野球恋しや、恋しや野球
完璧じゃないから、機械じゃないから、わたしは推す
推しがいる。
プロ野球選手だ。ピッチャーなので、何勝何敗といった成績が取り沙汰される。
推しが勝ち投手になった時は、それはもう、わがことのように嬉しい。カレンダーの日付が輝いて見える。
逆に負けた際は、目に映るものの色彩がワントーン沈む。
でも、一番悔しい思いをしているのは、推し自身だ。
アスリートは実力で外野を黙らせるしかない。
強くなければいけない、人よりもすぐれていなければいけない。アスリートはそんな、力の神話を生きている存在だ。
一般人であるわたしが、推しにどんな言葉をかけることができよう。賞賛のまなざしを向けるしかない。
しかし、力の神話を生きているとはいえ、推しも人の子。失投もあれば、負けることもある。
そんな時、あなたなら、もっとできるはずだという言葉をわたしは飲み込む。
全肯定はアスリートを推す態度として正しくないかもしれない。でも、わたしは推しを支持する。たとえそれは愚かな行為だとそしられようとも。
敗北を喫するという辛い出来事があるから、推しが試合を支配し、勝ちを手中におさめる瞬間が光りかがやく。
推しが完全無欠の永久機関のような投手だったら、わたしは推していない。「不合理ゆえに、われ信ず」という言葉を借りて、「不完全ゆえに、われは推す」という言葉をここに記そう。
推しよ。
どうか悔いなく、ケガなく、現役生活を送ってください。
数々のハードな練習やタフな試合をくぐり抜けてきたあなたを尊敬しています。
(2026年10月14日)
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