2023年没作品詰め合わせ

1.オメガバースネタの書き出し



「せんせ……その、甘い香りは何?」

熱に浮かされた表情で、ソローネは誘われるようにして彼の胸板に鼻を擦り付けた。
香水に詳しいソローネであっても、他の何よりも魅惑的なものに思えた。甘く、奥深い香り。いつまでも鼻腔を満たしていたくなる。

「それ以上は近づいてはだめだ」

オズバルドは顔を険しくして、ソローネの肩をやんわりと押し込んだ。

「どして……?」

ボーっとする頭で、ソローネは不思議がる。匂いを嗅ぐくらい、いいじゃないかと思う。どうせいつも本ばかり読んでいるのだから、くっついてたって気にしないくせに。

「きみは……αだろう」

世界に蔓延る六つの性。それらは理性という理性を奪い取ってしまう本能として、人々に埋め込まれている。
とはいっても、殆どが日常的に第二の性を感じることのないβで溢れている。
αはカリスマ的才能を持ち、歴史に名を馳せる存在となれる、なんて言われているが裏社会に身を投じているソローネからすれば特に実感も湧かない。
ただ、パルテティオのような人間を見ていると、少しだけ納得ができる部分はある。

「そうだけど、それがどうかした……」

ソローネも察しが悪いわけではない。しかし、戸惑いは禁じ得なかった。
まさか、彼が。だが妻と番い、娘だっているというのに。
頭の中は思索ばかりが飛び交い、混沌の境地に至りつつあった。
ともかく、と彼から距離をとる。

「えっと……ごめん」

「……ああ。キャスティに薬を貰ってくる」

彼は踵を返し、部屋を後にしてしまった。いつでも泰然としている彼から発せられる香を嗅ぎ取っている人間は自分以外に誰一人とて存在しない。
それが、ソローネの心を酷く掻き乱した。彼も気づいていないはずがない。
発情期でもないはずなのに感じ取れるのは、運命の番だけだ。
それにしたって、なぜ、今。分からない、分からないが、酷く罪深い。
ソローネはオズバルドを好ましく思っている。時に密やかに、時に行動に示すこともあった。
けれど彼が自分を好いてくれているかといえば、答えは見つけられない。
だからソローネは、明確に好きだとは伝えてこなかった。

「なんなのさ……もう」

力無くこぼされた呟きを拾う者は誰もいない。ただ、少し離れたカウンターでホットミルクを傾けていたテメノスだけは、訝しげにこちらに視線を向けていた。

「なんです? もう酔ったのですか」

「……飲んでない」

そつなく返すが、彼が気にするそぶりはない。平常遠慮がないのが、今は仇となった。

「本当だ。ただの紅茶ですね。では何故そのような辛気臭い顔を?」

「今は話せない」

「そうですか……おおよそ、オズバルドのことでしょうが」

鼻白む。当たりですね、と得意な顔をされてしまえば、ソローネは悪あがきに舌打ちだけ溢す。
自分を助手呼ばわりするこの男は、見てくれこそ童顔であり、自身と歳が近いと言われても違和感を持たないだろう。そんな彼だが、話してみると鷹揚で、物腰柔らかいがウィットに富むので、自分よりも年嵩な男なのだと後々実感させられるのであった。




2.割と最近に書いた付き合いそうなオズソロ


その人に抱きしめられた時、ソローネは身体の大きさに息を失ったかと錯覚した。彼は元々、髭に隠された精悍さと知的を兼ね合わせたかんばせが、いつも見上げるくらい高い位置にある。けど、それがゆったり降りてきて、いっとうそばで密着させてしまうと、まるで訳が違ったのだ。
私ってこんなに細くて小さかったのか、とソローネはひしひしと現実を受け止めていた。野太い腕に本気で掴まれたら、骨は簡単に折られてしまいそうだ。さながら、この学者は獰猛性を隠した、巨大なのにおおらかな動物だろう。

「……すまん、苦しかったか」

カサついていて、傷跡だらけの不恰好な手のひらが、ソローネの背中を労った。
ああ、この人とこんなに近くで触れ合う日が来るなんて。胸が甘やかに疼いた。
思った通り、彼は不器用で、優しい。ソローネが良いというまで、絶対に一歩先へは踏み込まない。見た目にそぐわず紳士的であるのは、古くから染み付いているからなのだろう。

ソローネはどうしたって、彼の昔を知らない。きっと愛妻家で、家族を本当に大事にする真っ当な人だった、というのは旅中で稀に見え隠れするから、分かってはいるのだ。でも、そんなところだけじゃなくて、彼が一人だった頃から、全部、余すことなくこの小さな脳みそに叩き込みたい。

彼の構成するものの、どれだけに、自分はなれているのだろうか。らしくなく、心がしおらしくなるのが嫌なのにやめられない。ゆるゆると被りを振って、彼の空いた胸元に額を寄せた。

「ううん、大丈夫。ちょっと驚いただけ……」

「……そうか」

安堵を滲ませた音色、に思える。彼の声も好きだ。波面のようで、深い色を湛えており、いつまでも耳を澄ませたくなる。

「こうしてると、温かいね」

言えば、深いため息がそばに掠めた。

「ああ……温かいのは、良い。俺は寒いのは嫌いだ」

監獄は年中雪が積もっている。温かい季節になると、少し和らぐくらいなのだと。彼が訥々と語ってくれたのを思い出す。
だからだろう、よく雪原地帯では寒いと言う。それしか言わないくらいになる。ソローネは別にあきれちゃいなかった。ただ、マフラーを持ってきてやり、縄みたいに引っ掛けて、彼の首に巻いてやる。あとはカイロとか。そうすると、表情が微かに緩み、温かみのところにひとしきり触れてからソローネに礼を言うのだ。

オズバルドの細やかな変化は、よくよく見てないと気が付きにくい。——ソローネが旅を始めて、彼を拾い上げて、最初は気まずい気もしたが、静けさが当たり前になった頃。ガサツな彼に色々してやりながら見つけたものだ。

いつの間にかそれがソローネの楽しみへと変わり、愛おしみへと色合を変えた。
この気持ちそのものが間違いで、見てみないふりだとか、捨てることも考えた。でも出来なかった。吹っ切れてからは、彼に必死だと思われても良いという覚悟で、アプローチを繰り返したものだ。

まさか自分から男に愛されたいと本気で願うなんて、という滑稽さはあれど、やっぱり好きなものは変えられないというが結論である。
仲間に囲まれること自体、今もなおちょっと信じられなく思うくらいなのに。血塗られた穢れの道を歩むのは自分だけで良い。
そう考えていたのに、この手に収めたのは妙に温かくて心の隙間を埋めてしまう種火。
触れ合うたび熱くゆらめく。

ソローネは今、諦めなくて良かったと本気で思っている。
最近になって、オズバルドは自身の想いに少しずつ応えてくれるようになったのだ。何か心境の変化があったのかは分からないが、ソローネが何かお願いをすると飲み込んでくれることが出てきた。

この、ハグもその一環だった。かなり進展したのではないかと思っている。この間彼の好きなグラーシェを頑張って再現したからだろうか。コートのほつれを直したから?
礼の代わりではなく、ソローネそのものに触れたがって欲しい。実は少し焦っている。全部終わってしまったら、彼はどこに行ってしまうか分からない。それは自分も、同じか。自由に羽ばたける羽があるのだから。
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