①
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その日渋澤は、行きつけのキャバクラに顔でも出そうかと神室町を歩いていた。
もうすぐ目的の店に辿り着く辺りで、右腕に軽い衝撃を受ける。
同時に耳に届く、小さな悲鳴と紙の束が落ちる音。
「ああっ、すみません私…っ!」
書類のようなものを慌ててかき集める女を見て衝撃の原因を理解した渋澤は、その女が落としたであろう雑誌を拾い上げた。
何の気なしに眺めたそれは、求人誌だった。
「あの、本当にすみませんでした」
「――…、ああ」
渋澤が手にしていた雑誌を返すと、女はぺこりと頭を下げ去って行った。
***
その後渋澤は眉間の皺を深くして何か考える様子を見せた後、女の消えた方へ足を向けた。
しばらく歩いたところで視線の先にどこか思いつめた表情を浮かべた女を捉え、そちらに近付く。
「あの店がどんなとこか知ってんのか」
突然背後からかけられた声に、女は全身をびくりと震わせた。
「あなた、は…」
「来い」
「え、あの…っ!?」
声の主が自分が先ほどぶつかった相手だと気付いたらしい女の腕を、渋澤は掴んで歩き出す。
「あの、どこ行くんですか…っ」
***
女は全く足を止めず振り返りもしない渋澤の何故か逆らえない無言の圧力に、訳が分からないまま気付けば渋澤のマンションへと連れて来られていた。
「名前は」
「蔵本、可那子です…」
唐突な問いかけに、思わず正直に答えてしまう。
しかし渋澤はそれ以上何も訊こうとせず、
「来い」
「きゃあっ!」
相変わらず戸惑ったまま所在なげに立ち尽くしている可那子と名乗った女の腕をぐっと引き、ソファに押し倒した。
「いやっ!やだやめて、お願いです…っ!」
本当に突然、両手をまとめて掴まれ首もとに顔を埋めながら胸を揉まれて、可那子は強く抵抗する。
しかしそんな抵抗など物ともせず渋澤は、めくれたスカートからのぞいた太ももに手を這わせ、その奥に触れようと更にそれを伸ばした。
「いやぁ…っ!!」
直後、悲痛な叫びに合わせて渋澤の手から力が抜けた。
可那子は慌てて乱れた胸もとを隠しスカートの裾を直す。
「そんなんで風俗嬢が務まると思ってたのか」
明らかに男の経験のない可那子に渋澤は言う。
「違います、私キャバクラの面接に…っ」
「あの店はウリもやらされるぞ」
「あの店、って…」
「求人誌に折り目付けてりゃ馬鹿でも分かる」
「うそ…」
自分が面接を申し込んだ店がそんな所だったことがショックで、可那子は言葉を失ってしまう。
「借金か」
直後発せられた渋澤の言葉に、可那子の肩がびくっと跳ねた。
「いくらだ。借りた会社は」
立て続けに問われ、可那子は観念してその問いに答える。
「親はどうした」
「父は…いません。女手ひとつで育ててくれた母は、先日病気で。入院生活が長かったので…」
その答えで渋澤は、可那子の借金の理由を理解した。
「あ、あの…、」
「渋澤だ」
「渋澤、さん…」
遠慮がちにその名前を呼ぶ。
可那子にも訊きたいことはたくさんあった。
「俺がお前を買ってやる」
「え!?」
しかし渋澤が先に口を開き、同時に先ほど部屋に戻った時に脱いだ上着にもう一度袖を通した。
「出かける。お前は今日は寝ろ」
渋澤の発したにわかには信じがたい言葉と不可解な行動に戸惑う可那子だったが、部屋と着替えとシャワーの許可を与えられてしまえば渋澤を見送ることしかできない。
しかし出かける直前渋澤は、念を押すことを忘れなかった。
「ひとつだけ言っておく。お前は俺が買った、俺の所有物だ」
***
目が覚めた時には、全てが終わっていた。
渡されたのは完済証明書。
「こんなもん一括返済しちまわねえと、利息だけで元本減らねえだろ。たく、あんな悪徳業者から金借りてんじゃねえよ」
「でも…、どうして…っ」
ただ信じられない思いでその書類を見つめていた可那子が、ようやくその言葉を口にした。
しかしそれには答えないまま渋澤は言う。
「お前はこれからここに住んで、俺に借金を返せ」
「稼がないと、お金、ないです…」
それに対し可那子が遠慮がちに返すと、渋澤は僅かに口角を上げた。
「ああ、金なんかいらねえ。――要は俺の相手ってことだ。意味分かるだろ?」
渋澤の言っていることはあまりにも横暴だし勝手だった。
しかし可那子は、自分にとってそれほど悪い話でもないように思えた。
借金はなくなったのだから、取り立てに怯えることもなくなった。
不慣れな店で働くこともしなくていいし、最悪な状態で不特定多数の男と寝なくてもいい。
部屋も与えてもらい生きていくのに困らないということだけでも、これから始まっていただろう地獄を思えば救われる思いだった。
不安ではあるけれど、渋澤を受け入れる覚悟は出かけて行く渋澤を見送った時あたりからなんとなくできていたように思う。
きっとそれはおそらく極道だと思われる渋澤が、しかし可那子にとってはこわい人には思えなかったから。
だからやはりどうしても訊きたくて、可那子はもう一度それを口にした。
「なぜ、私を…?」
するとようやくそれが届いたらしく、渋澤は薄く笑って気まぐれだ、と答える。
「敢えて言うなら男も知らねえくせにそういう店で働こうとしてる女に興味がわいた…ってところか」
本当の理由ではないような気はした。
けれど可那子は無理やり自分を納得させ、その日からふたりの生活は始まったのだった。
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