③
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可那子が渋澤のマンションで暮らし始めて半年ほどが過ぎた。
家の中のことを全てこなし、求められるままに体を差し出す。
決して小さくない額の金を貸した人間と借りた人間の、体の関係のある同居人。
そんな奇妙な立ち位置から日々渋澤を見ていた可那子はある時から、その渋澤が自分を通して誰か別の人間を見ていることに気付いていた。
「私を通して…誰を見ているんですか?」
本当に何気なく口にした問いのはずだった。
しかしその時渋澤が見せた一瞬の動揺を可那子は見逃さず、何故か自分もひどく動揺してしまう。
「すみません、おかしなことを訊いてしまいました。…今日はもう休みますね、おやすみなさい」
慌てて言い繕い、可那子はリビングを出た。
逃げるように部屋に戻ったものの、眠ることなどできなかった。
ため息をついて体を起こしたベッドの上で膝を抱き、そこに顔を埋めた時だった。
「まだ寝てねえのか」
突然かけられた声に顔を跳ね上げると、そこに渋澤が立っていた。
「渋、澤さん…」
驚く可那子をよそに無遠慮に部屋に入った渋澤は、そのままベッドの上の可那子を押し倒した。
何をおいても無条件で渋澤を受け入れる可那子だったが、しかし今日だけは違っていた。
「ごめ、なさい…今日は…赦して、ください…」
言いながら両腕で顔を隠して渋澤を拒み、それでもその手首を掴む渋澤にお願いです、と懇願した。
「誰のお陰でお前は今ここでこうして生きているんだ」
「…っ!!」
しかしその時発せられた渋澤の言葉に、可那子の体がびくりと震えた。
あまりにも理不尽な物言いだった。
私が望んだわけじゃない、あなたが勝手に連れて来たくせに!
そう叫んだらどうなっただろう。
しかしそんなことは露ほども考えることなく可那子は、泣きながら、それでも渋澤を受け入れるために体の力を抜いた。
***
「…今日だけだ。さっさと寝ろ」
結局渋澤は可那子を抱かなかった。
小さく息を吐いた後可那子を解放し、そう言って部屋を出て行く。
涙が止まらなかった。
動揺した理由、渋澤を拒んでしまった理由など、本当は痛いほど分かっていた。
愛してしまっていた。
いつの間にか、これほどまでに。
抱かれるのがつらいと初めて思った。
けれど渋澤の自由に抱けない女は必要ないのではと思うと、それも身を切られるほどに苦しかった。
だったら抱いてもらえばよかったじゃないかと思いながら可那子は、矛盾する想いに板挟みにされたまま、眠れない夜を過ごすのだった。
***
「おい、ストライキのつもりか」
翌朝になっても、可那子は部屋から出て来なかった。
苛立たしげにドアを開けた渋澤だったが、反応を示さない可那子の様子に訝しげにベッドに近付く。
布団をめくると、可那子は苦しげな呼吸を繰り返していた。
手の甲で額に触れるとそこはひどく熱く、同時に可那子がうっすらと目を開いた。
「具合が悪かったならそう言え」
その言葉が昨晩のことを言っていることに気付くが、しかし実際は深夜に出た熱だということはその少し前に可那子に触れた渋澤には分かっていたことだった。
それを敢えて気付かないふりをし、可那子もまた熱で朦朧とする意識の中そのことに気付いていたが口には出さなかった。
それが渋澤の優しさだと知っていたから。
「抱いて、ください…」
可那子は熱に浮かされた瞳で見上げ、燃えるような熱い手で渋澤の手を握った。
「何を言ってやがる、…おい、無理するな」
渋澤は当然とも言える返事を返すが、その制止も聞かず体を起こした可那子は渋澤にしがみついた。
「お願いです、…でないと、」
その瞳からは涙がこぼれ落ちる。
「でないと私…!」
「おい、可那子!?」
直後その体から力が抜け、渋澤が抱き止めた可那子は、気を失っていた。
***
気が付いた時は、病院のベッドの上だった。
首を巡らすと、椅子に腰掛けて本に目を落としていた渋澤が顔を上げた。
「ああ、目が覚めたか」
本をパタンと閉じた渋澤に可那子が訊く。
「私、どうして…」
「憶えてねえのか」
逆に訊き返され、少し考えた可那子は申し訳なさそうに呟いた。
「すみません私、渋澤さんに失礼な態度を…」
すると渋澤はふんと鼻で笑いながら立ち上がると、大したことじゃない、と可那子の言葉を遮った。
「今日はここに泊まりだ、さっさと治せ」
そしてそう言い残して踵を返し、ありがとうございました、という可那子の言葉は背中で受け止めて病院を後にした。
***
可那子はその夜、病院から逃げ出した。
今朝のことは憶えてないふりをするしかなかった。
理由を訊かれても答えられるはずがないのだから。
以前住んでいたアパートは既に引き払ってしまっていた。
逃げ出したところで、可那子に帰る場所はなかったのだけれど。
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