はたして

「せんぱい」

 あ、いつもと違う、と思った瞬間、「あの、いいですか?」と控えめに伺われる。

「うん、もちろんいいよ」

 ぼくは本心で返すけれど、これから訪れる幸せと、強いられる我慢との葛藤で顔が強張らないようにするのに苦労した。
 鋼はぼくの返事を聞いて顔を綻ばせ、ゆっくりとぼくを抱きしめてくれる。

「せんぱい、すきです……」

 ぼくの背に回した手に力を込めて、鋼が耳元で囁く。たぶんわざとではなく、思わず出てしまったのだろう。だけれどぼくは、ぐ、と思わず体がこわばってしまった。しまった、と思ったけれど、鋼は「すみません、くすぐったかったですか」と勘違いをしてくれたので助かった。「うん、少しね」と答えつつぼくは落ち着け落ち着け、と心の中で念じる。
 付き合ってからもあまり態度が変わらない鋼は、抱きしめているこの時だけはささやかに甘えてくるのだ。それが愛らしくて、そして、煽られて……ぼくはキスをしたくなって顔を離そうとするのだけど、いつも、「せんぱい?」と少し寂しそうな顔で言われてしまう。そんな、もう終わりですか?みたいな顔しないで。ぼくはもっと……。


「ありがとうございます」

 どれくらいたっただろうか、鋼は満足そうにぼくから体を離した。ぼくは穏やかな気持ちとその真逆の気持ちとを行き来しながらなんとか鋼とのハグに耐えた。
 耐えた、なんて言い方はしたくないけれど、それでもそう言うほかないのだ。

 「鋼、キスしない?」その一言を今日も言えないぼくは、それでも鋼とのバグで確かに心に温かさを感じていた。だから、まあ、いいか。
 そう思えなくなるのは、はたしていつになるだろう。
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