⑨
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「風間仁に会わせて」
大企業のトップの人間にそう簡単に会えるはずがないと分かっていながらそれでも、可那子は受付に座る人間に真正面からぶつかっていった。
そこに返された、意外な言葉。
「蔵本可那子様――ですね?」
「…どうして」
何故受付にまで指示を出し自分をここに通したのか、可那子はまず訊ねた。
三島財閥本社ビルの最上階、頭首執務室。
相対した仁の表情からは、何も読み取れない。
二度と会いたくなどない相手だった。
しかし怒りにのみ支配されている今は、あの時の傷は痛まない。
「来ると思っていた」
「…なぜそう思ったの」
「――…理由などない」
本当は明確な理由があったが、仁はそれを口にはしなかった。
「私がここに来た理由は分かっているでしょう?」
「呪われた三島の血は絶たなければならない」
「だから、卑劣な手を使っても赦されるというの?」
そう呟いた可那子は、仁に向かってゆっくりと歩を進めた。
落ち着いたように見えていたのは外見だけだった。
怒りでどうにかなってしまいそうだった。
可那子にとって一八を傷付けられるということは、そういうことだった。
「だったら私も、卑怯な手段で…っ!!」
叫び、走り出す。
その手には、ナイフが握られていた。
「あ…」
可那子は小さく声を漏らす。
ひとつ、ふたつ、落ちた雫が絨毯に染みを作った。
「管理不行き届きは認めるが、謝りはしない」
仁が静かに言い、可那子の手を握る。
瞬間、可那子の体がびくりと震えた。
「だが、あなたには悪いことをした。だから詫びよう」
ナイフは可那子の手を握る仁の手のひらを貫通していた。
払いのけることは容易いが、敢えてそれをしなかったのはそのためだった。
しかし、仁のその声は可那子の中までは届かなかった。
だから可那子が仁の言葉と自分の行動との矛盾に気付けなかったのは、無理のないことだった。
赤く染まり始めるそこを見つめたまま、動けなくなってしまった可那子。
一八を傷付けた人間への怒りだけで動いた可那子だったが、気持ちだけではどうにもならない部分がさらけ出される。
肉を貫いた感触が手のひらから消えない。
吐き気がする。
人を傷付けることへの耐性が、可那子にはなかったから。
可那子の体がぐらりと揺れた。
仁がそれを支えようとするが、
「私に…触らないで」
可那子はその手を払いのけ握られた手も振りほどきながら、気丈にその場に立ち続けた。
「一八さんが闘うことを止めることはできないけれど…それでもまたこんな卑劣な手で彼を傷付けるなら、今度は――…どんな手を使ってでも、あなたを殺すから」
仁が、取り出したハンカチで自らの手首をきつく縛りナイフを引き抜く。
その光景から目をそらすように背を向け、可那子はその場を後にした。
「――…それが理由だ」
残された仁は、閉じられた扉を見つめぽつりと呟く。
鉄拳衆が動いたとの報告を受けた時から、可那子は必ずここ―顔を合わせたくなどないはずの仁のもと―に来るだろうと思っていた理由。
それはあの日――自分が起こした行動の結果にあった。
一八にすがって生きるだけの女であったなら、仁の記憶にここまで鮮明には残らなかった。
一八の邪魔になるくらいなら命を捨てることも厭わない可那子は、一八のアキレス腱にはなりえないということをあの日理解させられた。
そしてやはり、今も。
さらわれそうになった時もその後も抵抗もできないほど弱かったくせに、一八のことならばその手にナイフを握らせるほどの想いの強さを可那子は示してみせた。
「ここに来ると思わない方がおかしいだろう」
ハンカチで縛った手首を握ったまま仁は、どこか苦しげに、小さく独りごちた。