2023年没作品詰め合わせ
時計塔。夜風をひとしきり浴びるには、少々物騒な場所だ。ふてぶてしくも巣食っていた大きな鳥の魔物は追い払ったけれど、魔物はちょくちょく姿を現してきて邪魔くさい。
でも私には、この目と、夜のカーテンがある。どうってことはない。
多種多様なる精霊石を融解させ、型に嵌め込むことで複雑な均衡が幻想的な輝きを放つ。月明かりを飲み込んだそれは、古臭い木床を飽き足らず照らしつける。
私は、人一人通るのにも向いていないような、梁の上で寝そべってみる。
埃の匂い。それから、目前にはくすんだ木材しか見えないのが、ひたすらに味気ない。
強い風が吹く。ギイと強く軋む音がしたが、私の身体は振り落とされもしない。やがて止んだ隙をつき、体勢を取り戻し、脚をつける。大胆にも、広間めがけて駆けて行った。身体に染みついたものが、私が踏み外す可能性を遠ざける。
色んな仕事をしてきた。死にかけたことも何度かある。その度に、私は生きようともがいて、足掻いてしまう。本能だと言えばそれまでだが、私はどうにも、望みというものを捨てちゃあいなかったらしい。
その望みか、はたまた希望とやらは。果たして何に向かっているのか。それすらも分からず、漠然と。
されど今は、自由が欲しいと思う。その為に、私はナイフを握る。剣だって掴む。血の匂いはいつまで経っても嫌いだが、それもきっと最後になる。何よりも、よすがにしていた。もしかしたらずっと前から、私は望んでいたのかもしれない——
尖った刃先で皮を、肉を破り、血を噴き出してもなお、奥へ潜り、そうして内臓を掻っ切る。鼓動が途絶え、命の灯火が潰える。幼い頃から刷り込まれた、人の今際。
それらを己に教えた父を殺した。術を身につけた自身を気に召さなかったであろう母とも終わらせた。でも、この鎖は千切れない。鍵は合わなかった。
色々考えたさ。でも……畢竟、先へ、行くべきだろう。私は、そうするしかない。例え、手を伸ばす先が深淵であろうとも。……思考はそこで打ち切った。
それにしても、この時計塔は寒い。晒した首周りに、容赦なく風が吹きつけてくる。
私は梯子を伝おうとして、俯きがてら下を覗いた。このまま飛び降りたものなら、私であろうとも簡単にひとつしかない命を粗末に捨てられるだろう。でも、私には相応しくない。もっと散々生きてやってから、自分の望むところで息絶えたい。そのためには、私は外の空気ひとつ、思うように吸い込めるようになりたい。羽は生えなくても構わないから、どこにゆくのにも躊躇いがなくなればいい。
街の川沿いにある宿屋への帰路を辿った。道中、酒場を横切ろうとして、顔を赤くした漢どもがつるんできたので、適当にかわした。後は、馬鹿みたいに盛りついた奴ら。そいつらには眠ってもらった。
組織にいた頃からそうだ。女を欲を満たすための道具としてしか見ない男は大半を占めていて、ピルロみたいなのが珍しいくらいだった。
もう慣れたが、関わりたいとは思わない。この枷を外した先に、どこかに住むなら、綺麗な町がいいと思う。
宿屋の露台に飛び移り、濁った窓を叩く。目を凝らさなくても分かるような橙色の灯りが揺らめく。
宵闇に控えめな線を差し込み、中の主は私を迎えにきた。若草と、かすかな汗の香りを纏わせて。
「……ただいま」
私が決まってそう言うと、この人は必ず返してくれる。ううん、私は最初、そんな呑気な挨拶はしなかったけれど、同室ばっかりな内に、当たり前になっていったんだ。
「お帰りなさい。散歩は終わったの?」
丸机の上には、私の知らない薬草とか、乾燥させた木の実とかが薬包紙の上にこんもり乗っかってる。いつもの光景だった。
私の知らないことでも、ひとたび浸かってみると、この体と心に馴染むのが、不思議だ。
キャスティといるとそうだった。ちょっとした傷でも沁みる綿を押し当てて、包帯を巻いたりなんかして。要らないって言ってもやめてくれなくて。それが、嬉しかったんだ。
噛み締めながら、私は頷く。寝台に腰を下ろした。
「うん。キャスティはこんな時間まで調合?」
年齢を聞いたことはない。でも、お姉さんと呼べるくらいには上なのだろう。
ページを開けたままの手帳をしまい、瓶の中身を戻してゆくなどしている。
「ええ。でも、そろそろ切り上げなくてはね。あなたが帰ってきたもの」
そう言って、あっという間に、しとねを設えていた。見えない埃が舞う。私も、横になってみようかと考える。
でもそんなぼんやりした考えは、帽子をしまったキャスティが手招きしたことで霧散する。
「こっちへいらっしゃいな」
横になって、開いた布団を指し示す彼女に、気恥ずかしさが込み上げてくる。仕事の間には決して感じなかったような心臓の早まりも。でも、平気なふりをして、かぶりを振った。
「私、まだ着替えてないよ」
シャワーは出かける前に浴びたし、香水も少しつけてるけど。
踏み出した先の予感に、汗が手のひらに滲む。私の強張った腕を引いて、キャスティは元から艶やかな色形をした唇に弧を描いてみせた。少しいたずらっぽくも見えるのは、きっと気のせいなんかじゃない。
「私もよ。でも、少しだけだから」
私は雰囲気と促しに根負けして、毛布に包まれた。キャスティの一見しなやかそうな腕が背中までやってくる。それから柔らかな素肌がうなじを掠めて、汗ばんだ足は密着した。
「……ソローネ、やっぱり冷えてるじゃないの」
「うん……」
うまく返す言葉が見つけられなかった。私、男にベッドに縫い付けられて危なかったことはあっても、こうして真面から優しく、誰かに包まれながら横になるなんて、無かったから。
でもね、私がドギマギするのは、こればっかりが理由じゃないんだ。不意打ちだけど、機会が降りてきたなら、私から打ち明けるしかない。
「キャスティ……あのさ」
前は、もっと良いベッドだった。酒の匂いが染み付いていたけれど。少し身じろぐだけで、私たちの重たさでギイと音が鳴る。
「なにかしら?」
息遣いが真後ろにある。
「覚えてる? ひと月前、ニューデルスタで飲んだ時のこと」
「……ええ、断片的に、だけれどね」
キャスティの手を取ってみる。
「——私、キャスティが初めてだったんだけど」
でも私には、この目と、夜のカーテンがある。どうってことはない。
多種多様なる精霊石を融解させ、型に嵌め込むことで複雑な均衡が幻想的な輝きを放つ。月明かりを飲み込んだそれは、古臭い木床を飽き足らず照らしつける。
私は、人一人通るのにも向いていないような、梁の上で寝そべってみる。
埃の匂い。それから、目前にはくすんだ木材しか見えないのが、ひたすらに味気ない。
強い風が吹く。ギイと強く軋む音がしたが、私の身体は振り落とされもしない。やがて止んだ隙をつき、体勢を取り戻し、脚をつける。大胆にも、広間めがけて駆けて行った。身体に染みついたものが、私が踏み外す可能性を遠ざける。
色んな仕事をしてきた。死にかけたことも何度かある。その度に、私は生きようともがいて、足掻いてしまう。本能だと言えばそれまでだが、私はどうにも、望みというものを捨てちゃあいなかったらしい。
その望みか、はたまた希望とやらは。果たして何に向かっているのか。それすらも分からず、漠然と。
されど今は、自由が欲しいと思う。その為に、私はナイフを握る。剣だって掴む。血の匂いはいつまで経っても嫌いだが、それもきっと最後になる。何よりも、よすがにしていた。もしかしたらずっと前から、私は望んでいたのかもしれない——
尖った刃先で皮を、肉を破り、血を噴き出してもなお、奥へ潜り、そうして内臓を掻っ切る。鼓動が途絶え、命の灯火が潰える。幼い頃から刷り込まれた、人の今際。
それらを己に教えた父を殺した。術を身につけた自身を気に召さなかったであろう母とも終わらせた。でも、この鎖は千切れない。鍵は合わなかった。
色々考えたさ。でも……畢竟、先へ、行くべきだろう。私は、そうするしかない。例え、手を伸ばす先が深淵であろうとも。……思考はそこで打ち切った。
それにしても、この時計塔は寒い。晒した首周りに、容赦なく風が吹きつけてくる。
私は梯子を伝おうとして、俯きがてら下を覗いた。このまま飛び降りたものなら、私であろうとも簡単にひとつしかない命を粗末に捨てられるだろう。でも、私には相応しくない。もっと散々生きてやってから、自分の望むところで息絶えたい。そのためには、私は外の空気ひとつ、思うように吸い込めるようになりたい。羽は生えなくても構わないから、どこにゆくのにも躊躇いがなくなればいい。
街の川沿いにある宿屋への帰路を辿った。道中、酒場を横切ろうとして、顔を赤くした漢どもがつるんできたので、適当にかわした。後は、馬鹿みたいに盛りついた奴ら。そいつらには眠ってもらった。
組織にいた頃からそうだ。女を欲を満たすための道具としてしか見ない男は大半を占めていて、ピルロみたいなのが珍しいくらいだった。
もう慣れたが、関わりたいとは思わない。この枷を外した先に、どこかに住むなら、綺麗な町がいいと思う。
宿屋の露台に飛び移り、濁った窓を叩く。目を凝らさなくても分かるような橙色の灯りが揺らめく。
宵闇に控えめな線を差し込み、中の主は私を迎えにきた。若草と、かすかな汗の香りを纏わせて。
「……ただいま」
私が決まってそう言うと、この人は必ず返してくれる。ううん、私は最初、そんな呑気な挨拶はしなかったけれど、同室ばっかりな内に、当たり前になっていったんだ。
「お帰りなさい。散歩は終わったの?」
丸机の上には、私の知らない薬草とか、乾燥させた木の実とかが薬包紙の上にこんもり乗っかってる。いつもの光景だった。
私の知らないことでも、ひとたび浸かってみると、この体と心に馴染むのが、不思議だ。
キャスティといるとそうだった。ちょっとした傷でも沁みる綿を押し当てて、包帯を巻いたりなんかして。要らないって言ってもやめてくれなくて。それが、嬉しかったんだ。
噛み締めながら、私は頷く。寝台に腰を下ろした。
「うん。キャスティはこんな時間まで調合?」
年齢を聞いたことはない。でも、お姉さんと呼べるくらいには上なのだろう。
ページを開けたままの手帳をしまい、瓶の中身を戻してゆくなどしている。
「ええ。でも、そろそろ切り上げなくてはね。あなたが帰ってきたもの」
そう言って、あっという間に、しとねを設えていた。見えない埃が舞う。私も、横になってみようかと考える。
でもそんなぼんやりした考えは、帽子をしまったキャスティが手招きしたことで霧散する。
「こっちへいらっしゃいな」
横になって、開いた布団を指し示す彼女に、気恥ずかしさが込み上げてくる。仕事の間には決して感じなかったような心臓の早まりも。でも、平気なふりをして、かぶりを振った。
「私、まだ着替えてないよ」
シャワーは出かける前に浴びたし、香水も少しつけてるけど。
踏み出した先の予感に、汗が手のひらに滲む。私の強張った腕を引いて、キャスティは元から艶やかな色形をした唇に弧を描いてみせた。少しいたずらっぽくも見えるのは、きっと気のせいなんかじゃない。
「私もよ。でも、少しだけだから」
私は雰囲気と促しに根負けして、毛布に包まれた。キャスティの一見しなやかそうな腕が背中までやってくる。それから柔らかな素肌がうなじを掠めて、汗ばんだ足は密着した。
「……ソローネ、やっぱり冷えてるじゃないの」
「うん……」
うまく返す言葉が見つけられなかった。私、男にベッドに縫い付けられて危なかったことはあっても、こうして真面から優しく、誰かに包まれながら横になるなんて、無かったから。
でもね、私がドギマギするのは、こればっかりが理由じゃないんだ。不意打ちだけど、機会が降りてきたなら、私から打ち明けるしかない。
「キャスティ……あのさ」
前は、もっと良いベッドだった。酒の匂いが染み付いていたけれど。少し身じろぐだけで、私たちの重たさでギイと音が鳴る。
「なにかしら?」
息遣いが真後ろにある。
「覚えてる? ひと月前、ニューデルスタで飲んだ時のこと」
「……ええ、断片的に、だけれどね」
キャスティの手を取ってみる。
「——私、キャスティが初めてだったんだけど」