③
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可那子にとって幸せな日々が続くはずだった。
俗に言う恋人同士のようなことはできないしそもそも恋愛関係にあると言っていいのかも分からなかったが、それでも可那子にとっては久瀬が自分を独占してくれているというだけで嬉しかった。
しかし久瀬を取り巻く情勢はにわかに騒がしくなっていく。
それは拳王会だけでなく堂島組ひいては東城会も絡む大きな騒動となり、久瀬に逢えない日も今まで以上に多くなっていった。
そしてその日は間もなくやって来る。
「どこ行くの?これ以上怪我しないでね…」
どこか思いつめた表情の久瀬に可那子が問うと、
「お前には関係ねえ」
その日いつにも増してピリピリしていた久瀬は冷たくそう言い放った後、可那子に一瞥もくれず部屋を出て行った。
最近は可那子の部屋に泊まることも増えていた久瀬。
可那子の耳に、ドアの閉まる音が静かに響いた。
***
その後神室町の一角で久瀬は、白いスーツの男の背中を見送っていた。
姿が見えなくなってからもしばらく地面に腰を下ろしたまま、物思いに耽る。
その時。
「だめえ…っ!!」
悲痛な叫びと共に久瀬の背後に飛び出す影と、同時に響く銃声。
弾かれたように振り返った久瀬の目の前で、小さな体が崩れ落ちた。
「馬鹿野郎!なんでこんなとこに…!!」
何が起こったのか瞬時に理解した久瀬は、叫びながら走り出すと同時に懐から拳銃を取り出し、躊躇いなくその引き金を引いた。
自分に銃を向けた相手が倒れるのを視界の隅に捉えながら駆け寄った先に倒れているのは、紛れもなく、可那子。
「おい、しっかりしろ可那子!!」
力ない体を抱き起こすと、生温い液体が久瀬の手を濡らした。
同時にそこに巻かれた包帯も、白から赤へとその色を変えていく。
久瀬の声に応えるように、可那子が苦しげに目を開けた。
ゆっくりと何かを探し、ようやくそれが久瀬を捉える。
「…これ以上、怪我、しないでって…言った、でしょ…?」
震える唇の端がほんの僅か、上がる。
くぜ、と呼んだ後の言葉は聞き取れなかった。
***
それからは大騒ぎだった。
不要な存在だったとは言え可那子はれっきとした堂島家の長女だということを全員が知ることになったからで、その可那子を陵辱していた組員たちは震え上がり東京湾に沈むことも覚悟した。
しかし久瀬が堂島宗兵に土下座した上で全責任を負うことで話はつき、組員たちはお咎めなしとなった。
久瀬はたかが女のことでと嗤った者が組を抜けることを赦し、久瀬に救われた者、男気に触れた者だけが残った拳王会の結束は更に強くなった。
***
昏睡状態のまま二週間ほどが過ぎたその日の深夜、可那子は目を覚ました。
「あたし…、生きてる…?」
自分のものじゃないような掠れた声。
しかし確実にそれは自分の声帯を震わせて発せられている。
月明かりだけの暗い部屋の天井をぼんやり見上げていると、病室のドアが静かに開くのに気付いた。
首だけを巡らせると、そこにあったのは久瀬の姿。
久瀬…?あれ、でも今って夜中、だよね…夢、かな…
ぼんやりした頭でそんなことを考えていると、薄暗がりの中近付いて来た久瀬と目が合う。
当然褒められた行動ではなかったが、久瀬はいつも夜の間に可那子の顔を見に来ていた。
その久瀬の足が止まる。
「気が付いたのか、可那子…!」
そう声をかけた後、はっとしてナースコールに手を伸ばす久瀬。
「待って、久瀬…!」
しかし可那子は久瀬を止めた。
「行かないで。いなくなったらあたし死ぬから。本気だって…分かるよね?」
こんな時間にこんな場所にいたら咎められるのは分かっている。
久瀬が看護師を呼ぶと同時にいなくなってしまうような気がした可那子は、真剣な瞳を久瀬に向けた。
ため息を吐き可那子のベッドに近付く久瀬。
「逃げねえよ。…逃げらんねえ。これから俺が行くのは檻ん中だからな」
「そんな!久瀬のは正当防衛なのに!」
「おいまだ起きんな、傷が開く」
それを聞いた可那子は憤慨し、久瀬が止めるのもきかず体を起こした。
案の定傷口が疼き、おまけにしばらく使っていなかった関節が軋んで可那子は顔をしかめた。
「たく、ちっと落ち着け。…それだけじゃねんだよ、俺の罪はな」
小さな体を支えながら久瀬が言うと、可那子はそれ以上食い下がらず、ぽつりと答えた。
「…そっか。じゃあ待ってるね」
何を言っても無駄だとその表情が物語る。
久瀬はもう一度、あからさまにため息を吐いた。
「正真正銘の大馬鹿もんだな、」
「久瀬が?」
可那子が先手を打ちつつ、腕を伸ばす。
わずかに口角を上げた久瀬は、
「…お前もだ、馬鹿…」
言いながらその体をそっと抱き寄せ、口づけを落とした。
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