①
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
それは地味で目立たず平凡な毎日を送っていた私、蔵本可那子の人生最大の大冒険だった。
ホストクラブ・スターダスト。
少しの興味と好奇心とで足を踏み入れた、きらびやかな世界。
もちろん一回だけのつもりだった。
ホストクラブっていうのはどんなものなのかを知りたかっただけなのだから。
なのに私はその一回だけだったはずのホストクラブで、一番やっちゃいけない失敗を犯してしまった。
初回はフリータイム飲み放題というシステムだったけど、私はそこで指名料追加でいいのでと告げてお店No.1のホストを指名した。
スターダストNo.1ホスト、一輝さん。
物腰柔らかな立ち居振る舞いと、反則技のような優しい笑顔。
喋りすぎず黙りすぎず、口下手な私の言葉をうまく引き出してくれる巧みな話術もNo.1と呼ばれる所以なのかな、なんて夢見心地な頭でぼんやりと考えていた。
もちろん分かっているつもりだった。
相手はホストで、客である私を気持ち良く飲ませお金を落とさせるのが仕事なんだということくらい。
分かっていたつもりだったのに、それにまんまと嵌ってしまったのが私。
ホストと客、それだけの関係だと割り切れなかったのが私。
私の失敗。
そう、それは――…一輝さんに恋をしてしまったこと、だった。
誰が想像しただろう。
私がホストクラブに通うようになるなんて。
幸い使い道がなく貯まっていく一方だったので、お金はそれなりにあった。
それでも細客の部類に入るだろう私にも、一輝さんは分け隔てなく接してくれた。
いつでも、まるで、本当の恋人のように。
でもそれら全てはお店のため、お金のため。
本気になんてなったら泣くのは自分だと、頭の中ではそう考えてブレーキをかけようとするのに、そんなのお構いなしで好きって気持ちは大きくなっていく。
それでも一輝さんに逢いにお店に行く時だけは、決してそれを表に出さないように気を付けた。
もしかしたら私の気持ちなんてとっくにお見通しで、してやったりなんて思われてたかもしれないけれど。
***
スターダストへはほぼ毎週末通った。
行かなかったのは、一輝さんがお休みの時だけ。
けれどそんな時も、やっぱりまるで本当の恋人のようにメールをやりとりしたりして過ごした。
『可那子ちゃんに早く逢いたいな』
そんなホストの常套句にすら惑わされて、平日にお店に行ったこともある。
でもそんな時は、『待ってる』じゃなくて『嬉しいけど無理しないでね』だったことも、私の中の一輝さんへの想いを育てる栄養素だったんだと思う。
そうこうしながら半年ほど、私はお店に通った。
私の一輝さんへの気持ちは、もうどうしようもないほどに大きくなっていた。
だから、もう終わりにしようと思った。
終わりにしなくちゃいけないと思った。
好きですと口走って一輝さんを困らせてしまう前に。
まだ、たぶん、かろうじて後戻りできるかもしれない、今のうちに。
けれどどうしても私はひとつだけ、一輝さんとの思い出が欲しかった。
それさえあれば、生きていけると思ったから。
今以上に苦しくなるなんて、思ってもいなかったから。
***
私が決心を固めた日、奇しくもその日は私の誕生日だった。
そのことも私の背中を押してくれているようで、私は意を決してお店のドアを開けた。
「いらっしゃい、可那子ちゃん」
通された席に、いつものように一輝さんが来てくれる。
その手には頼んだ覚えのないシャンパンのボトル。
そのことに戸惑う私をよそに、一輝さんはグラスにシャンパンを注いでいく。
そして。
「お誕生日、おめでとう」
まさかとは思っていたけど、初めの時ちらっと話に出た誕生日を一輝さんは憶えていてくれた。
「ありがとう、ございます…!」
すごく嬉しくて、涙が出そうだった。
小気味よい音を立てたグラスのシャンパンは、私の喉を優しく刺激した。
けれど、私にとってのサプライズはまだ終わっていなかった。
乾杯の後、目の前に差し出された可愛くラッピングされた小さな箱。
手を出せずにいると、
「プレゼント。受け取ってくれる?」
そう言って、少し照れたように笑う一輝さん。
ありがとうございます、と震えそうになる手でそれを受け取って、訊く。
「開けてもいいですか?」
一輝さんが頷いてくれたのを確かめてから開けた箱の中身は、誕生石のイヤリングだった。
ああもう、どうしよう。
嬉しすぎて泣きたいような叫びたいような気持ちが渦巻いて、わけが分からなかった。
「――…っ、着けて、くれませんか…?」
こんなこと頼んだら一輝さんがどう思うかなんて考える余地もなく私はそう言って、一輝さんに箱を差し出していた。
一輝さんは何も言わずイヤリングをひとつ手に取り、
「ちょっと、ごめんね」
言いながら私の髪を耳にかける。
そしてその指先が、遠慮がちに耳に触れた。
「――…っ!!」
全身が火を噴くんじゃないかってくらい熱くなって、目の前の一輝さんの顔をまともに見られない。
「似合うよ」
なんて大胆なお願いをしてしまったんだろうと思いながら俯いていた私は、一輝さんの声にはっと我に返った。
「本当に…ありがとう、ございます…」
顔を上げた私に向けられていた笑顔に一瞬言葉を失った後、やっとの思いでお礼を言う。
そして気が付いた時には、それを口にしていた。
「あの、今日お店終わった後…、お時間、ありますか…?」
それは、今まで勇気が出ず言い出せなかった、アフターのお願い。
「それって、アフターのお誘い…でいいんだよね?」
半年も通って初めてのそれに、一輝さんも驚いているみたいだった。
「は、はい、あの…なんかごめんなさい、やっぱり…、」
「うん、いいよ」
「…え?」
絶対一輝さんを困らせたと思ったから、一輝さんの返事に今度は私が驚いて固まってしまう。
「あれ、誘ってくれた…よね?」
一輝さんがもう一度、少し不安そうに訊いてくる。
「はい、断られると思ってたので…びっくりして」
私が正直に答えると、
「どうして?嬉しいよ、断るわけないでしょ」
一輝さんはそう言って、優しく笑ってくれた。
***
約束の時間、ミレニアムタワー前のベンチで私はドキドキしながら一輝さんを待った。
けれど時間を30分ほど過ぎても一輝さんは来なかった。
電話も来ないからきっとまだお店から出られないんだと想像はつくけど、だから自分からも電話することもできず、ただ不安だけが募っていった。
あまりにも不安すぎて、このまま一輝さんは来てくれないんじゃないかなんて考えてしまう。
今思えば私からも勇気がなくて誘わなかったけど、一輝さんからもアフターに誘われたことはなくて。
それはきっとやっぱり、私の気持ちに気付いて暗に線を引かれていたんじゃないかって。
そんなどうしようもない不安に押しつぶされそうになった時、握りしめていた携帯が震えた。
『ごめん、店でトラブルがあって…!』
慌ててる一輝さんの声が耳に届く。
走りながら話しているのが分かったから、私は一輝さんが来るだろう方向を見つめた。
そして遠目にその姿を見つけた時、一輝さんも私に気付いて電話を切った。
「ほんとにごめんね…!」
待ち合わせ場所で、肩で息をしながら一輝さんは申し訳なさそうに謝ってくれたけど、
「いいんです、一輝さんが来てくれただけで私、…っ」
私は本当にそれだけでよかった。
…はずなのに、涙が溢れてしまう。
「一輝さ、…っ!?」
直後、それに気付いた一輝さんに私は抱きしめられていた。
「心細かったよね、こんな場所で…不安にさせて本当にごめん…」
「あ、あの一輝さん…」
何度も謝ってくれる一輝さんに逆に申し訳なくなってしまって、私は一輝さんの胸をそっと押した。
「もう大丈夫です…びっくりして、涙とまっちゃいました」
「可那子ちゃん…」
見上げて笑って見せたら一輝さんも少し安心したように笑ってくれて、
「お詫びに今日はとことん付き合うから、可那子ちゃんのしたいこと、なんでも言って?」
私の頬の涙を拭ってくれながら、そう言ってくれた。
***
眠らない街と言われるだけあって、神室町は深夜ということを感じさせない。
そんな中向かったボウリング場では、ボウリングに不向きな服装と予想以上の一輝さんの上手さに、早々に敗北宣言。
一輝さんの歌声を聴きたくて、自信がないからと渋る一輝さんを拝み倒して向かったカラオケでは、これまた予想以上の美声に感動した。
そしてさすがは一輝さん、いろんな歌を幅広く知っていて、持ち歌なんてほとんどない私にも気持ちよく歌わせてくれた。
ただ一輝さんは、私が誘ったんだからと言っても決して私にはお金を払わせてくれなかった。
「可那子ちゃんには払わせる気ないから」
ときっぱり言われてしまえば、私にはもうお礼を言うことしかできなかった。
楽しく時間を過ごした後は、まだ足を踏み入れたことのないチャンピオン街で少しだけ飲みたいとリクエストした。
全部が幸せな時間だった。
これで満足しなきゃバチが当たるだろうな、ってくらい。
けれど私がどうしても欲しかった一輝さんとの思い出は、身勝手なのは分かりきっているけど…まだ手に入っていない。
私はやっぱりどうしても、それが欲しかった。
勇気をくださいと祈るように私は、一輝さんが私のためにリクエストしてくれたカクテルを飲み干した。
1/3ページ