きっかけなんて
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
可那子にとってクラスメイトの八尋は気になる存在だった。
いわゆる不良と呼ばれ米商のアタマを張る八尋は、しかし教室では誰かとつるんで騒ぐことも問題を起こすこともなかったため可那子も特に気にかけてはいなかった。
可那子が気になるのは教室の外での八尋。
なぜなら可那子が外で見かける八尋は、決まってケンカの後だったから。
その日もそうだった。
友人宅からの帰り道、前から歩いてくる八尋に気付いた可那子は足を止めた。
タバコを咥えうつむき加減で歩いていた八尋もまた、そんな可那子に気付いたようでふと足を止める。
普段はただ見るだけで話しかけたことは一度もなかったし、これからもそんなつもりはなかった。
なのに今日は本当になんとなく、自然に口をついて言葉が出ていた。
「今日はいつにも増してひどい顔だね」
しかし八尋は僅かに表情を動かしただけで何も答えない。
ヤバい、これはクラスメイトということすら認識されてない…?
そんな不安にかられる可那子。
すると八尋はタバコを踏みつけ、この場をどうしたものかと焦る可那子の腕を掴んでそのまま歩き出した。
「ちょ、八尋!?」
強い力に捕らえられた腕は振りほどくこともできず、可那子は引きずられるように一軒の家に連れ込まれる。
そこが八尋の家でたどり着いた場所が八尋の部屋だということは容易に想像がついたが、それでも当然のことながら可那子は戸惑うばかりだった。
「ねえ八尋ってばっ、きゃあっ!」
そしてようやく腕を放してもらえたと思ったら、直後にはベッドへと突き飛ばされる。
「やだ、待って八尋、いやぁ…っ!」
***
その後どうやって家に帰ったのかは憶えていない。
可那子にとっては突然すぎたし衝撃的すぎる出来事だった。
しかし自分に残された痕が、それが夢じゃないことを物語る。
「あたし、八尋としちゃったんだ…」
口に出したら一気に現実味が増したような気がして、可那子は自分の体を強く抱きしめた。
八尋が無理やりこんなことをする人間だなんて思ってもいなかった。
なのにそれでも、軽蔑することも嫌いになることもできなかった。
そして強く抵抗することも。
もちろんその理由も分かりきっていた。
とは言えそれは八尋が気になる存在だったというだけのもので、今の自分の気持ちをはっきりと口にすることはできなかった。
それに肝心の八尋の気持ちが分からない。
どうして自分を抱いたのか。
最中も後も八尋は何を考えていたんだろう。
…そして今も。
そんなことを考えながら眠れない夜を過ごした可那子は、その答えを求めて次の日も普通に学校へ行った。
しかし八尋は何も言わなかったし、そもそも目を合わせることがまずなかった。
だから可那子も何も言わなかったし、声をかけようともしなかった。
意外にもショックは受けなかった。
可那子にとって八尋は気になる存在以上のものではなかった。
そして八尋にとっても一時の感情に流されただけの間違いだったんだろうと納得できる態度だったから。
***
そのまま今までと変わらない日常が戻ってくると思っていた数日後。
朝から姿を見ていないなとぼんやりと思っていたその日の放課後、ケンカの後の顔をした八尋が校門を出たあたりに立っていた。
遠巻きに見るだけで通り過ぎて行く生徒たちを気にすることもなく、八尋は煙を吐き出す。
「タバコ。こんなとこで吸ってたら停学になっちゃうよ?」
あまりにも自然な行為に立ち止まった可那子が苦笑いを浮かべながら言うと、八尋は一度可那子を見てから何も言わず歩き出した。
また別の日には教室の出口に立っていたり、友人と話している可那子の腕を掴み強引に連れて行くこともあった。
八尋が何を考えているのか分からない。
相変わらずはっきりとした自分の気持ちも分からない。
けれどそれでも可那子は何も言わずに八尋について歩く。
そして八尋の思うまま、八尋に抱かれる。
今までと変わらない日常が戻ってくると思っていた。
しかし実際はあの日から――…ふたりの奇妙な関係は始まっていたのだった。
***
その日はいつもとは少し違っていた。
ケンカの後とは違う、きれいな顔の八尋。
ただ、頬の下あたりから顎にかけて赤い腫れと引っ掻いたような傷痕が残されていた。
いつものようのに可那子を抱き果てた八尋を見上げ、
「これ、殴られた痕、じゃないよね…」
言いながら可那子は、それにそっと指を這わせた。
しかしそれには答えないまま、八尋は無言で体を横たえ可那子の体をぐいっと抱き寄せる。
言葉少ない八尋の、それが泊まっていけという合図。
それに抗わずその胸に顔を埋めた可那子だったが、しばらくして八尋が寝息をたて始めると僅かに身動ぎしその顔を見上げた。
「八尋の、…ばか」
顎の下に残る傷をそっとなぞりながら小さく呟くと、八尋がそれに答える。
「…っせーな、――霧子…」
「――…っ!」
指先がびくりと震えた。
おそるおそる様子を窺うが、八尋は目を覚ましてはいない。
無意識なんだと安堵しかけて、しかしだからこそそれは八尋の本心なんじゃないかと思う。
それに自分たちは付き合っているわけじゃないのだから、八尋が誰の名前を呼ぼうが可那子に文句を言う資格はない。
そんなことは分かっていた。
いや、分かっているつもりだった。
初めて抱かれた後は本当に何も感じなかったのに。
今は思っていた以上にショックを受けている自分に可那子は気付き、そして理解していた。
自分の本当の気持ちを。
いつの間にかこんなにも――八尋を好きになっていたことを。
こみ上げる涙をこらえきれず可那子は、そっと八尋の腕から抜け出し体を起こした。
すると身支度を整える間に目を覚ました八尋が可那子の腕を掴む。
「帰んなっつったろ」
そんなこと言葉で言われたこと一度もないけどね、と思いながら可那子は小さく首を横に振りぽつりと言う。
「やっぱり、八尋は…」
「あ?なんだよ」
しかし不機嫌そうに問い返され、何かを振り切るようにもう一度強く首を振った。
そして真っ直ぐに八尋を見つめる。
「あたし、八尋が好き」
「っ!?」
「…だから、このままの関係でもいいと思ってた。でもやっぱ、」
そこまで言った後ふと目を逸らし、可那子は訥々と話す。
「他の女の子の名前、呼ばれるのは…、やっぱちょっと、…キツい」
「は!?他の女って…」
「ごめん、帰るね」
「おい、可那子…っ!」
そして八尋が止めるのも聞かずその手をそっとほどいた可那子は、振り返らないまま部屋のドアを閉めた。
1/2ページ