが、しかし組員のみんなには好かれていたこと、いい人だったことを。
捜していた兄に会えただけでなく話もできたし、父親のことも聞けた。
だから本当は、可那子はもう地元に帰らなくてはならなかった。
けれど可那子はどうしてもここを離れる決断ができずにいた。
大吾と過ごす時間がどうしようもなく楽しくて、幸せだったから。
そうこうしている間にも店には大吾が来てくれて、ふたりの距離は少しずつしかし確実に縮まっていく。
それはいけないことだと分かっているのに、それでもそんな罪悪感を抑え込んでしまう感情が、可那子の中には生まれてしまっていたのだった。
***
「夜景を見に行かないか」
ある晩そう切り出した大吾は、
「マスター、可那子を少し借りたい」
そう言ってマスターに許可を得ると、可那子を連れ出した。
大吾が可那子を連れて向かった先は、ミレニアムタワーだった。
最上階へのエレベーターに乗せられた可那子は、戸惑ったように大吾を見上げる。
「屋上って…立ち入り禁止ですよね?」
「ああ、でも管理しているのが風間組だから上るのは可能だ」
そう言った大吾に連れられ、工事用のエレベーターのようなものに乗って屋上に向かう。
エレベーターを降り、足もとに気を付けながら屋上の端へ向かって歩くと、
「すごい…!」
可那子は眼下に広がる美しすぎる夜景にそれ以上の言葉を失い、溢れる光の洪水に目を奪われた。
本当に幸せそうな表情で、地上の星々を見つめる可那子。
その可那子を大吾はしばらくの間、眩しそうに、しかしどこか苦しげな表情で少し離れた位置から見つめていた。
そしてその後、意を決したように歩を進める。
自分の手が、可那子に届く位置へと。
強い風が時折吹き抜けていく中、大吾は自分の上着を可那子の肩にかけてやる。
そしてそのまま可那子の肩を抱き、ありがとうございますと大吾を見上げた可那子に顔を寄せた。
「…っ、だめ…っ!」
しかし可那子は、とっさに両手で大吾を制する。
「…何故?」
「だって…」
もう片方の手で可那子の手を握りながら、大吾が問う。
「お前も望んでくれていると思っていたのは、俺の勘違いか?」
「だめ、なの…!」
しかしそれには答えず可那子は、顔をそらし大吾から逃げ出そうとする。
大吾は可那子の手を握っていた手を離し、今度は可那子のあごを捉えた。
「理由が言えないなら…」
そしてそのまま、もう一度顔を寄せる。
「だって私たちは、…っ!」
その時、逃げられない焦りからそう言いかけた可那子ははっとして口をつぐんだ。
その後を、大吾が続ける。
「…兄妹、なんだから…?」
「…っ!!」
その言葉に可那子は目を見開いた。
「どう、して…」
大吾は腕の力を緩めながらふっと笑うと、ゆっくりと話し出した。
随分前になるが宗兵と愛人の間にひとりだけ子供がいること、それは妹だということは弥生から聞いていたこと、
聞いたのが宗兵が亡くなった時だったため正直それどころじゃなくすっかり忘れていたが、可那子に初めて会った時に何故かふと思い出したこと、
気になって調べてはみたが、役場の情報はすべてブロックされていたこと、
だからもちろん確証はなかったが、先ほどの可那子の様子でようやく確信できたこと…。
そして、可那子の髪をなでながら申し訳なさそうに続ける。
「身辺調査のような勝手な真似をして…すまなかった」
「そんな、謝らないでください…っ」
すると、ただ静かに話を聞いていた可那子が泣き出しそうな顔で大吾を見上げた。
大吾はそんな可那子を見て、今度は優しい笑みを浮かべる。
「ああ、だがやはり…変わらない」
「堂島さん…?」
問いかける可那子の頬をそっとなで、大吾は静かに言葉を紡いだ。
「俺は可那子、お前を――…愛している」
それは、望んではならない言葉。
分かっているのにそれでも、強く望んでしまっていた言葉だった。
「お前も同じだと…そう思っているのは俺だけか?」
大吾は、先ほどと同じ意味の言葉を繰り返す。
「、…っ」
頬に手を添えられ優しくあたたかな光を宿す瞳に見つめられると、胸の奥が切なさに締めつけられる。
小さく首を振りながら、けれど可那子はもう逃げ出すことはできなかった。
かすかに震える可那子の唇に、大吾は自らのそれを…静かに、重ねた。