初めての恋
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その可那子の様子が最近少しおかしい。
大会は10日後、合同練習も残り3日。
大会が近付くにつれ、可那子から笑顔が消えていった。
険しい表情でただがむしゃらにラケットを振る。
大会が近いのだから当たり前かとも思ったけど、どんなに練習が厳しくても休憩中には笑顔がこぼれていたのに、今はそれもなく思いつめた様子でちっとも楽しそうじゃない。
だけどこういう時声をかけてやれるほど俺は可那子を知らなくて…結局ただ見守ることしかできなかった。
合同練習の最終日、俺は荷物を家に置いてから切らしていたおやつを買いに出かけた。
すると、通り道にあるストリートテニスのコートから壁打ちの音が聞こえてきた。
目をこらすとそれは可那子で。
あいつ、部活のあの練習量こなした上にまだやってんのかよ…。
あんまり無理するのも怪我につながりかねないしと声をかけようと足を向けた時、可那子が突然うずくまるのが見えた。
「可那子っ!」
俺は慌てて駆け寄った。
「ブン太…」
「どうした、大丈夫か?」
「足つっちゃって…」
可那子は顔をしかめ、右足をさすった。
「見せてみな」
俺は、可那子の反応を見ながらゆっくりと筋を伸ばしマッサージしてやる。
そして
「立てるか?」
「うん、ありがとう」
「よし、じゃあ今日はもう帰るぞ。送る」
差し伸べた手を取って立ち上がった可那子に言うと、
「でも…」
と、可那子は渋った。
だけど
「体休めることも練習。だろぃ?」
「…うん…」
少し強めに言った俺の言葉に俯き、小さく頷いた。
「よし、いい子」
俺は可那子の頭にぽんと手を置いた後、さっさと後片付けをしてすっかり暗くなった道を可那子と並んで歩いた。
せっかくの二人きりのチャンス。
訊きたいことはたくさんあった。
だけど何を訊いても可那子の中に踏み込んだ質問になってしまう気がして、やっぱり訊けなくて。
大した会話もないまま俺たちはただ並んで歩いた。
それから数日後、それは本当に偶然だったんだけど、俺は知ってしまった。
――可那子の留学。
先生の会話に思わず足を止めた。
留学…卒業と同時に可那子は行ってしまうらしい。
驚いたし、ショックだった。
だけどそれ以上に意外だったのは自分の気持ちだった。
俺の中には諦めるという気持ちがこれっぽっちも浮かんでこなかった。
ただ、可那子があれだけがむしゃらな理由は分かったような気がした。
次の…最後の大会にかけているんだろう。
何のために、かは分からない。
優勝、にかけているのか、何かをなすための優勝なのか。
どちらにせよ、今俺にしてやれることはないということだけは痛いほどよく分かった。
これはかなりキツい。
片想いをしてる人ってのはみんなこんなもどかしい気持ちを持て余しているんだろうかと、改めて片想いのツラさを思い知らされた。
とはいえ、俺の気持ちなんておかまいなしに時間は過ぎて、大会当日がやってくる。
女子は個人戦にもエントリーしていて、可那子もそちらに出場していた。
男子の試合は1日遅かったから、俺は可那子の応援に徹した。
結果は決勝戦での、タイブレークの末の惜敗。
可那子はその後表彰式にも出ずどこかへ行ってしまった。
心配する女テニの部長に、俺に捜させて欲しいと頼み俺は走った。
心当たりなんて大してないけどそれでも多分、可那子はストリートテニスのコートにいるような気がしていたから。
「…ビンゴ」
俺は聞いたばかりの番号に電話をかけた。
「蔵本、見つけた。ちゃんと家まで送るから大丈夫。…ああ、じゃあお疲れ」
手短に済ませ、コートに向かう。
「…可那子」
フェンス越しに夕日に向かう背中に声をかけると、その肩がびくっと跳ねた。
涙を拭うしぐさの後、可那子はゆっくりと振り返った。
「ブン太…」
「心配した。みんなも心配してる。…大丈夫か?」
「うん、ごめん…ただ悔しくて。この大会にかけてたから、あたし…気付いたら、逃げ出してた」
隣に立った俺にごめんと言った後、また正面を向いて可那子はそう呟いた。
困ったように笑う可那子の横顔。
この大会にかけてたってのは留学のことが絡んでるんだろうけど、それはしょせん俺の想像に過ぎない。
だから可那子…お前に少しだけ近付かせてくれ。
俺は意を決して口を開いた。
「なあ、なんでそこまで…って訊いていいか?」
すると可那子は大してためらう素振りも見せず答えてくれた。
「優勝して…好きな人に告白するつもりだったの」
ありきたりすぎてつまんないでしょ、なんて自嘲的な笑みを浮かべた可那子は、だけどその後
「…でもあたしには時間がなくて」
と小さく呟いて俯いてしまった。
「俺だったら、何年だって待てるぜぃ?」
伝えるつもりなんかなかったんだけど、気が付いたら俺の口からはそんな言葉がこぼれ落ちていた。
可那子が俺を見る。
「どうして…」
その目は驚きに見開かれていた。
そうか、これは俺が知ってていい内容じゃないんだよな。
そう思った俺は素直に謝る。
「わり、たまたま知っちまって」
「そっか、だったらごまかす必要もないね」
すると可那子は少しほっとしたような表情を浮かべた後、
「そう、だからあたしには時間がなくて。だから…かなわなくていい、ただ伝えたくて。きっともう二度と…、会うことはないんだから」
そう言って困ったように笑った。
そんな可那子に俺は訊いた。
訊いたことを後悔することになるなんて思ってもいなかったから。
「…帰ってこないつもりなのか?」
「帰ってこれない…きっと。あたしね、本当は留学じゃなくて…入院するの」
返された言葉の意味。
後頭部を何かに殴られたような衝撃を受けて…目の前が真っ暗になった。
指先が冷たくなる。
言葉が…出ない。
だけど可那子は既に全てを受け入れているようで。
「ごめん、変な話聞かせちゃった。なんかブン太の優しい雰囲気に呑まれちゃったよ。っていうか、この話はなかったことに、ね」
そう言って笑った後、夕日で紅く染まった空を仰いで言った。
「あーあ。あたし、ブン太のこと好きになればよかったなー」
なんてね、と振り返った可那子の哀しげな笑顔を見た俺は、俺の気持ちが可那子にきちんと伝わっていたことと、だけど俺じゃだめなんだということを知った。
「よし、じゃあ送る。もう遅いし」
ひとつ小さく息を吐いてから、俺はそう切り出した。
遠慮がちに俺を見る可那子に、俺はつとめて明るく言う。
「自分がフった男に送られるのはイヤだろうけど、それはそれとして我慢してな」
「もう、ブン太ってば…でも、ごめんね」
「そこはありがとう、だろぃ?」
「うん、ありがと。お願いします」
申し訳なさそうに言う可那子に笑って見せたら、ようやく可那子も送られてくれる気になってくれたみたいだった。
言葉もなく辿り着いた可那子の家の前でありがとう、と俺を見上げた可那子は
「明日の試合、頑張ってね。それから…あたしのこと、忘れてね」
そう言って笑った。
その言葉に俺はかろうじて声を絞り出す。
「前半はYES。後半はNO。じゃあな、おやすみ」
「あ、ブン太…」
俺を呼ぶ声にも振り返らない。
…振り返れない。
「…ばいばい」
背中に小さく聞こえた声に、必死にこらえていた涙が溢れ出し…こぼれ落ちた。
どれだけ泣いたら、あんな風に笑うことができるんだろう。
俺には何もできない、何もしてやれない。
自分の無力さを痛感しながら俺は…ただ泣くことしかできなかった。