⑨
夢小説設定
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「待って…!待ってください渋澤さん…!!」
どんなに叫んでも渋澤は振り返らない。
背を向けたまま立ち止まることもなく、しかしどんなに走っても追い付けない。
行かないで――!!
叫ぶと同時に、可那子は飛び起きた。
瞬間的に感じる全身のだるさに表情を歪めながらそれでもその姿を捜すが、部屋にいるのは可那子ひとりだった。
「いや…」
絶望的な思いがわき上がるが、それでもすぐに追いかけなくてはとベッドから降りようとする可那子。
しかし震える体はうまく動いてくれず、そのままベッドから落ちてしまう。
渋澤が戻ってきたということが夢だったのか。
さっき見た夢だと思っていたことが現実だったのか。
「いやぁ…っ!!」
涙が溢れ、気付いた時には声を上げていた。
すると、その直後。
「おい、どうした」
がちゃりと部屋のドアが開く。
そこに立っていたのは、渋澤だった。
「渋、澤さ…」
その姿に可那子は更に涙を溢れさせる。
それを見た渋澤は床にうずくまったままの可那子の前に跪き、可那子はそのまま涙を拭うために手を伸ばした渋澤に抱きついた。
「おい、本当に…」
「渋澤さんが、またいなくなったのかと…、それとももしかして、夢、だったんじゃないかって…」
どうしたんだと訊く前に告げれられた言葉に、馬鹿野郎、と呟いて渋澤はその体を抱き上げた。
「どこにも行かねえ、って言っただろう?」
「でも、…っ」
ベッドに組み敷いて、それでもまだ何か言おうとする唇をふさぐ。
そのまま強く抱きしめられてようやく、可那子の体から力が抜けた。
そして自分がどんな格好をしているかも忘れ、その細い腕を渋澤の首に回す。
渋澤はガウンを着ていた。
8年前と変わらない場所にしまってあったガウンだった。
それを脱ぎ捨てながら可那子の体を開かせると、
「あ、あの…っ、」
可那子は先ほどの全身の気怠さを思い出し僅かに戸惑いを見せる。
「煽ってるわけでもねえだろうが…こんだけ痕残してやったってのにまだ分かってねえみてえだからな」
しかし渋澤は呆れたようにそう言って可那子の中心にそれを宛がい、ふたつの体はまたゆっくりと、ひとつに重なった。
***
「…可那子」
渋澤の腕の中で微睡んでいた可那子は小さく自分を呼ぶその声がひどく儚く聞こえたことで、返事の代わりにその身を起こした。
渋澤はシーツを手繰り寄せる可那子の頬に静かに触れ、小さく問う。
「俺には何もねえんだぞ」
瞬間可那子は驚いた様子で瞳を見開き、すぐにそれを細めてふふっと笑う。
「渋澤さんがいるじゃないですか」
可那子の迷いのない真っ直ぐな答えに渋澤は言葉を失い、ゆっくりと体を起こした。
服役してからは、もと組員たちに可那子のことについては一切口にするなと厳命していた。
その彼らもひとりまたひとりと巣立って行く。
そして出所日が決まった時、最後のひとりが渋澤に告げた。
可那子は今もあの部屋で暮らしていると。
とは言え渋澤はそこに戻るつもりはなかったし戻れるはずもなかった。
自分は全てを捨てたのだから。
しかし身ひとつで出所した時、渋澤の足は自分でも気付かないうちにそこに向かっていた。
そして知ってしまったのは、8年経ってもなお変わらない可那子の気持ち。
そこからは何も考えられなかった。
感情のままに可那子を抱き、もうどこにも行かないと約束もした。
しかし可那子にも逃げ道を作ってやらなければならないと渋澤は思い、だから訊いた。
自分には何もない、お前はそれでいいのかと。
渋澤さんがいるじゃないですか――…
可那子の答えを聞いた時渋澤は、自分では認めたくなかった己れの中のおそらく不安と呼ばれるものが静かに晴れていくのを感じていた。
そして強く実感する。
ここが――…可那子のいるこの場所が、自分の帰る場所だったのだと。
渋澤の手がもう一度可那子の頬をなでる。
その優しさに可那子の瞳からはなぜか涙がこぼれた。
「俺も――…」
渋澤の唇が、静かに言葉を紡いだ。
「お前がいれば、他に何もいらねえ」
可那子の顔がくしゃりと歪む。
堰を切ったように涙が次々こぼれ落ち、しかしそれでもその表情は笑顔と呼ばれるものだった。
そしていつかと同じ言葉を繰り返す。
「愛していると言われるより、嬉しいです――…」
(17,12,4)
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