⑤
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「どう、して…」
「来い、帰るぞ」
固まったままの可那子に向かって渋澤が短く言うが、
「…っ、でも…」
今の可那子の中には、驚きを通り越して戸惑いしかなかった。
「もう少し、声に出してみるといい」
その時、柏木が口を開いた。
「言葉にしなけりゃ伝わらねえことって、案外多いもんだぞ」
「柏木さん…」
「柏木」
背を向けたまま、渋澤が言う。
「世話、かけたな」
渋澤はそのまま歩き出し、ようやく金縛りの解けた可那子は慌てて靴を履く。
「ありがとうございました、柏木さん。麗奈さんには今度お店に行きますと…」
「可那子」
言い終えないうちに名前を呼ばれ、可那子は伝えて下さい、と深く頭を下げて渋澤の後を追った。
ああ、と小さく答えながら柏木は、ため息をつき、ふたりの背中を見送るのだった。
***
急かされるまま車に乗ってしまった可那子は、ふたりが繋がっているかもしれないっていう最初の勘は当たっていたなあとぼんやり考えていた。
でも柏木さん、誰にも言わないって言ってたのに…というところまで考えた時、はたと気付く。
そんなことより私、渋澤さんにすごく迷惑かけたのに、このままのこのこ帰っていいの…?
麗奈の所を出てからひとことも言葉を発しない渋澤が何を考えているか分からず、こわくてそちらを見ることもできない。
それでもまずは謝らなくては、と思った時、それを察したかのように渋澤が口を開いた。
「体はもう大丈夫なのか」
「…え?あ、はい…もう、平気です…」
答えながら、涙をこらえた。
怒るでも責めるでもなくまずはそれを心配してくれるんですかと、渋澤の優しさがただ嬉しかった。
「ごめんなさい…」
玄関に入った時、ようやく可那子は言いそびれていたその言葉を口にした。
振り返った渋澤は俯く可那子を見つめた後ひとつため息を吐き、その腕を掴んでぐっと引く。
「ま、待ってください靴を…っ」
そのまま歩き出そうとする渋澤にそう言って可那子は、慌てて靴を脱いだ。
しかし渋澤の手がドアノブを握った時、可那子は体をびくりと震わせた。
そこは、渋澤の寝室だった。
「あ…っ!」
それに気付き一瞬動きを止めた渋澤だったが、直後可那子の腕を掴んだ手に力を込めて部屋に入り、その体をベッドへと落とした。
「渋澤さ、」
「やはり俺を拒むのか」
「…っ!」
瞬間泣き出しそうな表情を浮かべた可那子を見て、渋澤は押さえつけていた可那子の体を解放した。
体を起こした渋澤の横に、可那子もおずおずと並ぶ。
「話せよ、全部。逃げ出した理由、いやその前からか。お前が何を考えていたのか…話してみろ、可那子」
「…っ、」
「それとも、理由もなく俺を拒んで逃げ出したってことか?」
やはり怒るでも責めるでもなく、むしろどこか優しくもある口調で問われ、可那子は強く首を振った。
そして大きく深呼吸した後、意を決して口を開く。
「…渋澤さんを愛していると――…あの日気付いてしまったんです。でもそれは、私の中のタブーでした」
「…何故」
静かに訊き返す渋澤に可那子はゆっくりと言葉を紡いだ。
渋澤さんに奉仕するのは、肩代わりしてもらった借金を返すためです。
体を差し出すのもそのためなのだから、当然便利な女でいなくてはならないんです。
けれど渋澤さんを愛してしまうということは、抱かれることは奉仕ではなくなってしまうということなんです。
抱かれると抱いてもらうでは、意味が違ってしまうから。
私自身が、喜びを感じてしまうから――…
「お前はおかしなことを考える女だな」
可那子の言葉が途切れた時、そう呟いた渋澤は心なしか困ったように笑った。
そしてぽつり、口を開く。
「…誰を見ているか、と訊いたな」
『私を通して…誰を見ているんですか?』
その言葉にあの日投げた問いと渋澤の表情を思い出した可那子は、答えを聞きたいような聞きたくないような複雑な気持ちになる。
けれど身構えた可那子にとって渋澤の答えは思いもよらないものだった。
「お前の、母親だ」
「――…え?」
あまりにも意外すぎて、理解するのに少しの時間がかかる。
しかし渋澤はそんな可那子に構わず淡々と話した。
初めはただ似ていると思っただけだったこと、
しかし名前、出身地、何より残る面影に疑う余地はなくなっていったこと、
若くして子供を生み苦労していたのは知っていたが、その頃何も持っていなかった自分には助けてやれなかったこと、
可那子を買った時は確かに重ねていたこと、
「…今度は助けてやれる、ってな」
そこまで話し自己満足だ、と自嘲気味に笑う渋澤に、そんなことありません!と可那子は思わず抱きついていた。
わずかに目を見開いた後渋澤もその体を抱きしめ返し、ゆっくりと言葉を続ける。
「そう、だがお前とあいつには決定的に違うところがあると気付いた時から、お前はお前だった」
「私は、私…?」
可那子は腕の力を緩めて渋澤を見るが、
「そうだ。あいつは誰かのもの、お前は俺のもの。…違うか?」
「…っ、違わない、です…」
続けられた言葉にもう一度、その胸に顔を埋めた。
しかしその後渋澤は、だがお前は本当にそれでいいのか、と訊いた。
可那子は質問の理由が分からないと言いたげな視線を向ける。
「極道ってのは、親のためならどんな汚ねえこともする…それこそ人殺しだってな。俺はそういう人間だ」
その言葉で渋澤の言わんとすることを理解した可那子は
「私も渋澤さんのためならなんだってできますよ?死ねと言われれば死ねますし」
そう言って笑って見せた。
渋澤も薄く笑うと、
「お前はそんなこと…いや、何もしなくていい」
「何も…ですか」
「常に存在してろ。…いいか、俺のものとして、俺のそばに、だ」
言いながら、もう一度可那子を自分の胸に抱き寄せる。
「愛していると言われるより、嬉しいです…」
可那子の瞳からは、涙があふれた。
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