恋のつくりかた
挿話②
今晩の食卓は——鳥の魔物をまるごとローストして香味野菜をあしらえて甘辛く味付けをしたもの、きのこたっぷりのパスタ、ミックスサラダ、唐土を混ぜて作ったパン、洞窟から運んだきた水で作った白くて甘い豆腐……などなど。
サイの街の宿屋の主人が快くキッチンを貸してくれたため、腕によりをかけた、マーガレットたちなりの自信作だ。野営だと手の凝ったものは食べられない分、栄養もきちんと考えてある。
みんなの笑顔を見るのが楽しみで仕方ないマーガレットは、さっきからずっと胸が踊っている。
でもその前に、あまねく命の恵みに感謝を。祈りを捧ぐ。これは多く神官達のしきたりで、騎士達も倣っていた。
しばらくして、誰かのお腹がぐうう、と鳴った。
お腹をサッと抑えたのはリオだった。たちまち小っ恥ずかしさに耳まで真っ赤に染めてしまう。「おいおい、お前の腹の虫は元気だな?」とバーナードに揶揄われている。マーガレットはついくすりと笑みをこぼした。
「マーガレットさん、いただいてもよろしいですか?」
若い騎士達ももう待ちきれないといった様子で両手を擦り合わせている。
彼らはとても健啖家で、パンはバスケットいっぱい食べるし、パスタはお皿に山盛りだ。
彼らのためにお代わりを運ぶのが楽しみだったりする。
皆の視線が集まる。我ながらとっても和かに答えた。
「はい、召し上がれ」
アリッサに目配せすると、彼女は心得ていると言わんばかりに頷いてみせた。
「氷、お入れしますね!」
飲み物は果実水だが、アリッサが綺麗な立方体の氷を生み出して、それを皆のグラスに入れてやっていた。
以前はでこぼこした氷だったというのに、この成長ぶりである。氷魔法は研鑽を積むことで氷の船やオブジェを作れるようになるというが……アリッサにもその素質はありそうだ。
「さ、マーガレットちゃん、私達も食べようよ! すぐなくなっちゃうべ」
「あ、うん。そうだね」
促されて、マーガレットも席についた。まずはしっかり炒めたにんじんに馬鈴薯やにんじん、ベーコンを入れて作った具沢山スープ。野菜の甘みとコクが味わい深くて癒される。
そこからパンを齧ったり浸したりしながら、チキンやパスタ達を摘んでいく。
「リオ、俺がやってやるよ」
パスタの山が半分減った辺りから、バーナード達の様子が観測できた。
リオの口の周りを拭いてやり、遠慮して中々取り皿が埋まらない彼を助けてやっているようだ。
皆との食事を拒絶してきたリオだが、今こうして並んで食べるようになった。マーガレット達にも挨拶や少しずつ話をしてくれる。
布教団がようやく一つになったような……そんな気持ちにさせられて、なんだか感慨深い。
「ん、大丈夫……自分で、取れるから」
机が広いこともあって、中々位置によっては取りにくいものもある。席を立とうとするリオであったが、バーナードはすかさず取り皿をひょいと上から取り上げてしまう。
「届かねえだろ。サラダで良いか?」
「……うん。ありがと」
器いっぱいのサラダを受け取って、礼を口にするリオは照れ臭そうだ。
リオはこれまでマーガレットが見てきたような反抗的な態度は和らいで、今は随分と素直だ。テメノスに助け出されたのが大きな契機だったろうが、砕けた接し方をするバーナードに気を許したのも大きいのかもしれない。
「どうだ? 美味いだろ」
「うん、千切ってあるからかな……味付けも食べやすいよ」
マーガレットは飛び上がって喜んだ。もちろん、心の中で。生野菜は好き嫌いが分かれるけれど、細かくちぎって食べやすくしたり、ドレッシングやクルトンなどで工夫を施してある。最年少のリオは小さな口を一生懸命使って頬張っている。美味しいという言葉に偽りはなく、ペースは早い。
「だろ? 魔物から採れた野菜がこうも化けるとはなあ。もっと食うか? ん?」
バーナード自身もここのところご機嫌だ。勧められるままにサラダを詰め込みすぎて膨らんでしまっているリオを見て笑っている。
そんな二人に、一つのため息が溢れ落とされた。これまで優雅に食事をしていたシャロンだった。
「……バーナード。あなた、なんだか過保護な兄みたいね」
「あぁ? てかお前ちゃっかりデザート先取りしてんのな。ずる賢い奴め」
用意していた甘い豆腐——杏仁羹は、すでにシャロンのそばに置いてあった。参考にした書物によれば、遠い昔にヒノエウマの王宮で作られた薬膳デザートが広まって今の形となっているらしい。
その独特な香りや滑らかな食感、甘味はフルーツにも合う。今回、マーガレット達も初挑戦なのだが果たして皆の口に合うかどうか。
シャロンは不服と言わんばかりにバーナードを軽く睨め付けた。
「人聞きが悪いわね。戦略と言いなさい。確実に手に入れるために先に手を打っただけよ」
シャロンは味見をしていて『悪くないわね』と言っていた。どうやらそれは彼女の中においては『とっても良い』を意味していたらしい。そのことをマーガレットは察し始めた。
「……ええと、甘いの好きなの?」
リオも彼女の反応から読み解いたらしい。シャロンは長いまつ毛を瞬かせた。
「これといって気にしたことがなかったけれど……そうね、嫌いじゃないかもね」
どうぞ、と小鉢に杏仁羹を分けてやっている。ふるんと揺れるゼリー体に今度はリオが不思議そうに見つめる。
「あ、ありがとう」
「なんだァ、シャロン。珍しく優しいんだな?」
俺にはねぇのか? とバーナードがニヤニヤしながら小突いている。ここまでシャロンに遠慮がないのは彼くらいのものだろう。
「あなたには無いわよ。位置的に届かないから気を遣っただけ」
「ケチな女だな」
頬を膨らませるバーナードはなんだか子供っぽい。リオが困惑気味に二人を見遣っている。
「聞こえてるわよ」
「……こほん、お二人とも。食事中は仲良くしようね? それにデザートはまだたくさんあるから心配要らないよ」
そんなわけで、マーガレットは何日かぶりに二人の仲裁をすることになった。
一度言えば大抵は落ち着いてくれるのも、彼らの良さである。
こんな感じだけれど、リオは顔色が断然良くなってきているし、出会ったばかりはどこか近寄りがたい雰囲気だったシャロンはああ見えて自分たちに対して柔らかい表情も見せるようになった。杏仁羹を一口掬い上げて、そっと綻ぶ姿は普段の高貴さとは異なり愛らしい。
「マーガレット、どうしたの?」
アリッサがあまり匙を動かしていないマーガレットを不思議そうに覗き込んでくる。大きな眼だ。吸い込まれてしまいそう。
小さい身体に見合わずよく食べる。焼きたてのパンをお皿に乗っけること、何回目だろう。
「みんな楽しそうだなあって思ってね。嬉しくなってたの」
「そっかあ。マーガレットらしいべ」アリッサの笑顔も、自分は大好きだ。マーガレットが治療のため休んでいた時の、心配そうな顔よりずっと良い。
「そうやってみんなのことよく見てて、自分のことみたいに大事にしてるよね」
「だって、一緒に旅してる仲間だもの。今もこうやってみんなの役に立てて、楽しそうな姿を見てるとね、大変だったことも忘れちゃうんだ」
マーガレットは皆を時計回りに見つめた。若い騎士三人は、本当に仲が良いように見える。リーダーのルーカスを刈り上げの彼が無遠慮に弄って、良識ある黒髪の方が抑えるか、ルーカスが起こるかのどっちかだが最後には笑っている。
バーナード達は結局揃って杏仁を食べていた。リオは青年の腕に絡まれてやや苦しげだが、それでも満更でもなさそうである。シャロンに叩かれて渋々やめていたが。
確かに自分は皆を見ているかもしれない。けれど、こんなふうに一人一人について落ち着いて考えられるようになるとは思ってもいなかった。
きっとそれは、マーガレット自身に起因しているのだ。
ほんのちょっとでも、自分を好きになれたから——
「でも、テメノス様がいないのは寂しいな。せっかくのお料理なのに……早く元気になってくれると良いけど」
ここまで布教団を率いてきた彼——テメノスのことを瞳の裏側に思い浮かべた。彼はあまり真ん中に行きたがらないけれど、彼は間違いなく自分達の中心にあるべき人だ。
「そうだね。私たち、まだちゃんとお礼も言えてないべ」
今となっては、テメノスのことを皆信頼している。彼に言いたいことがたくさんあるだろうが、それができないのが各々、もどかしいんじゃないかと思う——彼はウォータンの群れ、そして続け様のヨジョウグモ達との対峙で強力な魔法を使ったことに加え、元の身体の疲弊により熱を出してしまい、今は休養中である。彼と顔見知りだという薬師から処方してもらった薬の効果が、そろそろ出始めているとは思うが……。
「私、テメノスさんみたいに強くなりたいよ。あの時、マーガレットをすぐに追いかけてでも守れなくて悔しかったから……」
アリッサが爪が白くなるほど青い法衣を握り込むので、マーガレットは目を見張った。
「アリッサちゃん……良いんだよ。私は、今ちゃんとここにいるんだから」
拐われた時のことは、最初は酷い恐怖に駆られていたのをよく覚えている。
マーガレットは確か、とにかく生き抜かなくてはならないと必死だったはずだ。
蜘蛛と戦っているテメノスに焦慮を募らせ、徐々に正気を奪い取られていたマーガレットであったが、『追い詰められた時にこそ冷静であれ』という言葉がふと頭をよぎった時、最後の力を振り絞って聖火の加護を使ったのだ。
震える手をそっと包むマーガレットであったが、少女の横顔が揺るぎないことを徐々に悟った。
「過去は変えられなくても、これからの私は、もっと強く在りたいの」
あの時、アリッサも来てくれてマーガレットは酷く安心したのだ。でも、強い目をする彼女には、その気持ちを口にするのは違う気がした。
掛ける言葉に迷っているうち、マーガレットはふと、背後に視線を感じた。
「——だったら、あなたはどうするつもりなの?」
金色が揺れる。今夜に至っても抜かりのない縦ロールが華やかだ。そばにくると、彼女がいつも纏っている香水が漂ってくる。同時に高貴さのようなものを肌で感じ取って——かつ、その緋色の瞳は鋭く、目が合うとどきりとさせられる。
「シャロンさん、どうしたの?」平静を装わなくてはならない自分に反して、アリッサはシャロンを真っ直ぐ見ていた。
「魔法を……もっと勉強します。癒しの奇跡や守護の祈りだけじゃなくて氷魔法も」
シャロンの口元が弧を作る。叱られる、というわけではないようだ。寧ろ普段の彼女なら余計な干渉はしないし、なんとなく自分達とは距離を置いている。
「氷の魔法なら特別に教えてあげられるわよ。あなた、見どころがあるようだから」
「……え?」
これには自分達はお互いに目配せを何度もさせられた。
「そんなに驚くことかしら?」シャロンはやや憮然とする。「悔やむことならね、いくらでもできるの。でもあなたは前を向こうとしてるでしょう。だからよ」シャロンはなんとなく、弱いひとが嫌いなのだと思っていた。戦闘の話はほとんどしないから。でもきちんと道理があるようだ。
確かに、今の アリッサなら、強くなれそうだ。マーガレットに背中を見せられるくらいに。
「……光栄です。ぜひ、よろしくお願いします、シャロンさん」
アリッサから手を差し出して、シャロンがそれに応えた。
シャロンは魔法に精通している、というのはマーガレットでも分かる。なぜなのかは聞けないでいるが、 なんだって構わないだろう。明るい兆しを湛える仲間を見ていたら、応援したくなる。 アリッサが例え強い後悔を背負っていたとしても、マーガレットはこれからの彼女を否定することも、止めることもしたくない。
「ええ。私、甘くないからそのつもりでね。あと、さんは無しで構わないわ」
「はい、シャロン」
私たち、またひとつ近くなれた。マーガレットは人と人の輪が好きだ。繋がれば繋がるほど、説明がつかない力の流れみたいなのが湧き立つ。ずっとマーガレットが欲していたものだ。務めて暮らしていたあの教会では自分と同じ歳の子たちは惰性に溺れた顔をしていたことを思うと、モノクロームと虹のパレットくらい違った。
「それから、マーガレット。皿洗いは私がやっておくから。明日はバーナードに掃除もさせるわ」
不意打ちだったのでマーガレットは一瞬固まってしまった。「……明日はフリーだし、私もやるよ?」
「マーガレットは病み上がりでしょう? ゆっくり身体を休めておきなさい——皆、つつがなくク国を目指すためにもね」
何度もまつ毛を瞬いてしまう。自分にも他人にも厳しいシャロンが、優しい言葉をかけるなんて。明日は雨だろうか。
「マーガレット、こういう時はお言葉に甘えていいんだべ」
アリッサはちょっとだけ面白そうにしている。マーガレットはうぐぐと唸ったが、結局のところ二人に言われてしまえば、断り難い。
「……ありがとう。シャロンちゃん、アリッサちゃん」
夕食の後、マーガレットはテメノスの部屋を訪ねた。
彼の好みを聞いて工夫して作ったお粥と、あとは小皿に市場で買った梨を切り分けて、塩を軽く塗してある。
ノックをすると返事が聞こえなかったが、少し明けてから声をかけると、彼が身体を起こしているのが分かった。
テメノスのいつもの微笑みは、マーガレットの胸の奥にそよ風のような安堵をもたらした。
せっかくの夕食を落とさないようにと、足取りは慎重になる。
「良い匂いですね。マーガレット君がつくってくださったのです?」
見たところ、彼はいつも通りの振る舞いだった。初めて見た時と同じ、物腰柔らかで、優しいのだけれどミステリアスな雰囲気がある。彼の今や幻想的と言える部分は、深い海のように冴え冴えとした知性を宿しているのが所以なのだと、最近になってようやく理解に及んだ。マーガレットは、自分の手の届かないところにある未知が、他人の中にあるのを初めて知った。
「はい。ルーカス様からテメノス様の食欲が戻ったと聞いたので……よろしければ」
「ありがとう。喜んでいただきますね」
砂国で育ったという米一粒一粒が、水分を含んでふっくらしている。マーガレットが刻んで炒めた飴色の玉ねぎと、小さな人参、緑の葉野菜にきのこもあるため色鮮やかだ。それらを掬い上げ、強めに息を吹き付けてから、彼の口の中に全て吸い込まれていく。
テメノスは食べている間、何も言わなかった。それでも匙を動かす手は止まらず、彼の空腹とマーガレットのささやかな手応えを感じさせた。
「……すみません、つい夢中で平らげてしまいました」
テメノスは面映げに頬を掻いた。米粒一つ残らず綺麗に平らげてくれた。
ついつい口元が緩むのを抑えられない。言葉よりも、美味しそうに食べてくれるのがいっとう胸を温めるのだ。「よかったです!」
野菜の甘味が効いていて、塩加減も絶妙で……と詳らかに料理を賞賛する彼は、ふと静まった。
「テメノス様?」
「……すみません。なんだか懐かしくて」
口元を拭い、彼は遠くを見るように目を細くした。マーガレット達が見かけるような、鋭利な慧眼ではない。
「私が子供の頃、熱を出して臥せたことがあって。教会のベッドでパンのお粥を食べながら、皆が外で遊んでいるのを眺めていたことがありました」
彼の語り口はとても穏やかだが、マーガレットは言葉に詰まった。
彼はそのまま、話を続けた。
「子供ですから、寂しいと思うものです。元々、私は友人が少なかったですし。それでも、一人だけ、私が熱を出したと聞きつけると、扉を突き破るほどの勢いでやって来るのが居ましてね」
瞼を閉ざし、彼は当時を振り返って愉快そうにする。随分とやんちゃな、と思ったけれど、彼にとっては違うのだとすぐに分かった。
「ずっと、そばにいて話を聞かせてくるんですがそのうち私より先に寝ちゃいました。後から教皇に怒られていましたし、風邪がうつってしまいましたけど……」
マーガレットの頭には不思議と二人の少年の光景が鮮やかに浮かんだ。
今晩の食卓は——鳥の魔物をまるごとローストして香味野菜をあしらえて甘辛く味付けをしたもの、きのこたっぷりのパスタ、ミックスサラダ、唐土を混ぜて作ったパン、洞窟から運んだきた水で作った白くて甘い豆腐……などなど。
サイの街の宿屋の主人が快くキッチンを貸してくれたため、腕によりをかけた、マーガレットたちなりの自信作だ。野営だと手の凝ったものは食べられない分、栄養もきちんと考えてある。
みんなの笑顔を見るのが楽しみで仕方ないマーガレットは、さっきからずっと胸が踊っている。
でもその前に、あまねく命の恵みに感謝を。祈りを捧ぐ。これは多く神官達のしきたりで、騎士達も倣っていた。
しばらくして、誰かのお腹がぐうう、と鳴った。
お腹をサッと抑えたのはリオだった。たちまち小っ恥ずかしさに耳まで真っ赤に染めてしまう。「おいおい、お前の腹の虫は元気だな?」とバーナードに揶揄われている。マーガレットはついくすりと笑みをこぼした。
「マーガレットさん、いただいてもよろしいですか?」
若い騎士達ももう待ちきれないといった様子で両手を擦り合わせている。
彼らはとても健啖家で、パンはバスケットいっぱい食べるし、パスタはお皿に山盛りだ。
彼らのためにお代わりを運ぶのが楽しみだったりする。
皆の視線が集まる。我ながらとっても和かに答えた。
「はい、召し上がれ」
アリッサに目配せすると、彼女は心得ていると言わんばかりに頷いてみせた。
「氷、お入れしますね!」
飲み物は果実水だが、アリッサが綺麗な立方体の氷を生み出して、それを皆のグラスに入れてやっていた。
以前はでこぼこした氷だったというのに、この成長ぶりである。氷魔法は研鑽を積むことで氷の船やオブジェを作れるようになるというが……アリッサにもその素質はありそうだ。
「さ、マーガレットちゃん、私達も食べようよ! すぐなくなっちゃうべ」
「あ、うん。そうだね」
促されて、マーガレットも席についた。まずはしっかり炒めたにんじんに馬鈴薯やにんじん、ベーコンを入れて作った具沢山スープ。野菜の甘みとコクが味わい深くて癒される。
そこからパンを齧ったり浸したりしながら、チキンやパスタ達を摘んでいく。
「リオ、俺がやってやるよ」
パスタの山が半分減った辺りから、バーナード達の様子が観測できた。
リオの口の周りを拭いてやり、遠慮して中々取り皿が埋まらない彼を助けてやっているようだ。
皆との食事を拒絶してきたリオだが、今こうして並んで食べるようになった。マーガレット達にも挨拶や少しずつ話をしてくれる。
布教団がようやく一つになったような……そんな気持ちにさせられて、なんだか感慨深い。
「ん、大丈夫……自分で、取れるから」
机が広いこともあって、中々位置によっては取りにくいものもある。席を立とうとするリオであったが、バーナードはすかさず取り皿をひょいと上から取り上げてしまう。
「届かねえだろ。サラダで良いか?」
「……うん。ありがと」
器いっぱいのサラダを受け取って、礼を口にするリオは照れ臭そうだ。
リオはこれまでマーガレットが見てきたような反抗的な態度は和らいで、今は随分と素直だ。テメノスに助け出されたのが大きな契機だったろうが、砕けた接し方をするバーナードに気を許したのも大きいのかもしれない。
「どうだ? 美味いだろ」
「うん、千切ってあるからかな……味付けも食べやすいよ」
マーガレットは飛び上がって喜んだ。もちろん、心の中で。生野菜は好き嫌いが分かれるけれど、細かくちぎって食べやすくしたり、ドレッシングやクルトンなどで工夫を施してある。最年少のリオは小さな口を一生懸命使って頬張っている。美味しいという言葉に偽りはなく、ペースは早い。
「だろ? 魔物から採れた野菜がこうも化けるとはなあ。もっと食うか? ん?」
バーナード自身もここのところご機嫌だ。勧められるままにサラダを詰め込みすぎて膨らんでしまっているリオを見て笑っている。
そんな二人に、一つのため息が溢れ落とされた。これまで優雅に食事をしていたシャロンだった。
「……バーナード。あなた、なんだか過保護な兄みたいね」
「あぁ? てかお前ちゃっかりデザート先取りしてんのな。ずる賢い奴め」
用意していた甘い豆腐——杏仁羹は、すでにシャロンのそばに置いてあった。参考にした書物によれば、遠い昔にヒノエウマの王宮で作られた薬膳デザートが広まって今の形となっているらしい。
その独特な香りや滑らかな食感、甘味はフルーツにも合う。今回、マーガレット達も初挑戦なのだが果たして皆の口に合うかどうか。
シャロンは不服と言わんばかりにバーナードを軽く睨め付けた。
「人聞きが悪いわね。戦略と言いなさい。確実に手に入れるために先に手を打っただけよ」
シャロンは味見をしていて『悪くないわね』と言っていた。どうやらそれは彼女の中においては『とっても良い』を意味していたらしい。そのことをマーガレットは察し始めた。
「……ええと、甘いの好きなの?」
リオも彼女の反応から読み解いたらしい。シャロンは長いまつ毛を瞬かせた。
「これといって気にしたことがなかったけれど……そうね、嫌いじゃないかもね」
どうぞ、と小鉢に杏仁羹を分けてやっている。ふるんと揺れるゼリー体に今度はリオが不思議そうに見つめる。
「あ、ありがとう」
「なんだァ、シャロン。珍しく優しいんだな?」
俺にはねぇのか? とバーナードがニヤニヤしながら小突いている。ここまでシャロンに遠慮がないのは彼くらいのものだろう。
「あなたには無いわよ。位置的に届かないから気を遣っただけ」
「ケチな女だな」
頬を膨らませるバーナードはなんだか子供っぽい。リオが困惑気味に二人を見遣っている。
「聞こえてるわよ」
「……こほん、お二人とも。食事中は仲良くしようね? それにデザートはまだたくさんあるから心配要らないよ」
そんなわけで、マーガレットは何日かぶりに二人の仲裁をすることになった。
一度言えば大抵は落ち着いてくれるのも、彼らの良さである。
こんな感じだけれど、リオは顔色が断然良くなってきているし、出会ったばかりはどこか近寄りがたい雰囲気だったシャロンはああ見えて自分たちに対して柔らかい表情も見せるようになった。杏仁羹を一口掬い上げて、そっと綻ぶ姿は普段の高貴さとは異なり愛らしい。
「マーガレット、どうしたの?」
アリッサがあまり匙を動かしていないマーガレットを不思議そうに覗き込んでくる。大きな眼だ。吸い込まれてしまいそう。
小さい身体に見合わずよく食べる。焼きたてのパンをお皿に乗っけること、何回目だろう。
「みんな楽しそうだなあって思ってね。嬉しくなってたの」
「そっかあ。マーガレットらしいべ」アリッサの笑顔も、自分は大好きだ。マーガレットが治療のため休んでいた時の、心配そうな顔よりずっと良い。
「そうやってみんなのことよく見てて、自分のことみたいに大事にしてるよね」
「だって、一緒に旅してる仲間だもの。今もこうやってみんなの役に立てて、楽しそうな姿を見てるとね、大変だったことも忘れちゃうんだ」
マーガレットは皆を時計回りに見つめた。若い騎士三人は、本当に仲が良いように見える。リーダーのルーカスを刈り上げの彼が無遠慮に弄って、良識ある黒髪の方が抑えるか、ルーカスが起こるかのどっちかだが最後には笑っている。
バーナード達は結局揃って杏仁を食べていた。リオは青年の腕に絡まれてやや苦しげだが、それでも満更でもなさそうである。シャロンに叩かれて渋々やめていたが。
確かに自分は皆を見ているかもしれない。けれど、こんなふうに一人一人について落ち着いて考えられるようになるとは思ってもいなかった。
きっとそれは、マーガレット自身に起因しているのだ。
ほんのちょっとでも、自分を好きになれたから——
「でも、テメノス様がいないのは寂しいな。せっかくのお料理なのに……早く元気になってくれると良いけど」
ここまで布教団を率いてきた彼——テメノスのことを瞳の裏側に思い浮かべた。彼はあまり真ん中に行きたがらないけれど、彼は間違いなく自分達の中心にあるべき人だ。
「そうだね。私たち、まだちゃんとお礼も言えてないべ」
今となっては、テメノスのことを皆信頼している。彼に言いたいことがたくさんあるだろうが、それができないのが各々、もどかしいんじゃないかと思う——彼はウォータンの群れ、そして続け様のヨジョウグモ達との対峙で強力な魔法を使ったことに加え、元の身体の疲弊により熱を出してしまい、今は休養中である。彼と顔見知りだという薬師から処方してもらった薬の効果が、そろそろ出始めているとは思うが……。
「私、テメノスさんみたいに強くなりたいよ。あの時、マーガレットをすぐに追いかけてでも守れなくて悔しかったから……」
アリッサが爪が白くなるほど青い法衣を握り込むので、マーガレットは目を見張った。
「アリッサちゃん……良いんだよ。私は、今ちゃんとここにいるんだから」
拐われた時のことは、最初は酷い恐怖に駆られていたのをよく覚えている。
マーガレットは確か、とにかく生き抜かなくてはならないと必死だったはずだ。
蜘蛛と戦っているテメノスに焦慮を募らせ、徐々に正気を奪い取られていたマーガレットであったが、『追い詰められた時にこそ冷静であれ』という言葉がふと頭をよぎった時、最後の力を振り絞って聖火の加護を使ったのだ。
震える手をそっと包むマーガレットであったが、少女の横顔が揺るぎないことを徐々に悟った。
「過去は変えられなくても、これからの私は、もっと強く在りたいの」
あの時、アリッサも来てくれてマーガレットは酷く安心したのだ。でも、強い目をする彼女には、その気持ちを口にするのは違う気がした。
掛ける言葉に迷っているうち、マーガレットはふと、背後に視線を感じた。
「——だったら、あなたはどうするつもりなの?」
金色が揺れる。今夜に至っても抜かりのない縦ロールが華やかだ。そばにくると、彼女がいつも纏っている香水が漂ってくる。同時に高貴さのようなものを肌で感じ取って——かつ、その緋色の瞳は鋭く、目が合うとどきりとさせられる。
「シャロンさん、どうしたの?」平静を装わなくてはならない自分に反して、アリッサはシャロンを真っ直ぐ見ていた。
「魔法を……もっと勉強します。癒しの奇跡や守護の祈りだけじゃなくて氷魔法も」
シャロンの口元が弧を作る。叱られる、というわけではないようだ。寧ろ普段の彼女なら余計な干渉はしないし、なんとなく自分達とは距離を置いている。
「氷の魔法なら特別に教えてあげられるわよ。あなた、見どころがあるようだから」
「……え?」
これには自分達はお互いに目配せを何度もさせられた。
「そんなに驚くことかしら?」シャロンはやや憮然とする。「悔やむことならね、いくらでもできるの。でもあなたは前を向こうとしてるでしょう。だからよ」シャロンはなんとなく、弱いひとが嫌いなのだと思っていた。戦闘の話はほとんどしないから。でもきちんと道理があるようだ。
確かに、今の アリッサなら、強くなれそうだ。マーガレットに背中を見せられるくらいに。
「……光栄です。ぜひ、よろしくお願いします、シャロンさん」
アリッサから手を差し出して、シャロンがそれに応えた。
シャロンは魔法に精通している、というのはマーガレットでも分かる。なぜなのかは聞けないでいるが、 なんだって構わないだろう。明るい兆しを湛える仲間を見ていたら、応援したくなる。 アリッサが例え強い後悔を背負っていたとしても、マーガレットはこれからの彼女を否定することも、止めることもしたくない。
「ええ。私、甘くないからそのつもりでね。あと、さんは無しで構わないわ」
「はい、シャロン」
私たち、またひとつ近くなれた。マーガレットは人と人の輪が好きだ。繋がれば繋がるほど、説明がつかない力の流れみたいなのが湧き立つ。ずっとマーガレットが欲していたものだ。務めて暮らしていたあの教会では自分と同じ歳の子たちは惰性に溺れた顔をしていたことを思うと、モノクロームと虹のパレットくらい違った。
「それから、マーガレット。皿洗いは私がやっておくから。明日はバーナードに掃除もさせるわ」
不意打ちだったのでマーガレットは一瞬固まってしまった。「……明日はフリーだし、私もやるよ?」
「マーガレットは病み上がりでしょう? ゆっくり身体を休めておきなさい——皆、つつがなくク国を目指すためにもね」
何度もまつ毛を瞬いてしまう。自分にも他人にも厳しいシャロンが、優しい言葉をかけるなんて。明日は雨だろうか。
「マーガレット、こういう時はお言葉に甘えていいんだべ」
アリッサはちょっとだけ面白そうにしている。マーガレットはうぐぐと唸ったが、結局のところ二人に言われてしまえば、断り難い。
「……ありがとう。シャロンちゃん、アリッサちゃん」
夕食の後、マーガレットはテメノスの部屋を訪ねた。
彼の好みを聞いて工夫して作ったお粥と、あとは小皿に市場で買った梨を切り分けて、塩を軽く塗してある。
ノックをすると返事が聞こえなかったが、少し明けてから声をかけると、彼が身体を起こしているのが分かった。
テメノスのいつもの微笑みは、マーガレットの胸の奥にそよ風のような安堵をもたらした。
せっかくの夕食を落とさないようにと、足取りは慎重になる。
「良い匂いですね。マーガレット君がつくってくださったのです?」
見たところ、彼はいつも通りの振る舞いだった。初めて見た時と同じ、物腰柔らかで、優しいのだけれどミステリアスな雰囲気がある。彼の今や幻想的と言える部分は、深い海のように冴え冴えとした知性を宿しているのが所以なのだと、最近になってようやく理解に及んだ。マーガレットは、自分の手の届かないところにある未知が、他人の中にあるのを初めて知った。
「はい。ルーカス様からテメノス様の食欲が戻ったと聞いたので……よろしければ」
「ありがとう。喜んでいただきますね」
砂国で育ったという米一粒一粒が、水分を含んでふっくらしている。マーガレットが刻んで炒めた飴色の玉ねぎと、小さな人参、緑の葉野菜にきのこもあるため色鮮やかだ。それらを掬い上げ、強めに息を吹き付けてから、彼の口の中に全て吸い込まれていく。
テメノスは食べている間、何も言わなかった。それでも匙を動かす手は止まらず、彼の空腹とマーガレットのささやかな手応えを感じさせた。
「……すみません、つい夢中で平らげてしまいました」
テメノスは面映げに頬を掻いた。米粒一つ残らず綺麗に平らげてくれた。
ついつい口元が緩むのを抑えられない。言葉よりも、美味しそうに食べてくれるのがいっとう胸を温めるのだ。「よかったです!」
野菜の甘味が効いていて、塩加減も絶妙で……と詳らかに料理を賞賛する彼は、ふと静まった。
「テメノス様?」
「……すみません。なんだか懐かしくて」
口元を拭い、彼は遠くを見るように目を細くした。マーガレット達が見かけるような、鋭利な慧眼ではない。
「私が子供の頃、熱を出して臥せたことがあって。教会のベッドでパンのお粥を食べながら、皆が外で遊んでいるのを眺めていたことがありました」
彼の語り口はとても穏やかだが、マーガレットは言葉に詰まった。
彼はそのまま、話を続けた。
「子供ですから、寂しいと思うものです。元々、私は友人が少なかったですし。それでも、一人だけ、私が熱を出したと聞きつけると、扉を突き破るほどの勢いでやって来るのが居ましてね」
瞼を閉ざし、彼は当時を振り返って愉快そうにする。随分とやんちゃな、と思ったけれど、彼にとっては違うのだとすぐに分かった。
「ずっと、そばにいて話を聞かせてくるんですがそのうち私より先に寝ちゃいました。後から教皇に怒られていましたし、風邪がうつってしまいましたけど……」
マーガレットの頭には不思議と二人の少年の光景が鮮やかに浮かんだ。
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