ハイオク満タンの逃避行
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重たいドアを閉める音が、深夜の住宅街に響いた。
助手席のバケットシートに身を沈めると、張り詰めていた糸がプツリと切れる。
もう、指一本動かせないほど疲れていた。
頭の中は、今日あった嫌なことや、終わらない仕事のことでぐちゃぐちゃだ。
運転席には、高橋啓介。
不機嫌そうにタバコの煙を吐き出しているけれど、呼び出しに応じて来てくれた時点でその優しさは隠せていない。
「…啓介くん」
なまえは天井を見上げたまま、掠れた声で呟いた。
「うんと、遠くへ連れてって」
「…あ?」
「ガソリン代は、出すから」
それはなまえなりの誠意であり、甘えすぎてはいけないという最後のブレーキだった。
啓介はタバコを灰皿に押し込むと、呆れたように息を吐き出した。
「…バーカ」
大きな手が伸びてきて、なまえの額をペチンと軽く弾く。
「オレのFDが、お前の小遣い程度で動くと思ってんのかよ」
「…だって」
「黙って乗ってろ」
啓介は短く告げると、キーを捻った。
腹の底に響くような重低音のアイドリング。
普段なら戦闘開始の合図だけど、今のなまえにはそれが何よりも頼もしい音に聞こえた。
「シートベルト。寝ててもいいぞ」
「うん…」
啓介がギアを入れ、クラッチを繋ぐ。
車は滑るように走り出した。
街灯の光が、流星のように窓の外を流れていく。
背中に感じるエンジンの振動が、強張っていたなまえの背中を優しくマッサージしているようだった。
言葉はなかった。
オーディオも消されている。
ただ、ロータリーサウンドだけが、なまえの頭の中にこびりついた仕事のノイズをすべてかき消してくれる。
しばらく走って高速道路に乗った頃、啓介がボソリと呟いた。
「…どこまで行くんだ」
なまえはそっと、その横顔を見た。
真剣な眼差しで前を見据える、大好きな横顔。
「…啓介くんが、いいと思うところまで」
「フン。後悔すんなよ」
啓介はニヤリと笑うと、アクセルを少しだけ踏み増した。
加速Gが、なまえの身体をシートに押し付ける。
それは恐怖ではなく、強い腕に抱きしめられているような安心感だった。
「ガソリン代はいらねぇ」
低い声が、振動に乗ってなまえの鼓膜に届く。
「その代わり、着くまでにその辛気臭ぇ顔、直しておけ」
(…意地悪)
でも、その言葉の裏にある、「全部忘れさせてやるから」というメッセージに気づかないほど、なまえは鈍感じゃなかった。
「…うん。ありがと、啓介くん」
なまえが小さく笑うと、啓介は満足げに視線を前に戻す。
黄色いFDは、夜の闇を切り裂いていく。
どこまでも、どこまでも遠くへ。
ふたりだけの逃避行は、まだ始まったばかりだった。
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